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036

 まだまだこれから暑くなるであろう夏の太陽を背に、ひしひしと暑さを感じながら緩い坂を汗水多量に掻きながら登って行く俺。学校に着くと、暑さをものともしない逢坂が、退屈そうに頬杖を付いて、窓の外側の景色をぼんやりと眺めている。


 そんな逢坂を見るや否や、俺はどうでも良いような話題を一つばかし提供をする。その話題に対して二つ、三つと返答をする逢坂を前に、こんなに暑いのによくそんなに話すだけの元気が有り余っているな、なんて思う。


 俺と逢坂が他愛もない会話をしていると、能然が騒ぎ立てながら走ってやって来る。どうやら、また新しい七不思議が出たそうで、言いたい癖に、聞きたいだろと無駄なやり取りを一度挟む必要性はあるのであろうかと、能然に新たな研究項目を見出してみる。


 そして、俺はこう答える。

 話したいなら、聞いてやってもいいぞ――と。


 能然の話に耳を傾けると、なんでも昨日の夜、空に鉄道が飛んでいたのを見たって奴がいるらしい、なんて話をしてくる。あの夜、あの場にいたのは俺と逢坂と東雲しかいなかったはずなのに、なんでそのことを能然が知っているのだろうと疑問に思いながらも、そんな夢みたいな話があるわけないだろと、その場にいた張本人である俺は言う。


 そして、能然の騒々しさに痺れを切らした逢坂が吠え、教室に担任教師である柊木戦士が入って来る。それに続いて、橘が少し遅れて登校し、土下座をする――なんてことのない一日の始まりだ。


 授業を終え校門を抜けると、東雲がいそうな気がするなと辺りを見回してみると、やっぱりそこに東雲はいて、今度は何が起こるんだと呆れながらも、何が起こるのだと胸を躍らせながら、俺は東雲の話を聞く。


 次に逢坂が眠りに着く時には、きっといつもと何ら変わらないこんな世界が待っているはずだ。それまでの暫しの別れってもんさ。


 こっちの世界では――な。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 私がゆっくり目を開くとそこは、消毒液の匂いのする真っ白な天井だった。


「逢坂さんが意識を取り戻しました」


 私が目を開いたと言うだけで、辺りは何故だか慌ただしくなった。なんだか頭がぼんやりとして何も考えることが出来ない。体を動かそうにも、なんだか体が重たい。


「朱音」


 聞き慣れた様な声が聞こえて来る。この声は、確かパパとママの声だ。真っ白な天井しか見えなかった私の視界には、視界一杯にパパとママの顔を覗かせた。見慣れたはずのその顔さえなぜだか懐かしいと思える。


「本当に良かった」


 ママは、私に泣きながら抱き着いて来る。そして、パパはその場で目に手をあて泣き顔を隠しているのが見える。


「……大袈裟ね、パパもママも」


 声を出すのもやっとだった。


「本当に死んじゃうと思ったんだから」

「……私が?」

「朱音、お前は学校の屋上から飛び降りたそうだ。青年が居なければ即死だったそうだ」


 私を助けた青年――そして、その時の映像が脳裏にフラッシュバックして蘇る。屋上にいる私。グラウンドに集まる人だかり。私を助けようとする青年。薄れゆく視界で最後に見えたのは、真っ赤な光景だった。


 思い出した途端、私は涙を堪えられなくなった。そうだ、私はこの世界で生きていくことを諦めたんだった。何もかもが嫌になって、誰にも出来ないようなことをすれば世界が変わるんじゃないかと思って――そして、私は屋上から飛んだ。


 私は、ふと一つの名前を思い出した。


「……如月神樂」


 思ったことを口から溢すように言った。


「そうよ、如月君が朱音を救ってくれたのよ」


 ママは、そう言った。確かに、私はその名前を知っている、けれど、特別仲が良かったと言う記憶が無い。と言うより、そもそも私には友達が居なかったんだった。席替えで偶々前の席になったのが、如月神樂だったと言うだけ。


「如月君がお前を庇ってくれたんだ」


 パパはそう言った。

 如月神樂は、毎日の様に私に話し掛けて来た。それこそ、他愛のない話だ。鬱陶しいから話しかけないでと強がってはいたけれど、本当は私にはそれがとても嬉しかった。毎日、その短いやりとりだけが唯一の楽しみだったと言っても過言では無かった。


「……如月神樂は?」


 私はか細い声で聞く。

 しかし、パパもママも何も答えてはくれない。それどころか、私に目を合わそうともしてくれない。さすがに私もそれがどう言うことを意味しているのか分かる様な歳になっている。つまりそれは、そういうことだ。


「……嘘」


 私は大きく目を見開いた。

 そして、私の眼からは涙が止めどなく押し寄せて来た。どうして私なんかの為に自分の命を犠牲に出来るのか私には分からない。私なんて生き延びる価値なんて無い。どうせ、誰の役にも立てやしない。


 その時、脳裏にあいつの言葉が過る。


 俺が――俺が、創ってやる。お前が心から笑える世界を俺が創ってやる。だから、逢坂も自分の創りたい世界を創れ。


 そっか、この世界はあいつが私が心から笑えるように創ってくれた世界なんだ。あいつ、ちゃんと約束守ってくれたんだ。だったら、こんなところで私が泣いてちゃ駄目じゃん。


 私は、重たい腕を上げ涙を拭き、小さく笑った。

 だってここは、あいつが私に創ってくれた――私が笑える世界なんだから。


 あれから、一ヶ月が過ぎた。


 あらゆる検査を受け、問題が無いと判断された私は、意識を取り戻して一週間後、退院した。その翌日から学校へも行くようにした。当然、あれだけ大逸れた事件を起こしたんだから、私を見る目もそれなりに厳しいものだった。


 けれど、今の私は昔とは違って頑張ることが出来る。頑張りたい理由がある。だから、今度は私が私の創りたい世界を創ってやる。あいつと一緒に笑えるような――そんな世界を。


 今日は、転校生が来るらしい。 

 友達になれるかしら。最初の一言目は何て話そうかしら。やっぱり、第一印象は大切よね。だったら、海馬に焼き付ける様な強烈な一言を浴びせてやる方が良いのかしら。


 そんなこんなしている内に、教室の扉がゆっくりと開かれる。

 こうして、今日も世界は新しく創られていく。



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