知らん
「ジンバブエに家を買う?」リリィは馬鹿にしたような目をニコラに向けた。普段から冷静沈着悠々自適を信条にしている彼女にとってこの反応は大変珍しい。
「そんなに悪いことかな?挑戦の程度としたら中の上くらいだと思うけど。」
悪びれずに答えるニコラの態度に彼女はなおさら苛ついたようで、より強い言葉で僕を叱責する。
「頭がおかしいんじゃないの!?お金を使うにしても、もっとまともなやり方があるでしょ。全ての働いている人とジンバブエで家を持とうと働いている人に失礼だよ。五体投地して謝りなよ。」
「そこまで言わなくたって良いじゃないか。僕の稼いだお金をどんな風に使おうとかってだろ。君のお金じゃない、僕のお金だ!それとも君はマルクス主義者なのかい?そんなのまるで敗北者じゃないか。」
売り言葉に買い言葉、ニコラも知れず感情が高まってしまったようで、彼の恋人にこれまで囁いたことのない口調で反論してしまう。
お互いが意図しない衝突は一度転がった石ころのように坂が終わるまであらぬ方向に転がり続ける。そこには秩序も理性もない、あるのは止めどないする感情と止まるきっかけを相手に求める信頼だけである。
「敗北者ですって!?人を侮辱するのも大概にして頂戴。私はニコラ、あなたの馬鹿げた浪費を咎めているの。だいたいあなたジンバブエの場所がどこか知っているの?楽器の一種じゃないのよ?」
「場所は、知らないよ。ただ、首都がハラレで人口が約1200万人、鉱産資源が豊富なのは知ってる。それだけ知っていれば十分なんじゃないか?」
「知ってるでしょう、ニコラ。私そういう聞きかじりの知識だけで全部を知ったような振りをする人が大嫌いだって。そんなネットで引けばすぐに分かることをこれ見よがしに披露するのは知らないと一緒。」
リリィはハーバード大学の理学部で毛虫の生態構造と宇宙の暗黒エネルギーとの関連を研究しているインテリ中のインテリだ。ニコラも世間一般で言えばインテリなのだけど、いつもリリィのインテリジェンスに引け目を感じていた。
「オーケー。分かった。確かに君は正しい。君はいつも正しい。僕たちが小学生だったときからずっと変わらない。労働者とジンバブエ国民とマルクス主義者には謝ろう。だけど、ジンバブエに家を買いたいというこの気持ちだけはニコラ、いくら君にだって否定させない。」
「どうして?私は分からないわ。どうしてあなたがそんなに意地になってまで遠い異国の地に家を持とうとするなんて。」
転がる石はその形が歪であればあるほどあらぬ所で止まる。それが不幸な結末であれ、幸せな大団円であれ。
「だって、中学の時言ってたじゃないか。」ニコラは急に落ち着きを取り戻した口調で彼の彼女に語りかけた。「将来アフリカの地で文字の読め無い子ども達に教育を受けさせたいって。今まで黙ってたけど、実は僕こっそり教員免許を取ってたんだ。以前君が記念日なのに僕がミシシッピ川に一人旅をするって言ったから喧嘩したことがあっただろ?あのときは教育実習に言ってたんだ。今更だけどごめんね、リリィ。」
ニコラの言葉にリリィは唖然としていた。しかし、雪が暖かい日差しで溶けていくように彼女はいつもの、いつも以上の優しさあふれた顔で笑って言った。
「馬鹿。ほんとに子どもの時から勝手なんだから。でも、ほんとにずっとあなたは私のことで一生懸命になってくれるのね。」恋人をなじる彼女の物言いには震えていて恋人の耳には最後まで聞こえなかったかも届かなかったかも知れない。
「リリィ、今だから言う。聞いてくれ。僕の幸せを君の幸せにして欲しい。遠く離れた土地で僕と一緒に幸せを紡いでいってくれないか?僕とけ・・・」
ニコラは次の言葉を続けることが出来なかった。リリィが彼の唇を塞いだから。
「なんじゃこれ?」昼飯の焼きそば食べながらテレビを見ていたらおかしな番組がやっていた。土曜の昼なんて再放送か碌な番組しかやっていないのだから、素直に吉本新喜劇でも見ておくべきだったかも知れない。
まぁけど面白くはあったかも知れない。
「なぁ、親父この二人って上手くいくと思う?」
僕の隣でつまらなさそうにこの番組を見ていた父に二人の未来は栄光に開かれているのか聞いた。
「知らん。」
親父もきっとジンバブエの場所を知らなかったのだろう。