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1-3 邂逅



 時は暫し前へと遡る。


 「影」とその軍門に下った者達、それから、彼らを調停した「島の守り人」が各々の場所に向かって行ってからは、島は極めて平穏であった。

 争いが鎮まるまで、根っこを介して地中の深くに潜り込んでいた妖精達は、「守り人」の合図を機に続々と地上に出てきていた。辺りを様子見し、平穏にして静寂である事を確認すると、童のような笑い声を上げながら各々の棲み処へと戻っていった。

 程なくして森がざわめき始めた。歓声であった。

 彼らの活動が活発化していくにつれて、先の激しい攻防によって禿散らかった森林も、にょきにょきといった具合で木々が生えていき、瞬く間に再生していった。

 いわゆる「生え代わり」と島の民に名付けられたこれであるが、生を受けたばかりの妖精は、はじめてこれを目撃すると大層驚くのだという。超速などという言葉ではこの迅速たる再生の異様さは説明がつかない上に、何より、葉っぱを付けたまま地下から飛び出てくるのは、「多少の法則を含有する理不尽」と言われる魔術を考慮しても、明らかに度を越していて、奇妙であったからだ。

 植えたばかりの苗を大樹にするモノはあれども、朽ちた樹木を突き破って、砂粒も掛かってないような無垢なる枝葉が突然現れるというモノは、中々にない。

 まして、それが次々に間断なく発生するなど、もし魔術のまの字も知らぬ人間が見たならば、世の終焉を信じて疑わぬことであろう。


 そうして飛び出てきた木々の内の一本に、橙色の輝きが灯った。穏やかな温もりを感じさせる、実に優しい光である。

 輪郭をなぞるようにしてその光は木を覆って行く。忽ちに全身に行き渡ると、木肌を蔽う程に、色彩を濃密にしていった。

 白から変色したその木の幹から、今度は丸い光の玉が幾つか湧出した。

 一つ二つと現れた光球は、螺旋に似た複雑な軌跡を描きながら木々の隙間を駆け巡っていく。

 瑞々しい葉を次々撫で、孤独に突き出た枝の周囲を、煽るようにしてくるくる回転して最後は力強く体当たりしてぐらぐらと揺らす。

 優しくも悪戯な光球たちは、そうして森林を跳んで遊び、ついに、一本の壊れた木を見出す。

 その前に一挙に集うと、その中へと静かに進み、消えていく。

 二つ三つと消えてゆき、すべてが荒れた木肌の向こうへと行くと、その壊れた木は一人でに地中へと沈み始める。砂煙もなく、土から波紋のような円が幾つも広がっていき、木はたちどころに土の中に入った。

 木が沈み、数刻経ったその時であった。

 勢いよく――先の輝く木と同じく、破損なき完全な姿で――突き出てきた。

 未だ輝くかの木は、新たに生え代わった白い木の出現とともに光を失い、単なる白肌の木に戻った。


 くすくすと、幼く可憐な妖精たちの嬌声が響き渡る。


 刹那、生やした木と生えた木、双方の根元から、ひょっこりと妖精が顔を出す。

 双方とも幼い顔立ちで、非常に整ったつくりをしていた。

 生やした木にいる妖精が、上がり調子の拙い鼻歌を披露すると、もう一方が下がり調子の流ちょうな鼻歌を奏でる。

 拙い片方が耳を赤らめる程に悔しがって、頬を膨らますと、流ちょうな片方がそれをけらけらと嗤う。

 嗤われた片方が、川のせせらぎがごとき囁き声であれこれと文句を口にする。その内容は、尋常な人間では理解に膨大な時を要する不可思議な文法構造の言語によって秘匿され、解し得るのは、この場においては、妖精と相対している片割れの妖精だけであった。ただ、彼女の堰を切ったような怒涛の喋り様から察するに、先んじて述べた「文句を言っている」事がなんとなしに分かることが出来る。

 その片割れは、依然厭らしい笑みを絶やさずして、相手に対してある挑発を仕掛ける。愛らしい顔とは裏腹に、ただ今浮かぶその笑顔は悪意の純粋な結晶であった。

 間もなく応じた妖精が、怒りに任せて地中から浮上し、首から下を露わにする。

 何もかもが未発達ながら、性を感じさせる所々は目を引く程度に成熟しているその身は、幻想そのものと言える歪な美しさを秘めている。その肢体の隅々を走る黒の幾何学模様は、そうした美しさに神秘を生じさせていた。

 背には透き通った羽が現れ、時折高速で羽ばいて、この妖精の少女を宙に固定させている。

 妖精が両手を前に突き出した。両の親指を横に開き、残りを鋭く、刃物のように尖らせた。

 次いで少女は言の葉を紡いだ。またしても未知なる言語で、今度は荘厳に、感情を感じさせぬよう揺らぎなく語り始める。

 模様が橙に輝き、重なり合っている親指の腹に光が凝縮し始めていた。

 周囲の廃れていた木々が、この光に呼応して、先のような輝きを一斉に発した。

 それは、それまで嗤っていた妖精の木も例外ではなく、寧ろ其方の方がより強烈に鮮烈に輝いていた。

 輝きは徐々に熱を持ち、根元で静観しているあの妖精をじりじり焼いていった。

 我慢ならない、そう思ったのか、妖精は飛び上がり、羽を生やした妖精を憎々し気に見ると、逃げるようにして飛び去った。

 かの妖精はしてやったりといった顔を浮かべ、次にその手を左に回して、腕が交差するような体勢を取る。

 応じて、廃れた木々に灯っていた光が、未だ健在な木々、それから生え代わった木々に移っていった。

 光は枝葉の末から末、土に埋もれた根の末端を包む。光の強さ、色味がまたしても強まっていくと、幾つかの光球を生み出し、またしても光球は廃れた木々に溶け込んでいく。


 そうして木々は沈み、そして完全なる浮上を果たす。

 羽を生やした妖精は、目に映る限りの一切の木々が生え代わったのを確認すると、羽の実体化を解き、その際に生じた光の粉を体の中に吸収した。その後、ゆっくりと空へ上って、禿上がった森林地帯を見出すと、颯爽と飛び立っていった。




 かくして、この白い森はいかに壊れようとも、彼女をはじめとする妖精たちの動き次第で如何様にも再生できるのであった。


 が、森のすべてがこうやって高速の勢いで再生しているわけではない。例外もまた存在していた。


 森の南西部にあり、真円に近い円形にひらけている一角がそうである。


 そこでは、草木はおろか、今の今まで無傷でいた大木ですら炭屑と成り果て、熾烈に燃え盛っていた。

 かの焔は何かを囲うようにして燃え盛り、まるで何かを守っているかのように中心の空白へと頑なに進まず、揺らめいていた。

 空白の中心には一人の少年がいた。身なりはこの島、そして大海を越えたあらゆる国で着られている服装に何一つとして合致するものはなく、おまけに全身煤けていた。

 奇妙であった。

 仄かに熱さを覚える気配に今気づいたのか、少年の眼が半開きとなり、うつ伏せの態勢であるその身は細かにうごめき始める。

 視界は依然明々としていないらしい。近くで怪しき焔が自分を囲っている状況にいるにもかかわらず、まるで恐ろしさを顔に表さないでいて、紅蓮に揺れる色彩をただ見つめていた。

 彼の脳裏には、こうして目覚める前の、ある出来事が強烈に、しかし断片的に、焼き付いていた。


 黒い人型のもや、それに切り裂かれゆく同級生たち、眩く照り輝く「紅蓮の焔」に焼かれる学び舎、自分ともう一人の同級生の足下に展開された「瑠璃色の真円」――。


 青白い光に意識を奪われる寸前、彼はその「もう一人」に何かを言われた覚えがあった。すぐさま思い出すべき重大な事であると、未だ判然としない彼の意識は告げていたが、肝心の内容は、先の断片の他、重大性を帯びた外殻だけ残してすっぽりと記憶から消えていた。故に彼は、言い知れぬ不安に現状不可能な検索を強いられ、徐々に混乱していったのだった。


 様々な記憶を辿っていく為に、少年の脳は次第に覚醒していった。そのお陰か、彼は、目前で舌なめずりするような焔にようやっと気づいた(擁護として、かの焔は熱らしい熱を持たないまこと怪しい焔である事をここに記す)。同時進行で彼の表情は段々と、仇と対峙したかのような顔つきになっていった。記憶の断片がそうさせているにしても、あまりに露骨で不釣り合いな憎悪である。

 今の彼にとって、焔は実に忌々しく、呪わしいモノに映っている――少なくとも、意識が正常化する前に、剥き出しの憎悪が先行して発される程には。

 次に少年は、足下にある真っ黒な植物を視界に捉える。

 その物体は、一目見ただけでは、これが植物であるとは到底思えない代物であった。

 炭を通り越して灰と成りつつあるそれは、崩れる事お構いなしに右往左往と動いていたのだ。

 蛇に似た動作でその植物は少年の足にゆっくりと絡まっていく。が、やはり相当に脆かったようで、ちょっとばかり彼が足を動かすと、驚くほど脆くボロボロと砕け散った。すると植物は瞬く間に自壊していき、最終的には、彼の背後に侘しく在った大元の切り株が同じように粉々に崩れ去った。

 地面にある植物は木の根っこだったのか――少年はそう理解した。


 理解した途端、表すに表し得ぬ奇怪さと不安がどっと押し寄せてきた。


 ここは何処だ、なんで自分はこんな場所にいる、何で焔が己を取り囲んでいる――。

 自問しようがどうしても自答できない。まして誰かに訊くことも出来やしない。

 体が固まっていた。肌を舐めて通り過ぎる程度の小さな不安が、彼から行動の意志を奪っていたのだ。

「なんだ、これ」

 黒焦げた夥しい根っこの海の上で、少年はうつ伏せのまま、呆然とした表情のまま、顔を上げた。

 視界で辛うじて捉え得る木は、信じられないほどの真っ白な色を見せていたが、それ以外の全風景は光なき漆黒に彩られていた。

 風が吹けば黒い風が巻き起こり、風の辺りには炭の粉が舞い散る。

 焔は依然彼を円形に囲って燃え続けているが、彼の近くにある草木には一切燃え移らず、形やその大きさなどの一切合切を微動だに変化させる事なくその場に在り続けた。

 少年は実に不思議がった。同時に、不安が不気味さを帯びてきた。焔が、まるで自分の様子を窺っているようであったのだ。

 それまでまだ寝ぼけていた頭も、そうした不安が徐々に脳内に浸透する事で、完全に覚醒した。

 そうして、不気味さが明確な恐ろしさに変貌したとき、少年は意識せずして立ち上がった。

 それと同時に、彼を取り囲んでいた焔があっという間に勢いをなくした。見えない水でもまかれたかのように焔は影も形もなくなり、後には黒き円と、そこから立ち上る白煙が残るのみと相成った。

 突然の変化に少年は驚きを隠せなかったが、目に見える脅威が何事もなく去った事に安堵し、堂々と円の外側に右足を踏み出した。

 踏み出した所で、少年はある事に気づいた。


「服どうしよう」


 ――今、少年は全裸であった。

 死の直前、いつも通りに細いムダ毛を剃っていた為か、その肉体は健康的な脂の輝きを見せている。

 また、積極的に肉体を鍛えていた事もあり、全身の筋肉は引き締まっている。腹回りも凡そ常人以上と言える鍛えられようであり、股間は人一倍雄々しい。

「困った……そもそもここがどこかすら分からないんだよな。あー怖いなあ、どうなっちゃうんだろうかなあ」

 言葉の割には落ち着いた表情で辺りを見回す。その限りでは、背後にある黒の円を除いては特段変わりなく、単なる白い森林の風景が広がっている。

 森林を捉えたその折に、少年は毛色の違う奇妙さを覚えた。

 動物の気配が、気味が悪いほどになかったのだ。

 辺りにいるかもしれない存在を探すべく、黙して気配に集中するも、結局何も感じず、微風が葉を揺らす音が響くだけ。

 動物の糞はおろか、獣の臭いもせず、その代わりに湿っぽく鼻孔に入り込む森の香りがあった。

 鳥の麗らかな声など、ここでは幻想の類に過ぎないのだとさえ思わせる。

 それ程に、何もない。

「あー……気味が悪い」

 軽い調子で、しかし上ずった言葉が漏れる。

 曇天の空に薄墨の不穏が混ざりこんできた。

 雷鳴こそなかったが、そのまましとしとと小雨が降り始めた。

 肌身でそれを感じ取ると、少年は木の下へと駆け込んだ。体温が下がる以上に焦ることなどありはしないのに、彼はやけに焦った様子で走っていた。

 腰を下ろし、木の幹に寄りかかった処で、少年は自身の行動を不思議に思った。

 今一度自分の肉体を見ても、目覚める前に負ったはずの大火傷がない以外は特に異常な箇所はなかった――そう、あるはずの火傷以外は。

 不思議さは不安に裏返った。

「……何で火傷がないんだ」

 眉間に皺が寄る。頭を掻きむしりたい衝動が震えあがって、己の両腕をけしかけている。

 少年は、現状のすべてがわからなかった。「自分が死んだ」こと、死ぬ前の人生に関してはよく覚えていたものの、何故死んだのか、今立っているここがどこなのか――断片的な手掛かりこそあれども、なかなかどうして見当がつかないようだ。

「何なんだよ……どうなってんだ……」

 それまでの軽口はどこへやら、少年は項垂れて両腕をだらりと足の上に伸ばし、情緒不安定に呟く。

 額から汗が滴り落ちる。

 少年は、現状についてあれこれと考えを巡らして、都度その悉くをこう否定していく。

 ファンタジーが過ぎる、と。

 眩いまでに純白な木々が目の前にある時点で、その考えは改めるべきであったが、彼は逸っていた。

 矢継ぎ早に湧出する疑問の数々に、少年の焦りは臨界点を振り切りそうであった。

 熱を持った多量の汗がその証拠である。


 思考は巡りに巡って焦燥すると、それまで気を配っていたものを疎かにさせる。

 あれこれと思索しながら読書していると、何行目まで読み進めていたかが分からなくなる、などがその典型である。

 こうした現象は、彼にも例外ではなく発生していた。


 故に彼は気づけなかった――――墨染の空から降りてくる、真っ白な少女の存在に。



 少年の目の前で風が逆巻き、焦げた根と砂塵が舞う。

 何事かと少年が思考の世界から立ち戻りて、砂煙の中にいる黒い人影を捉えた。

 

 少女セラムは、眼前に立つ者に視線を向ける。

 心の臓を貫くか、それとも脳天を貫くか、といった様相の眼光をギラつかせ、未知の異物を見据える。

 両手に刻まれた黒い紋様に、セラムは魔力を注ぎ込む。

 忽ちに輝き、それを合図に十重二十重と、色彩豊かな魔法陣が展開されていった。


 少年改め、須藤千輝(すどう かずき)は、その明瞭に攻撃的な異常事態に、拳を構えての臨戦を選んだ。




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