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清和の王  作者: 才谷草太
熊野軍略
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熊野湛増

 奥の間より、見事な髭をその顎に生やした男が、ゆっくりと現れた。熊野別当湛増その人だろう。

 五〇代半ば過ぎと見えるその外見は、威風堂々としており、貫禄がある。ゆっくりと義盛達を見据えた後に上座へと向かい、同じ床に腰を下ろす。

 「お主等か、儂に用があると言う輩は」

 笑顔も作らず、睨むでも無く、全くの無表情で目の前の者達を見ている湛増。そのある意味異様な男に、与一と巴は少しずつ呑まれていた。

 「お聞きになっているでしょう? 院宣をお持ちしたと」

 義盛も表情を崩さず、湛増に言う。

 「聞いておるが…儂がそれを受ける思うか?」

 「いえ、思いませんね。ですからこれは、院からの宣戦布告とお考え頂きたい」

 あまりに唐突で、全く予定の無かった言葉に、巴と与一は驚愕の表情を義盛に向けた。無論その表情は湛増にも見えており、それが事実か虚実か、理解ができない状況になっている。

 「宣戦布告…お主等たった三人で、この地にそのような物を持ち込むか」

 「院宣を受け取らない、と言う事は、逆賊と言われて然り。この先平家が討ち滅んだ暁には、例え熊野別当と言えども朝敵となります」

 義盛の止まらぬ言葉に、巴と与一は中腰で止めにかかる。


 「義盛殿! 何を申しておられるのか!」

 「その様な話しになるなど、聞いて居らんぞ!」


 止めにかかる二人を、腕で制して言葉を繋げる義盛。


 「かつて栄華を誇った平家。その時勢で正義は平家にあった。だが今は潮の如く、流れが急激に変わっている。熊野別当…主は誰に従い、誰に就くか?」

 「帝はその威を院に奪われ、院は我が権力のみの安泰を望んでおる…。何も変わってはおらぬ」

 「確かに、実権を平家から院へと移しただけ。だがその力を二分するとなれば…?」


 「二分と申すか?」


 湛増は、初めて口角を上げた。


 「西の院、東の武。この先奥州の様に独自治権は淘汰されて行く。武を治るは東の源家、政を治るは西の院」

 「湛顕の言う通り、面白き事をぬかす丈夫か…。武士は朝廷の狗では無く、独立した立場に移ると申すのだな?」


 座ったままで身を乗り出す湛増は、既に笑顔を浮かべている。


 「平家は道を違えた。武の独立ではなく、武を持って政をも行い、果ては力に溺れた。熊野一党は政力ではなく武名を望むと聞いている」

 「言うな、万事承知して居るわ。だが一つ聞こう。平家には知将『知盛』がおる。源家の勝ちは容易くは無いだろう?」

 胸を張り、義盛に聞き返す湛増。別に平家を自慢したい訳では無い。義盛がどう切り返すのか、この男はそれを楽しんでいる様にも見える。その雰囲気は与一にも伝わり、それが巴にも伝わる。

 この頃、湛増自身源家・平家のどちらに与するかを迷っていた。下手に平家に従い、福原の合戦に出ていれば朝敵となっていただろう。反面、源家に就いていれば屋島より知盛率いる平家軍が、この熊野の地に流れ込み、戦になっていただろう。

 だが中立を守っていたが故に、平家を落ちた者達が熊野に参り、姿を隠した者・入水した者が出ている。時勢は既に源家へと流れ始めていた。だが源家に従うという一歩が踏み出せない理由は、屋島に鎮座する知将・知盛の存在だったのだ。


 「遠く無い後の事。鎌倉より播磨を通り、九州への大軍行がある」


 その、湛増唯一の杞憂を払拭する言葉が始まった。


 「九州…だと?」


 「鎌倉殿は、陸路を使い軍行を伸ばす。大手おおて軍として長門へ」

 「無駄やろう、軍行が長すぎる。直ぐに兵糧が付き果て、戦にはならん」

 それでも湛増は、顎ひげを撫でつつ笑みを浮かべる。

 「いいえ、確かに兵糧は尽き、戦には成らない。が、その元に兵糧が届けば?」

 「兵糧があれば戦には成るが、その策はあっての事か?」

 湛増の言葉に、義盛はニヤリと初めての笑みを浮かべる。その笑みで、湛増は悟った。


 「大手を搦手からめてにするか!」


 「門前に迫る大手軍…兵糧が尽きる事を予測しておきながら、過去の度重なる奇襲という幻により、平家側は何か策があると思うでしょう。幻を見る事により、脅威から離れられなくなる知盛は、屋島には戻れない」

 「知将故の落とし穴…か」

 「そこに、我が殿義経を筆頭とした搦手軍が讃岐に渡り、奇襲をかける。恐らくは安徳帝とその警護の丈夫は、讃岐にいる。それらを追い出し、瀬戸内の覇権を奪う」


 つまりは、湛増の杞憂が討ち払われるのだ。背後の平家が居なくなれば、反旗を翻すに異を唱える者も居なくなる。だが、そうなると唯一の判断材料となるのが、その義経軍の力だ。


 「安徳帝警護には、恐らくは教盛がおるぞ? 奴は古今東西、随一の丈夫との声も高き武者や」

 「問題無い、俺が倒す」


 事も無く言い放った義盛に、湛増は再び眉を引き締める。


 「思い上がりか、それとも…」

 「義盛殿は修羅にございます」

 与一がムっとした表情で湛増に言う。すると巴も口を開き、

 「我が良人おっとは一騎当千の丈夫。神の如き秘剣を操り飛来する弓を斬り落とし、また素手で叩き落とす丈夫にござる。強弓で名を馳せる教盛とて、神の業の前には人でしか居れぬ」



 二人の言葉に、湛増は大きく笑った。


 「エエ、分かった。なれば明日、儂の野等と試合って貰おう! お主等が勝てば我等熊野一党、その宣旨に従う」


 満足そうに言う湛増。そしてそれを見た義盛は、切り返しでこう言った。




 「その試合の後、俺が勝てば京の守護代として熊野三山・瀬戸内を治めて貰う。そして我等が屋島を攻略した暁には、その全兵力を以て源家に…朝廷に合力願う」

 「わはは、試合だけで無く、屋島攻略をも条件とするか…面白いのぉ!」




 弁慶の存在を、湛増はまだ知らない。

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