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1-1 知られざる抵抗




 ――いにしえの森がざわめいている。

 ここから僅かに離れた処で、なにかあったという事だ。

 風に乗って、どこからともなく、しわがれた声と感情のない声の、会話にすらならない小さなやり取りが聞こえた。




 何やら騒めいている。我らの守り人が邪知を得たか、まつろわぬ永遠が遂に虚無を求め来たか。小舟の航路を伝える者よ、いかに。


 否。其時まだ遠きものなり。暫し休めよ。




 また、森の真ん中にある、苔むした大きな樹からも、込み合った囁きが聞こえてくる。




 ――この島に来た愚かしいヒトらが、其の身に相応しい莫迦騒ぎを起こしたようだ。ああ、排除が面倒なことだ。


 加えて、〈火もどき〉を呼び落としていった、か。まこと難儀よのう。


 でもでも、その民は火の親類を作れたんだね。「移ろう者」を除いて見ても、それ程に腕の立つ者、無法者がまだいるんだねえ。感心するね。


 にしても……いやに森のわらべが騒がしい。本当にそのどんちゃん騒ぎだけの話か。


 ――我らが人を模った姿で起きた、ということは、そういうことだ。


 はて、大樹よ、どういう事かのう。自己完結されても困るんじゃが。


 いやいやご老人、それは多分、「移ろう者」が来たという事だよ。これまでここに来た「移ろう者」の中でも特筆すべき無害存在、それもまるで『白き羊皮紙』が如く……だね?


 それは……本当か。真に、『大いなる導き手』がこの時に顕現し得ると。


 然り。此度の「迷える魂」は『その再来』になり得る。


 おぉ、それは素晴らしい。のう願い手よ、〈守り人〉をそれに向かわせようぞ。


 うんうん、ついでにその「移ろう者」と〈守り人〉とを番いにしてしまおう。そうすれば、〈新たな守り人〉が僕達を守る事になるだろうからね。


 ならば然るべき魔導の始まりを与えよう。『白き羊皮紙』の名にふさわしく……そう、万の力も潜在させよう。


 留めおけ。無限欲望の産物など『白』には不要。されど――始まりは要るであろう。


 肉体はいかにしておくかのう。一先ずは、生前の「移ろう者」を模ったが、異存はあるかのう。


 ほうほう、いい男だ。見栄えの程も……うん、誰もが好むだろうね。〈付属品〉はどうかと思うけど……まあ僕らが気にする事でもないし、言うべき異議はないな。兄さん、この子どう。


 面白い、〈死の虚憶〉を留めたか……。ああ、無論異はない。


 我もだ。さぁ老人よ――再誕の儀を始めよ。


 心得た。始めさせていただこうかの。


 はてはて、どんな世界を見せてくれるのかな、この若き者は。いつぞやの薄汚れた『白』のように、〈何者でもある黄金〉の前に滅びてしまうのかな。


 我らに解るものは、世の真なる理、そして我ら自身よ。この先は、この〈大いなる樹(よりしろ)〉を以て見届けよう。


 そうだとも。さぁ――我々に見せてくれ。




             「白」を超えた世界を――――――――。




 この森、ひいては島全体を治める彼らが、騒ぎについてのんきに話している間、依然森を脅かしているその騒ぎ――例えるなら、「まばゆく光る激流」とでも言うべき現象――が、徐々に浸食する領域を拡大していった。


 破竹の勢いたる「光の水流」は四方八方に広がり、木々の太い幹にぶつかるや否や、瞬く間にその表皮を砕き、爽快なまでの大きな破壊音を軒並みに奏でゆく。

 時折赤黒く輝く、暴力的な流動を見せる色なき光の奔流が、白き樹木の大海を惨たらしく侵す。

 流れに飲み込まれたものは、忽ちに生気のない漆黒に染め上げられた。それは風が吹けば飛んで行ってしまう程に脆弱な黒であった。

 ここを棲み処としていた、強靭な鱗と巨躯を持つ赤銅竜ですら、この怒涛の輝きに一たび囚われてしまえば、鳴き声を上げる事無く、かつて奔流の中にあった棲み処と同様、灰燼に帰す。


 その光の周囲では、外套を羽織った複数の男女が等間隔に佇んでいた。それも、足場らしい足場のない空中に。

 黒装束の彼らの先頭に立つは、灰色の外套を纏う、妙齢の女性である。他の人々は、多くて四肢に留まる量ではあったが、彼女には、体の隅々に夥しい数の「幾何学的な模様」が刻まれ、あるいは縫われてあった。彼女の周りを不自然に強く吹く風は、そうした模様、もとい紋様が、時折一人でに輝きだす事でその強弱を変えていた。

 

 轟々と響いて迫る光の水流を前に、女性が鳴らす笛の音を合図に次々と、矢継ぎ早に緋色の光が天に伸びていた。

 天へ近いほどその光は細くなっており、さながらむき出しの「刃」である。

 地から一つずつ徐に現れる十の円を、遥か上方にある刃の最先端に導いていく。 

 光は天に向かって真っ直ぐに伸び、一方で儚く光っており、今にも風に吹かれて消えてしまいそうであった。

 そびえ立つ光の刃は、最後の大きな円が曇天の空に消えると、他のものと同様に、その先端から消滅した。

 間もなく光が地上から消え去った。


 直後、女性の周囲に浮いていた外套たちが、それまで背負っていた大きな杖を両手で力強く握りしめ、正面に構えるようにして持った。口々に呪文を唱え始めた。


 それは大変におぞましく、聞くものの精神を揺さぶりに揺さぶる邪悪と背徳を孕んでいた。

 そうした詠唱を、あるものは早口に、あるものは緩慢に、またあるものは鼻息荒く、しかし誰もが真剣そのものといった面持ちで行っていた。

 次第にそのおぞましさが、現実に影響を及ぼし始めた。

 詠唱する彼ら一人一人の足元に、黒ずみ歪んだ一つの円が形成されたのだ。

 彼らは知っている。己の前に現れたこいつが、次に何をしてくれるのかを。


 果たして、円の中心に正三角形が浮かび上がる。黄金比、とでも言いたげに、その縁は金色に輝いている。


 間を置かずしてその三角の縁から、目に見えぬ空気の圧が放射状に発生した。

 ごう、と空を切りつつ、ある方向に吹いた風は目前の光と激突した。


 その衝撃が、辺りの樹木を容易く拉げてゆく。副産物たる物凄き轟音と暴風は、その都度発生した。

 爆ぜるような音は辺りの動物に逃走を促し、荒れ狂う風の織りなす円蓋は迫り来る破壊の光を打ち消さんとその猛威を振るう。


 幾つもの暴風域には、それぞれに一人、黒い外套を纏った若い男性たち或いは女性たちが、先ほどと同じように白木の杖を正面に構えて宙に佇んでいた。

 誰もかれも、真円の魔法陣を足下に展開しており、陣の形をなぞるようにして妖しい光を灯らせていた。

 結果的には自らが生み出した暴風に絶える為、胴体は前のめりになり、両脚は大股に開かれて、頼りない足場で踏ん張っていた。

 ゆらゆらと揺蕩いながら暴風の中心へと歩を進めんとする光は、そうした彼ら〈魔術師〉の奮闘をあざ笑うようにして、勢いをそのままに術者に迫っていく。

 陣の内外の大地が、草木も残さず綺麗に抉りながら、見えない糸を伝うようにして光は進んでいく。

 そうして、光の奔流の最前線にいた、灰色の魔術師の外套に、とうとう光が掛かった。

 水のように外套に染み込んでいった光は、次の瞬間火に変化した。

 煙を出さずに、その火は外套をぼろ屑にしていった。

 その変化を見た幾人かの魔術師が思わず呻く。かねてから知っていた恐怖に、怯えているようだった。

 魂でも宿っているのか、その火は外套の表面を縦横無尽に駆け巡り、器用に外套だけを焼き尽くした。

 覆い隠していた、指導者である女性の魔術師の顔、黒の入れ墨がびっしりと刻まれた肢体が露わになる。

 女性の表情は、それでも揺るがなかった。

 後方から、苦しげに大声を上げ、猛烈な風を発している部下がいたからだ。

 他に彼女の後ろで声はない。唱える声だけが聞こえる。

 しかしその部下だけは、目の前に在る死に恐懼し、あまつさえ情けない大声を上げている。

 女性は知っていた。彼は不運にもこのような事に巻き込まれた、被害者とでもいうべき存在なのだと。

 さらに、彼は新米の魔術師。唯一使える「衝撃」の魔術の優秀さだけを買われて、ここに来させられたのだ。

 学生時代に師と仰いでいたこの女性の元に、彼は何も知らずに来た。

 ゆえに、この状況で彼だけが嘆きわめいていた。

「し、師匠ぉ、俺耐えられませんよぉぉぉ」

 またも情けない声が聞こえてきた。

 普段の彼女なら、ここでその根性の無さを叱咤していたが、今は違った。

「耐えろ! 今だけ保てば逃げられる!」

 そう言うだけであった。

 暫し間があったが、途端に女々しい絶叫は聞こえなくなった。

 代わりに、爆発的な風圧が後方からやってきた。

 あわや女性の障壁を破る処だったが、幸か不幸か、押し寄せる光の流れがぎりぎりでその圧を押し止めていた。

「馬鹿者! 私を殺す気か!」

 罵倒のことばは、次の瞬間に起きた暴風に掻き消された。

 その風のお陰か、両太腿まで来ていた火が僅かに散っていった。

 次に喉から出ようとしていたことばは、偶然のもたらした結果により腹の中に消えた。

 後方からまた、声が聞こえてきた。

 その声は、しっかりと師の耳に届いてた。


 いきましょう、師匠、と。


 今は長として、この恐怖に耐えねばならない。頬を焼かれようがが手足を焼かれようが、今は持ちこたえねば――。

 今の女性には、ただただこの部下を守りたいという思いのみが、今眼下に盛る火よりも熱く滾っていた。


 それ以外何もなかった。


 今の彼女はその純粋な思いだけで動いているのだ。

 長い灰色の髪の隙間から、ぎらぎらと攻撃的な光が灯っていた。



 しかし火は、非情な本性をここに来て晒してきた。


 恐怖に蝕まれつつも厳として、「光の根源」に注意を向ける彼女に対し、今度はその両脚に取り付いたのだ。

 火は舐めるようにゆっくりと、魔術師の白い皮膚をじりじりと焼いていく。

 濁った汗が足を覆い、香しからざる悪臭が漂った。

 ただ焼くだけではどうともならぬ、と女性が気にせず術を行使していると、不意打ちとばかりに来た正面からの熱風を、全身に浴びた。

 三角の領域の風で程々に防げたものの、右目は火傷して見えなくなっていた。

 加えて、足下から魔力――便宜上魔術を使うための力とする――が

 女性はすぐさま気づいた。こいつは、足に刻印した魔術の紋様を焼き潰しているのだと。そして、「自ら意図して」攻撃しているのだと。

 知ったからにはもはや彼女は動揺を隠す事が出来なかった。火事場でも頭のまわる彼女だからこそ、その動揺は一際大きかったのだった。

 とかく火を吹き消そうと、杖を起点とする魔術を以て、強風が足に吹くように周囲の大気に促した。

 魔術師は一層力強く、頼りの杖を握り締める。杖をどれだけ握ろうとも魔術は強くも弱くもならないのだが、彼女を襲う焦燥と恐怖は、この場においてはその事を忘れさせているようである。

 そんな彼女の熱意に応えてか、これまでより更に強力な風が、屈強な彼女の肉体に負荷を与えるほどの強さで生じた。

 骨の軋む音、厚い胸や背中から響く数々の破れ千切れ砕ける音などに気取られる事無く、女性は一心不乱に術を行使していた。


 しかし、強い風が足元にびゅうびゅう吹こうとも、火は一向に消えず、とうとう皮膚のさらに奥を焼き焦がし始めたのだった。


 神経が軒並み焼き切れゆく激痛に耐えられず、女性はいやに野太い喘ぎ声を上げた。

 途端、足場の陣に一本の罅が生じた。

 それはほんの僅かに円を切る程度の、目立たぬ裂け目であった。

 だが、無からこの魔術を成り立たせる役割を担う、ある種数式とも言えるこの魔法陣にとって、円が切れる事は死に直結する大事であった。

 その裂け目から、風とはまた異なる流れが外へと放出された。

 刹那、女性は使役していた風の統御を失い、それまで抑えつけていた光の奔流にあっという間に呑まれた。

 じゅぅ、という生々しく奇妙な音が、爆音と風の音で喧しいこの場にて、はっきりと響いて聴こえた。

 聴こえてしまったのだ。

 かの弟子が小さい悲鳴を漏らす。本来は、臆病を集団に広めるこの者を咎める上官がいたのだが、今やその人物は眩き死の中にあった。


 ゆるしてくれ。


 最期に聞こえた、耳を劈くような断末魔もまた、今なお奮闘している魔術師達の心に恐怖を染み込ませていった。



 

 女性だった影が、光の中で悶えるようにして動いている。もはや抗う声はなく、動きに意思がなかった。

 それはもう、光の流れに揺さぶられているに過ぎなかった。

 足は既に形を失い、ぼろぼろと塊をこぼしている。筋のようなものがほつれて散っていた。

 杖はその両腕と共に白みがかった黒に変化していき、遂には見えなくなった。

 顔と思しき崩れた黒楕円の影は、片目にあった黒が光の色になったり、口より大きな穴が現れたりしつつも、最後は静かに「光の源」の方へと倒れ込み、塵も残さず消えた。

 程無くして、魔術師達を束ねる存在でもあったその女性だったものは、完全に消え失せた。



 恐怖が魔術師達を発狂させる直前、彼らが「光の源」と定めていた揺らめく赤い影が現れた。

 同時に光の奔流がぴたりと止まり、その影に残さず逆流していった。

 時が経つにつれ、影の髪色と瞳の色ははっきりと現れてゆき、細かな顔立ちも形成されていった。

 そうして現れたのは、赤銅色の髪と浅葱色の瞳を持つ、見る者の意識を持って行く美貌の女性であった。

 それは、魔術師達と、彼らに殿(しんがり)を押し付けた仲間達の「天敵」の姿に酷似していた。

 先程とはまた異なる恐怖が、指導者亡きこの殿を包んだ。


『此の私は単なる影――哀れなお前達を屠る、死の影だ』「影」は、開口一番にそう言った。

 芝居がかった口調で、かつ冷たくも厳しき響きの声は、彼ら一人一人を心底恐怖に震わせ、なけなしの戦意を残さず抉り取っていた。

 「影」はその様子を無関心そうに見つめていた。少なくとも嗜虐的な感情は見えない。

『先の者はわけあって見せしめに殺した――が、お前達に関しては、振る舞いと返答次第でその処遇を一考せぬ事もない。例えば、武装を解き、必要最低限の術式を展開し続ける、とかな』

 次いで、「影」が口角を上げて提言すると、魔術師達は、戸惑いながらも纏っていた風の防壁を解いた。

 そうして残されたのは彼らを支える真円の足場のみである。その光は、術者達の慄きに感化されたらしく、煌々とした光明から脆弱な輝きにまで劣化していた。

『よろしい。では交渉を始めようか』

 時折風に揺らぐ「影」は、不敵にその笑みを深めて、戦意無き魔術師達に一歩、二歩と近寄って行った。




 程なくして、煌々として在った幾人かの光とまばゆい「影」は忽然と姿を消した。


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以下の文章は、某国の政府機関幹部が記した備忘録の一部を抜粋したモノである。



「……以後、この人々――便宜上「離反者(ノンナグレ)」と呼ぶ――に関する記録は殆ど検閲と修正に塗れており、彼らがかつて所属していた国の調査機関、通称「調査団」の名簿に至っては、除名扱いとなっている。

 そして一様に、国王院内での最終配属先は「国王院特殊魔導支援部七課」となっている。その部署は、その国の政府組織である国王院の報道部の公式見解では、「非常時に置いて便宜的に用いられる架空部署名」とされている。また、その中の三十数名は「原因不明の疾病により停職中」となっている。


 報道部の見解発表から半年後、当時の調査団団長に反駁して、同じように消息を絶った元国王院幹部の無垢金枝二等位魔術師(=上から5番目の権力と高い魔術技能を持っている魔術師)ネゲルテューア=アンツィア=ヘーレイ女史の墓が、彼女直属の部下にして、唯一実力で調査団から国王院に復帰した英傑ダンウィー=N=フェンシウス卿によって造られた折、卿が国王院関係者に、離反者の一部は既に死亡しているか明記する事すら憚られる末路を辿っているという事実を発言した。この一報により、先にあげた三十数名の死亡が確実視された。

 残りの十数名に関しては、国王院内でも自由な発言が許されている身分にあっても尚、フェンシウス卿は明かさずにいる。そして、離反者が最後の調査に赴き、その骨を埋めたであろう最後の地「根の島(リゾマティア)」については、「何度死んだとしても教えはしない」と言ったきり、誰にも詳細を明かしていない。



 フェンシウス卿が服毒死でこの世を去った現在、彼らの消息は途絶したに等しいとされているのである」



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