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「また、逢坂は欠席か。居ないとは思うが、誰か欠席の連絡を受けた奴いるか」
居ないとは思うが、なんて言葉を教師が言って良いものなのか。この言葉って、大体悪い事をした時に使われる言葉だよな。このクラスには居ないとは思うが――とか何とか言って、大凡の見当は付いている癖に。
ただ、やはりと言うべきか、柊木先生のその声に反応する生徒は、誰一人いない。それも、そうだろう。逢坂自体、高校生活が始まってから今まで一度も登校しに来たことはなく、一年生の頃に一度顔を出してそれ以来欠席し続けているらしいのだ。
だから、実際に逢坂の顔を見た人間は誰も居ない上に、始業式にも出てないと言うこともあり、どんな人間なのかを知る者は、全くと居ないのだ。それなのに、周囲からは様々な憶測を交えたであろう情報――と言うより、噂話が蔓延していた。
日本で治療するのするのが難しい難病でアメリカの医療機関で治療に専念している病気説や、親が多額の借金を抱えその借金返済の為に夜の仕事をさせられている借金説や、家に引き籠ってオンラインゲーム三昧な日々を送っている引き籠り説など、噂話の幅も多種多彩だった。
実に役に立たない情報であることには間違いないのだが、ただ分かることと言えば、この学校におけるある意味での問題児であり、無闇に近付かないに越したことはないと言うことだろう。
まあ、別に事の真相を確かめる為に興味本位で逢坂に会いたいといった願望や感情は、一切持ち合わせていから、こんな訳の分からない情報であっても何ら問題はない。
本当は、休んでいるだけの理由も、その理由を言えない理由もあるのだろうけれど、そんなことなどどうでも良い事なのだ。俺にとっては、いつもと何ら変わらない日常の方がよっぽど大切だからだ。
一度も会ったことはないが許せ、逢坂。
「じゃあ、ホームルーム終了。一限目の準備しとけよ」
そう言うと、柊木先生は頭をポリポリ掻き、欠伸をしなが退出して行った。
この柊木紅緒と言う教師は、実にいい加減な教師のようで、たかが自分のクラスの一人が登校拒否をしているぐらい、この教師にとってどうでも良いことのようだ。あの様子だと、これといって尽力する気も無いようだ。
こういう問題は、家まで押しかけて暑苦しい説教の一つでもして、生徒を更生させるものでは無いのだろうか。それとも、本当に学校に来れないような事情があって、その事情を予め知っていながら、恰も何も知らない振りを演じているのか。
いや、そんな訳無いか。
だとしたら、こんだけいい加減な人間がどうして教師になったのかという事よりも、どうして教師になれたのかを聞いてみたいものである。これからの将来を考えるとそっとの話の方が実に興味深い。
そして、その後は何事もなかったかのように授業が始まり、何事もなく一日が終わっていく、実に味気ない一日であったと言えよう。放課後は、部活のある能然と別れ、よれよれの上履きから型崩れした革靴に履き替え、だらだら校門を出ていく。
やっと、今日という長い一日終わったという解放感に浸ろうと、伸びをしようとした矢先のことだった。
「明日、学校へ遅刻して来て欲しい」
「うお」
この声が聞こえてきたのは、ちょうど校門を越えたところだっただろうか。あまりに予想だにしないところから声が聞こえて来たもので、情けない声で驚いてしまった。
能然の声ですら振り向かないというのに――いや、能然だから振り向かないのか。いや、そんなことはどうでも良い。能然の事よりも、人に遅刻をするように促してくる奴の顔を見てやらなければならない。
勢いよく振り返るとそこには誰も居なかった。そこに在るのが当然の様に校舎が在るだけだった。もしかしたら、俺の気の性だったのかと思い掛ける頃に、再びそれは聞こえて来た。
「もう一度言う。明日、学校へ遅刻して来て欲しい」
校舎へ向けたその視線をゆっくりと下へ降ろしていくと、そこにいたのは見たことのない小柄な少女だった。どうやら、この少女に俺は明日遅刻して来いと言われていたらしい。
この少女の制服姿を察するに、同じ高校に通っていることが分かる。俺の通う高校はブレザーに着けるリボンの色で学年を分けており、赤が三年生、緑が二年生、青が一年生となっている。この少女のリボンの色は、緑色をしているのでどうやら同学年らしいのだが、同じ二年生では見た記憶がない。
ただ、他人に無関心な俺の記憶なので、自分ですらそんなに信用することも出来ない。
すらっとした容姿に、整った顔立ちで、短い髪の、文庫本でも読んでいそうな、決して他人に明日遅刻をして来いだなんて言わなそうな、大人しい印象を受ける少女だった。
これ程の美少女に声を掛けられるなんて、まだまだ俺も捨てたもんじゃないらしい。なにか気の利いた、小洒落た返答をしてみようと考えてみるも、恋愛経験の乏しい俺の考える小洒落た返答はこれが限界だった。
「新しいナンパか、なにかか?」
「明日、学校へ遅刻して来て欲しい」
おいおい、俺の小洒落た返答は無視か。まあ、出来が良いわけじゃないから別に良いんだけど、ここまで徹底的に無視されると、それはそれで傷付くものだ。それなら、普通に答えよう。
「何で、見ず知らずの奴に、わざわざ遅刻をするよう頼まれなきゃいけないんだ」
「それが世界の始まりだから」
何だよ、世界って。何だよ、始まりって。訳が分からないことが大量に押し寄せ過ぎなんだよ。どれか一つだって、手に余るってのに。そもそも、この少女一人で手一杯だ。
「ちょっと、待て。一体、何の話をしているんだ」
俺のそんな言葉に少女は、軽く俯きどこか遠くを見ているような冷たい瞳を見せた。そんな表情を一瞬見せたと思ったら、くるりと反転し、もう一度同じことを言い放ち、俺に忠告するようにその場から去って行った。
俺は茫然としながら去り行くその背中をぼんやりと見えなくなるまで眺めていた。少女が目の前から見えなくなると、あれは夢だったんじゃないのかとさえ思えたが、残念ながらあれは現実に起こったことだった。
なんだったんだ、今の。
心の中に浮かんだこの疑問を解決出来るはずも無い俺は、初めからあんなやり取りなど何も無かった、そもそも校門で少女に遭ってなどいないと言うことにして、家路へと着くことにした。




