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【作戦その三・人間観察】
「おいおい。こんなところに隠れてないで、早く避難し無くて良いのか。本館一階で火災発生だぞ」
俺達は火災探知機が作動しても尚、避難せずにまだ同じ場所に居た。
「何、馬鹿なこと言ってんのよ。革靴が片足だけ無くなってて、困り果ててる哀れな姿を、この目に焼きつけないでどうすんのよ。何の為に、革靴を集めて来たと思ってるのよ」
だから、お前は何もしてなかろうが。
「でも、本当に火事だったらどうすんだよ」
「あんた、不思議に思わないの? 私たちが今まさにいる場所が、本館の一階よ。なのに煙すら見えていない。可笑しいと思わない、あんたの脳味噌どうかしてんじゃないの? どうせ、避難訓練か何かでしょ」
確かに、冷静に考えればここが火事だと言うのは可笑しな話だ。なのだが、そこまで言わなくても良くはなかろうか。
「来たわよ」
昇降口付近が次第にざわつき始め、教員の指示の下、学生たちが学校というものから吐き出されるようにして、全学年の生徒が校舎から出て行く。
さすがに、学生生活を送る上で通らざるを得ないビッグイベント。緊張感の欠片もなく、お喋りをしながら、だらだらと溢れ出てくるその姿は、訓練の成果であるとは、とてもじゃないが言い難い光景である。慣れという人間の最も醜い姿の集大成であると言えよう。
ただ、昨日のホームルームで避難訓練があるなんてことを言っていただろうか。まあ、あの担任教師なら言い忘れるぐらい有り得るか。
小学校の頃、口元にハンカチを当て、防災頭巾を被り、押さない、駆けない、喋らないの押さない、駆けない、喋らないのおかしを胸に掲げて避難していた、あの頃を今一度思い返してみるといい。
そして、これも避難訓練の成果なのか、上履きでそのまま校庭へと出て行った為、下駄箱の中の革靴なんて目をやることもなく、あっと言う間に通り過ぎていった。
「これが見たかったのか?」
俺は、逢坂に嫌味っぽく言ってやった。一矢報いるとはこう言うことを言うんだろうなと、この小さな反撃に対し、俺は俺を過剰に褒め称えよう。良くやったな――と。
「ふん。さっさと、屋上に行くわよ」
【作戦その四・革靴の放り投げ】
「なあ、一つ聞きたいんだが。良いか?」
「なによ」
「屋上の鍵、持ってるのか?」
「屋上って鍵掛かってるの?」
「おいおい、当たり前だろ」
屋上が自由に解放されているのなんて、漫画やアニメの世界の話だ。実際は、事故や事件など危険が多くそれらを防ぐために、自由に屋上を解放するなんてことは在り得ないのだ。
「まあ、そんなもの行けばどうにかなるわよ。今の私は、誰にも止められないわ」
そんなこと行ってどうにかなるわけ――なった。
「何で、開いてんだよ」
一体全体どういう理屈でこういう展開になったのかはいざ知らず。だが、そんなことはどうでも良く、屋上の扉の鍵が逢坂の都合良く施錠されていた、というその事実だけが大切なのだ。普段なら危険だからという理由で絶対に有り得ないのだ。それが逢坂の都合良く、若しくは俺の都合悪く開いているのだ。
「ほらみなさい」
さっきのことをまだ恨んでいるのだろう。ざまあみろと言った具合に、俺を見下しているその顔が無性に気に食わない。さらば、俺の小さな反撃よ。
そして、屋上から校庭を見下ろすと、そこは人で溢れ返っていた。
まあ、非常ベルが鳴っているのだから、当然と言えば当然の結果だ。むしろ、可笑しいのは報復行為の為だけに――いや、超報復行為とやらの為だけに避難訓練にも参加せずに、屋上にいる俺らの方だろう。
「舞台は整ったわ。天気良し、風良し、空気良し。絶好の靴飛ばし日和ね。さあ、思う存分にやりなさい」
「よしやるか、って出来るか」
「なに、あんた。ここまで来て。まさか、ビビってるの?」
「そんなわけないだろ。俺が言いたいのはだな――」
悪かったな。
正直、ビビってるよ。
俺が経験してきた人生で何よりの大舞台だ。
ビビらないなんて言ったらそんなの嘘になるに決まってる。
「ねえ、あんたはこういうこと考えたことない? 自分を中心に世界を廻してみたいって」
「え……?」
逢坂は、唐突にそんな話を始めた。
「でも、そんなの待っているだけじゃ、無理だなんてことは誰にだって分かることなのよ。私は、それを理解できる程に大きく成長してしまったわ」
俺は、驚いていた。逢坂もかつての俺と同じことを考えていたからだ。
「だから私は、世界を自分で創ることにしたの。これは、その理想への第一歩なのよ。見てみたいと思わない? 一瞬でも、世界が私たちを中心に廻るその瞬間を――」
俺の額を目がけ、人差し指をビシッと突き刺し出した。頭の中に霞んでいた霧が晴れ、世界を照らし出したようだった。
逢坂は、明らかに可笑しなことを言っている。だけど、何故だか、それに共感できる自分がそこにいた。誰かが少しだけ手を加えて面白い世界を演出しているという摂理を知ってしまった。それと同時に、自分の信じていた世界は壊されてしまったと思っていた。
けれど、それは違った。
もしかしたら、まだ、俺は――夢を見ても良いのだろうか。
「なあ。俺はサンタクロースとか、戦隊ヒーローとかになれると思うか?」
突然聞いてみたくなってしまった。
何故、こんな馬鹿なことを聞いたのかは、俺自身にも全く分からない。こんなことを聞けば、馬鹿じゃないのと笑われるような質問であることぐらいは俺も理解している。
けれど、逢坂は笑わなかった。
笑わなかっただけでなく、俺にこうも言った。
「何言ってんのよ、当たり前じゃない。子供の頃に大人たちに見せて貰った世界を、今度は大人になった私たちがその世界を子供たちに見せる。それは何も大人から子供だけに限られた話じゃなくて、子供から子供でも、大人から大人でも良いの」
そして、逢坂はその場で両手を広げて、グルリと回って見せる。
「世界はそういう風に出来ていて、そういう風に廻っている」
その言葉を聞いた俺には、不思議と迷いが消えていた。
俺は、てっきりそれは、失くしてしまっただけだと思っていた。
だけど、それは違ったのだ。
いつも俺の傍にあったのに、いつしかそれを俺が勝手に見なくなっていただけなのだ。当の昔に失ってしまった世界や夢を取り戻す――なんて、言ってしまうと少しばかり大袈裟に聞こえてしまうかもしれないが、俺は今初めて自分の気持ちで、動き出そうとしているのかもしれない。
大量の革靴の入ったベッドシーツをその手にして。




