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017


 六月に入り、東アジア特有のジメッとした梅雨と呼ばれる気象現象が、体に纏わりつくように襲いかかって来る。気象学上では、春の終わりであるとされており、それと共に夏の始まりとされるそうだ。


 だが、これを夏と呼ぶには、些か気が早すぎるのでは無いだろうかと思うのは俺だけだろうか。


 夏なんてものは、暑ければ夏。暑くなければ夏ではない。その程度の認識で十分ではなかろうか。とは言っても、梅雨にも梅雨独特の暑さというものがあるが、これは夏とは認めてはいない。


 なぜなら、そこには太陽がないからだ。太陽の隠れた夏なんて、俺は断じて認めん。それに対する異論も認めん。


「そう言えば、今日梅雨入りしたんだってな」


 いつもの様に逢坂に話題を提供する。いつもの様にと言ってしまうようになっている自分に気づくと、少しばかり不思議な気持ちになる。今やこれが日課となっているのだから、何があるか分からないものだ。


「もう、最悪よ。髪は纏まらないし、ジメジメするし、暑いし、怠いし、私病気かも」

「六月病か」


 俺は、何となく答える。


「あんた、それ意味知ってて使ってるの?」

「五月病の延長とかじゃないのか?」


 逢坂は、深い溜め息を付く。


「新人研修を終えて、職場に配属された新社会人が、生活が急変したことによって起きる適応障害のことよ。主に、精神的症状や発熱や、頭痛などの身体的症状があるそうよ。まあ、要するにヘタレね」


 社会人のしの字も知らないような学生にヘタレ呼ばわりされているとは、六月病の諸君は、思ってもいないことだろう。社会人のしの字も知らない学生の俺から一言だけ助言が出来るとしたら、この一言に他ならないだろう。


 頑張れ。


「そんなこと良く知ってるな」

「淑女の嗜みよ。当然でしょ」


 そんな無駄な知識より、磨くべき淑女としての嗜みはあるんじゃないのかと言ってしまうのは実に容易なことなのだが、その後の自分のためを思い、言うのを止しておくのが正解だろう。


 俺に救われたな、数秒後のあったかもしれない未来の俺よ。


 そして、流れというものにはなぜかお決まりと言えるようなパターンがあり、この流れから行くといつものあいつが、いつものよう騒ぎながらにやって来るような気がしてならなかった。


「ビッグニュース、ビッグニュース」


 やっぱり。


「なんだ、また七不思議か」

「そんなにしょっちゅう増えるかよ」


 いつか、俺がこれをわざと言っていることに気付いて貰えるその日まで、このスタンスを貫き通してみるとしよう。そして、能然がどうのようにして成長していくのか見届けてやろう。


 そもそも、成長するのか分からんが。


「じゃあ、なんだ?」

「明日、遂にディストリガーの発売だぞ。浮かれない人間なんているわけないだろ。ああ、待ちに待ち焦がれた。待ち遠しすぎて燃え尽きそうだぜ」


 いっそ、燃え尽きてくれ。

 ディストリガー。


 そう言えば、何か忘れていることがあるような。動く物陰に釣られる様に、何気なくそれを目で追うとゆっくりと着席する東雲が視野に入り込んできた。


 そして、背筋に走るいつもの悪寒。


 この世界がゲームの世界となる――俺は思い出した。今日は、六月五日。東雲の言う通りなのであれば、この世界は俺の見知った世界に別れを告げ、ゲームの世界になるそうだ。


 一部の非現実主義者からは、面白そうな話だと支持されそうではあるが、如何せん正気の沙汰とは言い難いものだ。しかも、それが明日の六月六日に起こるというのだから、慌てようが騒ごうが、もうどうしようもないのだろう。


 俺は、取り分けゲームが好きというわけではない。幼稚園や小学校の頃は、共通の話題があるというのはとても重要だった。同じテレビを見て、同じ本を読み、同じ遊びをする。


 理由は簡単だ。

 仲間外れにされるからだ。


 子供の頃と言うのは、皆と違うということに関して非常に敏感だった。なんで、あのテレビを見て無いの。なんで、あの本読んで無いの。みんなと同じを持っていないと遊べないのだ。


 それは、ある点で大人よりも厳しい世界だったのかもしれない。

 だから、ゲームもその友達との付き合いの為にやっていたようなものだ。だけど、いつしかゲームというものから少しづつ遠ざかって来た。多少なりとも、大人に近づいているということなのだろうか。


「あんたの声、五月蠅すぎて耳がキーンってなんのよ。喋らないでくれる」


 そして、後方の獅子が吠える。


「いつもなら逃げです所だが、今日の俺はいつもの俺とは一味も二味も違うぜ」


 と、いつもなら一目散で逃げる能然だが、確かに今日の能然は一味も二味も違うようだ。まさか、これが成長と言うものなのだろうか。もっと、感動的なものが込み上げて来るかと思ったが、今一つ響いて来ない。


 これは、ノーカウントと言うことにしよう。


「あんたみたいなゴミ人間を食したことなんて一度もないから、あんたがどんな味なのか知らないし、知る気もないわ」

「食される気もねえよ」


 いつだかの逢坂に狩られそうになっている能然を思い出す。


「おら、席に着け。近くに休みの奴はいるか――」


 そこからは、何ら変わり映えのしない一日だった。


 無難で、平凡で、退屈で、なんてことのない日常。だけど、それでいていつもと同じという安心感。日常がこんなに幸せだとは数か月前の俺には分からないだろう。


 そして、俺は、今日の授業を全部費やしあることを考えていた。

 もちろん、明日起こるというゲームの世界になるという話のことだ。


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