第96話「みんなで、食卓を囲み」
リンド連合との決戦を決定してから、一日経った夜のこと。
久々に戦時のピリピリとした緊張感のない夜のヴァレスを窓から眺め、オレはふうと息を吐く。
迎賓館の一室を借りてみたはいいものの、こんな時にこんなことをしているべきだろうか。
そんな考えが頭の中に浮かんでいたが、それも食事が運び込まれてくるまでのことだった。
保存食ではない。香辛料を振りかけた豚肉に、野菜が盛り付けられ、焼きあがったばかりの白いパンがあった。
たっぷりと皿に注がれたスープは湯気をたてていて、鶏肉が入っているのが見えた。
いい匂いで部屋が満たされて、たちまちにお腹がぐうっと音を上げる。
そんなドワーフの腹音に気付いたのか、耳ざとい同席者たちは揃って口元を緩めて笑い声をあげた。
長机に並ぶのは、ルールー・オー・サーム、アイフェル、アティア、シン、そして特別に高い椅子の上に座るファロイドのエアメルの五人だ。
「わ、笑うことないだろ……?」
「出世頭が出世した身分相応の食事をしようっつーんに、腹の虫を鳴らすとは誰も思っとらんからな」
けっけっけ、と老人のような声で笑いながら、エアメルはパイプに葉っぱを詰め始める。
ペルレプでの夜戦で熟練の斥候として従軍したファロイドたちは、好き勝手歩き回る小人という偏見を払拭するのに十分な活躍をした。
その中心的な存在のエアメルはもちろん、他のファロイドたちを邪険に扱う者はヴァレスにはもう一人もいない。
中には魔法国家の解体のときに聖王の軍に従軍したファロイドたちの長、オックロスの名を持ち出して彼らを称える者さえいる。
特にリー・バートンの民兵たちはそれが顕著で、着の身着のままで従軍しているというのに、ファロイドに煙草を与えたり、火種をあげたりと親交を深めていた。
ファロイドはファロイドたちで、貸し借りの借りっぱなしは縁起が悪いとして、あちこちの家に忍び込んでは拝借したものを民兵たちにお返ししたりするのだった。
家に忍び込んであれこれ拝借するのは、まあ戦時徴用と言えばそこまでなのだが、ダメだと言えない実情もある。
ファロイドたちはそこら辺、小柄であっけらかんとしていて、欲がないのでなにか拝借するとしても大事なものは取らない。
ありきたりでよくありそうなものを選んでいくし、時間があったらその貸し借りを返す算段まで考えている。変なところでマメな種族だ。
そんなエアメルがパイプに葉っぱを詰め終えると、隣に座るシンが火を点けてやる。
おうさ、とエアメルがウィンクをすれば、シンは会釈してそれに答えてこちらに視線を送る。
アティアは料理を前にしてにんまりと上機嫌そうで、さっきまで物資の積み下ろしを手伝っていたとは思えないほど元気そうだ。
「……アティアとシンも、本当にありがとうな。こんなとこまで付いてきてくれて、手伝いまでしてくれてんだろ?」
「ふふん! そうだぞ!!」
「はい。アティア様はあちこちで手伝いをしてはテキパキ仕事を片付けるので、たしかに重宝されているのですが……」
アティアがえっへん、と相変わらずの量感たわわな胸を張る隣では、シンが端正な顔立ちに苦笑を浮かべて言い淀む。
オレも苦笑しながらえっへんえっへんと、ぷるるんぷるるんと胸を張るアティアの方に目を向け、うわやっぱ胸でけえ―――ではなく、シンに同情する。
たしかに重宝されているが、なにも辺境伯の一人娘がその手を汚してまでする仕事ではない。
アティアの黒髪は腰まで伸び、それだというのに見事に手入れされているためか枝毛もなく艶やかだ。
健康的にうっすら日焼けした肌は張りがあり、とても柔らかくぷにっとしていそうである。
背丈だけはドワーフであるオレよりもやや小さいが、相変わらず豊満な胸元は自己主張が激しいったらありゃしない。
文字通り、弾けるような溌剌とした笑顔で、辺境伯の娘、アティア・アウルウム・ウーヌス・ゲンツェンは言った。
「しかしシンよ。困っている人あらば無下にせず、手を差し伸べるのが善人であろう?」
「先生に以前、こう言われたと仰っていたではありませんか。あまり気軽に身分区分を乗り越えるんじゃないと」
「気軽にではないぞ! 余はこの南部で困窮する人々の、戦う者たちの力になりたいのだ!」
「ですがアティア様、我々は兵も持たぬ身です。あまり行動力がありすぎるのも、却って迷惑になりますよ」
「むぅ………そうか」
「はい、そうですよ」
ですから少し大人しくしましょうね、と優しく言うシンの目つきは相変わらず優しい。
いつになったら式を挙げるんでしょうかね、と教え子二人にやっかみの言葉を投げたいのを我慢しつつ、オレは杖をつきながら自分の席に座った。
スクルジオのところの従兵が食事を配膳してくれ、カップに葡萄酒を軽く注ぐ。
我が家の騎士、そして我が左腕の民のなればと喜んで食材の都合と従兵まで貸してくれたスクルジオには、感謝してもしきれないくらいだ。
ヴァレスに来てからというもの、兵力差や兵站のことでずっと頭を使っていて、胃もキリキリ痛んで食事は焼き固めたビスケットか干し肉くらいしか食べていない。
総大将のロンスン・ヴォーンの参謀なのだからと割り当てられた水も、結局飲料用に少し確保して、残りは兵士たちが使えばよろしいと教会にやっちまってたのだ。
「うわぁ……これコウの料理より美味しそうですよ」
隻眼の女魔法使いが紺色の瞳をキラキラさせながら言うので、カチンときたオレはルールーを睨みつける。
「今オレは家庭の料理人に対するとんでもなく失礼で非礼な言葉を聞いた気がするんだが、ルールー?」
「ぃ、ぃぇ………ナンデモナイデスヨ……?」
「ならばよかろう」
「ハ、ハイ……」
しょんぼりと肩を落とすルールーだが、ルールーもルールーでなかなか働いている。
南部諸侯領の魔法使いたちと連携して書物などを退避させたのはルールーだし、なによりその魔法使いたちがいるからこそ、マルマラ帝国とのホットラインが開けるのだ。
魔力使用量に余裕のある魔法使いなどは、ゴーレムなどを使役して死体運びから墓穴掘りと埋葬を手伝ってくれ、そのお陰で衛生環境が保たれている。
また、魔法使いたちは現在の状況を自分たちだけでしっかりと認識し、どこが生命線なのかをきちんと理解しているのもありがたかった。
マクドニル子爵領の魔法使いなどは、兵站の維持のために車列を護衛する騎士たちに付き従い、道がきちんと整備されているかを見つつ、馬車の修理などもしてくれていると言う。
こんな親切な魔法使いは生まれて初めてだ、と煙に巻かれたような顔でヴァレスにやってきた御者も、一人二人ではない。
「動いてないルールーより、他の人たちに食べさせるのが得策」
「……親方、それはさすがに酷いと思うぞ。ルールーも涙目だし」
「引きこもって食べてばかり。絶対太る」
「ふ、太る……ッ!?」
「ルールーは細いからもうちょっと太っても余裕あるしな」
「え、否定しないんですか!?」
「だって引きこもってるのは事実っぽいしな」
「ひどい……私だって仕事してるのに……」
しょぼん、と再び肩を落とすルールーであるが、もはやいつものことである。
アイフェルがその無愛想な表情を微かに緩めれば、ルールーが反論するかのように「むーっ」と唸りながら唇を尖らせる。
その様子を見てエアメルが「ほっほっほ」と愉快そうに笑い、シンが苦笑し、アティアが元気な笑い声を炸裂させた。
束の間の日常に、オレは肩の荷がふっと軽くなったような感覚を味わう。
残された時間は僅かで、その時間がくれば死人が出ることはたしかだというのに、オレたちは幸運にもこうして食卓を囲むことができた。
戦いの後でまたこうして食卓を囲むことができれば、どれほど嬉しいことか。
「………これは職権乱用かもしれないんだけど、みんな、逃げたいなら逃げてもいいんだぞ? なんかこう、適当な理由をつけてバンフレートなり、カリム城伯のケール城塞なりに送ることもできるし……」
この食卓を企画した時から考えた台詞を言えば、一瞬の静寂の後、全員が吹き出して笑った。
笑うところだったか? オレの世界では真面目な話だったが、実はこっちのお決まりの冗談だったかと一瞬戸惑った。
しかし、実際は違ったのだとひとしきり笑い終えたみんなの目を見て感じた。
「今更あっしらが逃げるとでも思ったんかね、髭なしの」
「そうだぞ先生、余は逃げたりなどせぬ! 貴族は義務を負うものだからな!!」
「―――というわけですので、僕も逃げませんよ、先生」
「ん。逃げる理由がない」
エアメルが、アティアが、シンが、そしてアイフェルがそう言った。
逃げてもいいし、なんならそのための理由まで作ってやると言っているのにも関わらず、だ。
この中で誰かが死ぬかもしれないんだぞ、と口に出かかった言葉を飲み込んで、オレはルールーに視線を向けた。
とんがり帽子を傍らに置いて、継ぎ接ぎの目立つ黒く長いローブには華奢な体が浮き上がって見える。
右目を覆う黒い眼帯、白い肌、目鼻は整っていて、長い黒髪は鴉の濡れ羽色と言うに相応しく、少し青みがかっている。
この世界で初めて出会った異世界人、ルールー・オー・サームは、にっこりと優しく笑って言ったのだ。
「私はコウを見届けますよ。私には"転生者"との約束がありますから」
ありがとうと言う言葉は、こみ上げる涙に横へ押しやられ、なかなか声にならなかった。
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