第94話「執念と熱意と情熱と」
この世界に転生してからずっと、ずっとずっと、オレは考えていた。
オレは臆病者で、卑怯者で、無力な風変わりなドワーフというだけなんだろうと。
だからこそ、当事者にならなければ、平穏に暮らすことができればと。
ただオレはそうであれば良かったはずだった。
ルールー・オー・サームという、生活能力皆無の女魔法使いと一緒に、晩飯を食べながら談笑するだけで。
親方、アイフェルという、唯一身近な同族の下で蹄鉄屋の下っ端として働きながら、給料をもらえるだけで。
アティアやシン、そしてリンといった生徒たちに勉強を教えたり、逆にこの世界のことを教えられたり。
タウリカという北部の町で、冒険者の先生として、さらに北にあるノヴゴールに旅立つという目標を夢見るだけで。
オレは最初、ただそれだけで良かったんだ。
その日常が、非日常で壊れてしまうかもしれない、ということにならなければ。
あの日常が大事に思える日が来るなんて考えてもいなかったのに、非日常は日常を奪い去っていく。
抵抗しなければ、耐えればいいと、そんな感情もあったのに、オレは夢を諦められずに抵抗し、そして、ここにいる。
(―――ああ、そうさ)
お前は当事者になったんだ。
臆病者で卑怯者で、無力で風変わりなドワーフで、転生者であるというだけのお前が。
なんの贈り物も貰えずに、なんの特殊な力もない両手で無力を感じるしかないお前が。
(―――分かっているんだろう、髭なしドワーフのコウ?)
お前はすべきことを知っている。
お前は守るべきものを知っている。
お前は倒すべきものを知っている。
であれば、取るべき行動はなにか。
その頭で弾き出した考えを、言葉を、策略を、策謀を、作戦を、どのようにして伝えるべきかお前は知っている。
タウリカでミレアと、お前の死と向き合ったときにだって、お前はそうしていたじゃないか。
「………考えはある」
何気なく振舞って言ったつもりの言葉は、自分でも分かるくらいに重々しいものだった。
オレは死と向き合ったときのように、喉を震わせて声を出し、伏せていた顔を上げて前を見る。
南部諸侯たちだけでなく、名のある諸侯たちや騎士たちがオレを見つめている。
オレの考えが実行可能かどうか、出来るかどうかは分からない。
これは倒すべきものを知り、守るべきものを知り、すべきことを知っているからこそ言える一種のカラクリだ。
一度やると決めたら最後、ベルツァール王国だけでなく、関係する国は新たな戦いに身を投じることになる。
オレがそれを皆の前で話すと、皆の反応は似通っていた。
誰も彼もがオレの顔を見て頭がイカれたのかと顔色を窺っている。
そうだろうなとオレだって思う。その反応は当然だ。
唯一、ガルバストロだけがじっと考え込んでいた。
このカラクリが出来るか否かは、ガルバストロだけが知っている。
ベルツァール王国という国そのものを、王と共に動かせる人物だからこそ、このカラクリの効果はよくわかるはずなのだ。
「つまりお前は、マルマラ帝国、ベルツァール王国、リンド連合の共通の敵は……《救心教》だと言うのだな?」
「ああ、その通りだ。マルマラ帝国からすれば勢力圏に出現したカルト集団で、王国からしたって不穏分子の集まりだろ。そしてリンド連合は、書簡にある通りだ」
「………人民と信仰のために」
「社会主義革命なら宗教は弾圧されるはずだ。それが信仰のために、と文面にわざわざ添えている」
「連合の主張する内戦の経緯から考えて、彼らは社会主義や共産主義を掲げる国家ではないと?」
「貴族主義の否定と私有財産の禁止、富の再分配は革命で疲弊した国家を戦時体制にするなら必要なことだ。―――ま、一歩間違えば毒薬になりかねない考えだが」
「それで、お前のそのカラクリにマルマラ帝国が乗ると考える点はどこにある」
ガルバストロが眉間を揉みながらそう言うと、オレは躊躇わずに答えた。
「タウリカであんたが説明した時、戦争目的は恐喝、威圧、示威行為かもしれないと言った。二か月ほどで竜眠季となり気温は下がり雪が降るから」
「そうだ。民兵が主体とは言え物量にものを言わせる奴らであれば、常識的に考えて雪中行軍などはできない。現時点では、冬越えさえ怪しいのだ」
「だろうな、オレもそう思う。けど書簡はそんなことこれっぽっちも思わせない。むしろノヴゴールまで強行軍してやるぞ、という書き方だ」
「素直に書簡に真実を書くとは思えない。であれば、奴らの戦争目的は恐喝、威圧、示威行為であって、我々の存在はノヴゴールへの布石………」
「けれど、現時点でさえリンド連合の冬越え態勢は疑問符がつくもの。さらに言えば国内で本当に《救心教》の鎮圧なんかをやっているなら、絶望的と言ったっていい」
「待て、コウ。お前が言おうとしているのは………」
「ここまで言ったら、もう感づいてるだろ」
ガルバストロはそこで、ありえない、と喉元までせり上がってきたセリフを飲み下し、表情を歪める。
部屋にいる諸侯たちも騎士たちもその様子を見てざわめき、何事かと思いを巡らし、小声でひそひそと話し始める。
それが静まったのは、スクルジオが右手で机をコンコンッ、と叩く音によってだった。
「どうもありがとう、スクルジオ卿」
「なに、捨て置け。続きを聞かせて貰えるか、我が左腕よ」
「御意のままに。―――オレが考えたところじゃ、リンド連合はマルマラ帝国の支援を受けていると考えて間違いない」
「………それを我らに説明してくれるか?」
スクルジオが再びざわめく騎士たちを睨みつけて黙らせ、オレに問いかける。
オレは丁重に一礼し、新たに嵌めたモンパルプの領主としての証たる指輪の感触を意識しながら、背筋を伸ばした。
杖をかつりとついて背筋を伸ばせば、あちこちの関節が軋んで体に響くが、この体の熱は冷めはしない。
「マルマラ帝国は敵でも味方でもない、ベルツァール王国とリンド連合を品定めしているんだ。ベルツァール王国は魔法使いを有し、さらには《救心教》の本拠地があると考えられている」
広げられた地図でマルマラ帝国を指さし、オレは続ける。
「マルマラ帝国からすれば、魔法使いを条約で封じているにも拘わらず、異端に関わっているのではと考えてしまってもしかたがない。そして、リンドブルム公国―――」
次にリンドブルム公国、リンド連合を指さす。
「書簡の通り、《救心教》がかの国を革命に追いやってしまったのならば、ベルツァール王国に巣食う異端を無視することはできない。だが、リンド連合も急進的な動きを見せ、のっぴきならない状況になった。なぜならマルマラ帝国からすれば、ベルツァール王国とリンド連合はもはや友好国などではなく、外交上は友好国である潜在的な仮想敵国でしかないからだ」
そうしてオレは手元にある書簡の写しを地図の上に放り投げ、それを杖で叩く。
ガンガンっ、と思ったよりもすさまじい音が部屋中に鳴り響いたが、それに構うことはない。
状況は考える以上に最悪で、もっと怒ったって釣りがくるくらいなのだ。
そうだ、もっと怒ったって釣りがくる状況だ。
だというのにオレが感じているこの体の熱は、怒りではない。それだけはわかる。
オレの体はこの状況を、恐れ慄きながらも、楽しんでいる。
「……そして、帝国の潜在的仮想敵国のうち、一方が国内の異端討伐と、異端の本拠地の征伐に出ると言い始めたわけだ」
チェック、と誰かがチェスの駒を動かしてコールするのが目に見えるようだ。
リンドブルム公国の革命はオレがこの世界に転生する前に始まり、終わっていた。
そしてこの革命の指導者たちは、ベルツァール王国とマルマラ帝国という二か国を品定めし、そのための国づくりをしてきたのだ。
ぶるぶると体が震え、オレは杖で体をしっかりと立たせる。
なんという連中だ、なんという執念だ、なんという熱意と情熱だ。
こいつらは疲弊した国をなんとか再建し、最短距離で敵の撲滅に突っ走ってきているのだ。
三か国ともに敵であるはずの存在、《救心教》。
そしてその裏に存在するであろう、おぞましい存在、《澱み》。
それらに対して帝国は、連合は、もうとっくの昔に覚悟を決めていたのだ。
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