第2話 「廊下での攻防」
若草色の制服の胸元に拳を当てて二人の軍人がドアの前で黙礼をする。退出の意を表すそれは、中にいる彼らの上官の声で許可された。それに短く返事して、両開きのドアを2人のうちの背の高い方が静かに閉める。
黄金に輝く髪は男性にしては長く、緩く結われて一房にまとまった毛先の束が右肩に触れている。黙礼をやめた瞼の下からは空をうつした様な青い眼。すっきりと通った鼻梁と薄く形の良い唇。微かにほほ笑みを浮かべる様は、まるでどこかの王族の姿絵から飛び出してきたかのように気品があった。そのゆるくカーブを描く口が動くまでは。
「意外でしたよ、トワちゃんがこの指令を受けるなんて。あんなクソみたいな王子様、君なら切り捨てそうなのに。」
語尾が甘い低音は敬語から始まり下賤な揶揄のあとに皮肉で締めくくる。トワは王子をクソ呼ばわりすることを注意するべきか、自分の名前の不快な敬称付けを訂正させるべきか迷いながら、台詞が言い終わる前に右手を動かしていた。腰に下げた愛用の銃器は、いまどき珍しい旧型で、一度の補充で6発しか打てない回転式リボルバータイプのものだ。その銃口を後ろに立つ男の額に瞬きの間で突き付けながら、ゆっくりと口を開く。
「ジープ、その煩い口を今すぐ閉じろ。お前は今の発言を含めすでに二回、王族に対する不敬罪で首が飛んでいる予定だ。次にもし私の名前に不要なものをつけて呼んだら、この手であの世へ送ってやろう。」
耳にかかる程度に切りそろえられた黒髪と闇を閉じ込めた瞳。夜の風のような冷ややかな眼差しで話す声は高くもなく低くもなく不思議な音だ。男性の平均的な身長より幾分低いものの、銃器を扱う動作は手慣れたもので、戦場に身を置く人間に相応しい殺気も持ち合わせていた。
「おやおや、そんなに怒らなくてもいいじゃないですか。久々の再会を喜んでくれないなんて、寂しいよトワちゃ―――。」
ジープと呼ばれた男がおどけた口調で言い終える前に砲煙が一つ、ゆらりと天井へとのびる。室内での発砲を考慮してか、音消しする細かい芸付きだ。
「っち。」
しかし、トワの発砲した弾は標的に当たることなく地面に真っ二つに割れて落ちた。ジープが細い剣で一刀両断にしたのだ。男は腰や肩に剣を帯刀していたわけでもなく、それは突然合わられたようにも見えた。その理由をトワは知っていた。。笑みを浮かべたまま男は楽しそうに手の中の柄を握り直して、何かを呟いた。歌詞のない詩のような短い言葉とともに、剣は淡い光を纏って消える。男の愛刀が【風の眠り子】が宿ると言われる稀少な剣だからだ。強く吹き抜ける風のように一瞬でその刀身を露わにし、対象を切りつける。この世界でも一本しかない刀剣の一つである。元々、その剣の持ち主はジープではない。彼がその剣に触れる度、トワはどうしようもない気持ちになる。
「まだ、許してくれないのかい?それとも僕がいなくてさびしかった反動かな。こんなお転婆になるなんてね。」
「ジープ、なぜ今回の王子の家出騒動に関与する?何が目的だ。王族嫌いで有名なお前があの方の頼みを素直に聞き入れるとは思えない。」
半分本気だったが威嚇射撃に意味がないことにため息をついてトワは銃を下ろすと、ジープの青い瞳をじっと見つめた。
「失礼だなぁ。上官命令には忠実ですよ、トワちゃん。5年前も今も。君も知っているでしょう?」
「・・・命令なら、誰でも殺すのか?」
肌がぞわりと粟立つ。一瞬だけすっと表情を無くしたジープがそれに気づいてくすりとまた笑みを浮かべ直す。そしてくるりと踵を返すと廊下を歩き始めた。
「そうだって言ったらどうするの?どんな返事がきても困るくせに、辛いならどうして聞くのかな。君は相変わらず可愛いね。」
「誤魔化すな。目的は何だ?質問に答えろ!」
その背中を追いかけながら、トワは隣に並ぶとジープの顔を見上げて更に問う。少し荒げた声だけがトワの心を如実に表していた。
「じゃあ、今日こそ僕の部屋においでよ。ベットの中でなら口も軽くなるかもしれないよ?」
何度か繰り返して聞きなれた文句にトワの表情筋が珍しく動く。微かに寄せた眉間のしわを見て、ジープが喉を鳴らす。猫のようなその仕草がトワは嫌いだった。五年前、突然姿を消し、再会した彼が最初にトワをみてしたことだ。上から下まで舐めるように眺めてくつりと喉奥で笑うジープが、まるで知らない人のようで怖かった。
「私は男だと何度も言っている。馬鹿にするな。」
幼少期を共に過ごしたジープが豹変して戻ってきた時の、あの心にぽっかり穴が空いた場所に冷たい風が吹き込んだ気がした。
「君だって、僕のことを馬鹿にしないでくれないかな。誤魔化しているのは君の方だろう?」
かつかつと踵の厚い軍支給のブーツがやけに重く感じる。これから先、少なくともナキア王子を捕獲するまでこの男と行動を共にしないといけないなんて、トワは近く迫る出立の日を憂鬱に思う。
「もういい、お前とふざけている暇はない。これで失礼する。出発は三日後、東門口の前、太陽が真上を照らす時刻だ。遅れるな。」
これ以上不毛な会話を続けるのも面倒になり、それだけを言い捨てると丁度左右に分かれた道をジープが向かうであろう場所とは逆に歩き出す。そちらはトワやジープが寝泊まりしている寄宿舎とは逆方向だったが、この足で旅の身支度を済ませてしまおうと予定を変更する。
出発は三日後。それまでにやることは山積みだ。前を向いて歩き出した背中をジープがじっと見つめていたこと、その眼が笑みを浮かべずただ青い光を微かに揺らめかせていたことを、トワは知らなかった。