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辿る雪に足跡はもうない

作者: 安藤真司

 先輩の足跡を辿る。


 もうすぐ、先輩は行ってしまう。


 好きだ。

 言うのは簡単。

 けど、言葉で世界は変えられない。

 先輩が遠く、私の手が届かない場所へと羽ばたいていく事実は覆らない。


 嫌いだ。

 言うのは簡単。

 どうして私を置いていってしまうんだって、泣き叫んでも構わない。

 私が嫌ったところで、きっと先輩は笑うのだろう。

 だから好きだ。


「先輩、電車なくなっちゃいますよ」

「それでも一時間に一本は走るさ。真の田舎よりはよっぽど凄い」


 私の話なんか聞いちゃいない。

 でも確かに、幾ら雪が積もったって、きっと電車はなくならない。

 私も先輩も、帰るべき場所に帰る時間が来るのだ。

 そして、先輩には、行くべき場所がある。


「どこに行きたいんですか」

「お前が行きたい場所、かな」

「私の行きたい場所ですか。哲学ですね」

「哲学かなぁ」


 私の行きたい場所がどこにあるのか、私にもわからないのに。

 先輩にはわかるだなんて、変なの。

 ……嘘だ。

 私には、行きたい場所がある。

 あるけれど、決して、行けない場所。

 行っちゃいけない場所。


「わかるよ。お前の行きたい場所」

「そ、ですか」


 先輩は進む。

 私は辿る。

 さくさく、ざくざく。

 雪に足を取られながら、風に煽られながら。

 先輩の背中を追って、先輩の足跡を追って。

 私はどこへ行くのだろう。


「ね、先輩」

「ん?」

「もしも、もしも私が先輩を困らせたら、先輩は困りますか?」

「なんだそれ。哲学か?」

「哲学、かな」


 これは哲学じゃない。

 困らせたら困ってくれるかな。

 困らせたいのかな。

 困らせたくないのかな。

 その方がきっと哲学だ。


「きっと困らないよ。俺が困るようなことを、お前はしないから」

「例えば、雪の中あてもなく先輩の行きたい場所を目指して歩く、とか?」

「それも、先輩の行きたい場所がわかるんです、とか言いながらな」


 先輩が笑った。

 だから私も笑った。

 全然おかしくない。

 人のことなんて言えないけど、先輩は遠回しに物事を話す。

 結局あの日のあのとき、何が言いたかったんだろうって思うことが多い。

 先輩が笑っていたことしか覚えてない。


「先輩。私、行きたい場所があります」

「そっか。ここから遠い?」

「そうですね。どんな手段を使ったって、今ならきっと何日もかかります」

「雪の所為か」

「雪のおかげ」


 そうして私は立ち止まる。

 気付いた先輩も私を振り返って、動かない。

 見慣れた景色に、見慣れない景色。

 立ち並ぶ街灯と、白銀に染まる世界。


「きっと、ここが最後です」

「なんの?」

「私と、先輩の」


 空を見上げる。

 けど傘に邪魔されて真っ暗な空だって、見えやしない。

 横殴りの雪が、私と先輩の間に吹き荒れる。


「先輩。困らせてもいいですか」

「嫌だって言ったら?」

「私が困ります」

「なら、いいよ。困らせて」

「す」


 き。


「ぐ、帰りましょう。これ以上、私の行きたい場所を探したって、しょうがないです」

「そっか。じゃあ俺からも最後に一つだけ」

「はい。なんでしょう」


 最後の言葉になる。

 先輩から私への。

 一言一句、聞き逃さないように、私は一切の動きを止める。

 降りしきる雪が傘を叩く音だけが、耳に響く。


「誕生日、おめでとう」


 なんだよ。

 結局、最後の最後まで。

 先輩は先輩で。

 私は、私だな。


「さ、来た道、戻りましょうか。帰れなくなる前に」


 けど、立ち止まったほんの少しの時間で、来た道に残した足跡はすっかり消えてしまっていた。

 辿ることもできない過去がそこにはあって。

 私達は、今、未来にいる。


「あーあ、言えなかったな」


 ありったけの幸せを誕生日プレゼントにして、先輩は去った。

 私はこの日を最後に、先輩と会うことは、なかった。


 凍てつく雪の魔法で。

 電車は十分遅れた。

 たった、十分の遅れだけで。

 電車は動いた。

雪の中、切ない恋と哲学にもならない哲学のお話でした。

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