知将と猛将
時は少し遡り、寿永三年(一一八四年)三月。
一の谷の戦いに敗れた平家は福原を追われ、瀬戸内を彷徨う事になる。在る者はこの先の平家に光明を見出せず入水する者、また出家へとその道を求める者。
平清盛の孫でもあった維盛も同様に、先の倶利伽羅峠からの敗戦続きで自信を失い、これまでの総大将の座を清盛の嫡子でもある宗盛に譲り渡した。
維盛には、京に残した妻子があった。他の者の様に都落ちの際に連れ出せない妻子である。その妻とは平治の騒乱時、平氏側に殺された藤原氏一門の娘だった。無常なる政権争いは内部に遺恨を抱き、夫婦をも引き裂く結果となっていた。
更に追い打ちをかけるように病にかかる。妻子共に別離の上敗戦、病にも侵され生きる希望を失っていた維盛は、数人の家来を引き連れ屋島を出る。目的地は紀伊の国、高野山。そこにはかつて平家の家臣でもあった『滝口入道』が居り、彼を頼り向かったのだ。
滝口入道に再会した維盛は、様々な塔や堂を巡り出家をする。更に彼等はそのまま熊野三山へと分け入った。そう、あの熊野別当湛増の治める地だ。
彼等はその熊野三山の聖地を参拝して回った後、滝口入道と共に海へと漕ぎ出す。
「極楽浄土が待っている」
滝口入道はそう諭しながら、小舟に添え付けていた鉦を打ち鳴らし、彼らを見送る。
これまで支えて来た総大将、維盛の最後であった。後にこの報せが熊野湛増に届き、源家に就く要因の一つとなる。
一方、総大将として倶利伽羅峠・福原一の谷と源家に攻められていた維盛が去った後、その座に就いた宗盛。嫡子でありながらそれまで総大将になれなかったのは、それなりの理由があった。
宗盛の兄であり長男の重盛は、あの清盛をも唸らせる程の威厳ある息子だった。悪政が目立つようになった頃、ただ一人その父・清盛を戒め、清盛もまた重盛の言には従う程だった。知将として民からの信頼も厚く、彼が居れば何とかなる。そう思われたのだが…若くしてその命を落としてしまう。清盛も可愛がっていた息子が亡くなり、重盛と双璧を為す様に『右大臣』『左大臣』として勤めていた宗盛がその位に座ると、清盛の悪政を諌める者が居なくなる。
そして重盛の死後、清盛は福原から京に居る後白河上皇へ攻撃を仕掛けた。
理由は『重盛死亡の折、それを悲しみ喪に服すのが礼。しかし上皇は遊び呆け礼を逸した』と言うのだ。これにより上皇を幽閉し、政権を掌握。更なる悪政へと突き進み、そんな中、その贅のど真ん中に君臨していたのが宗盛だったのである。
そんな三男、宗盛が総大将では平家の将来よりも今が危ない。そう危惧する者も少なくは無かった。
そして、三月。鎌倉より屋島本陣に文が届けれらた。その内容は『平重衡の身柄と三種の神器の交換』だった。一の谷で捕虜として鎌倉へ送られた重衡の身柄を、三種の神器と交換すると言うのだ。これには二位の尼(宗盛・重衡・知盛の母)も喜び、宗盛に神器返還を願い出た。
「宗盛、弟の身を救い給え。神器無くとも天子様は是に在らせられる」
その眼には息子の無事を喜び、再び我が元へと戻す事を願い続けた母の涙があった。これは宗盛も同じ事。同じ血を引く弟の無事を知り、神器の返還を用立てようとしていた。
安徳天皇はまだ幼く、更に都にも天皇があり二分化された国。神器を持つ者こそ正当なる天子様と考えるこの時代ではあったが、最早戦いに疲れ、逃げる平家の精神状態は限界に近かった。
彼等はすぐさま神器を集め、鎌倉へと戻すよう集まっていた。
場所は屋島の山頂にある寺。平家所縁の寺である。
「宗盛兄様、お待ち下され」
弟の身柄奪還に向け動いている一族に、待ったをかけた男が居た。
「冷静にお考えくだされ。神器返却であれば何故に鎌倉にございましょうか」
目を伏せ、冷静に話す男は清盛の四男知盛。宗盛の弟であり重衡の兄でもある男だった。
「鎌倉に居る頼朝めは、後白河上皇の命で動いておじゃる。頼朝の元から京に移すのでおじゃろう?」
水を差された宗盛は、若干機嫌悪く答えると、知盛の後ろに座る男も声を出す。
「左様で御座いましょうか? 頼朝とて後白河上皇には疑念を抱いておる筈。易々と神器を戻す男とは思えませぬ」
この男の名は教経。この男は清盛の甥にあたり、平家随一の猛者と言われる男。この二人は平家が貴族となって行く中でも、堕落では無く智と剛に長ける武将であった。
「何じゃ…其方等は我が弟でもある重衡の身が惜しゅう無いのか!」
「落ち付き為され兄上! 頼朝が神器を手中に収めた後、重衡の身を保護すると御思いか!」
「まさに知盛殿の仰られる通り、京に戻る補償など御座らぬ!」
知将と猛将に一気に攻められれば、宗盛程度では何の反論もできない。
「じゃが…還さねば重衡は…坂東武者は野蛮であると聞くぞよ」
「いや、還さぬ方が安全でしょう。倶利伽羅峠の義仲なる源家の者と、一の谷を攻め落とした奴は違うと見まする」
知盛はその違いに勘付いていた。が、宗盛はどちらも源家の者と考えており、知盛の意とする所が分からない。その様子を見ていた教経は、呆れた様に話す。
「宗盛殿…宜しいか? 一の谷は敵とは言え見事な奇襲でありました。しかしながら三草山の夜襲の折、逃げる者は討たず、一の谷城に於いては雑兵は全て逃がして御座ります。殲滅に等しい戦果を上げられるにも関わらず、主たる大将格、刃向かう者のみを標的に…」
「何じゃ! 分かって居るわ!」
ヒステリックに教経の言葉を遮り、感情を露わにする宗盛。この態度には流石に腹を立てた猛将・教経だが、前に座る知盛が右手を後ろに伸ばし、教経を止める。
「兄上、ここで我等が断れば、必ずや源家棟梁頼朝は不憫がり、重衡を手厚く迎え入れる筈に御座いまする。母上も御心苦しいとは思いまするが、平家の盛り返し時まで、弟の身は我等にお預け下され」
知盛はそう母を慰め、兄を諌め、その場を立ち上がった。
「教経、少し外を歩かぬか?」
この件は済んだ、と言わんばかりに教経を外へと誘いだす知盛。そしてこの空気と宗盛に失望している教経は、当然の様に立ち上がり、一礼をして知盛に着いて部屋を出て行った。
残された二位の尼は泣き崩れ、それを見る宗盛はただオロオロしているだけだった。
屋島寺の外に出て、山頂の道を歩く二人。ゆっくりと陽は傾き瀬戸内の海を橙色に染めて行く。
「教経、見よ…美しい瀬戸だ」
峰の西の端まで歩き、遥か西方を眺める。瀬戸の海に小島が転々と浮かび、夕日を受けて海面に影を落としている。
「我等平家の様に、陽も沈むわ」
「知盛殿、我等はまだ生きて居りまするぞ。天子様とて同じく」
夕日を眺める知盛に、教経は厳しい口調で言う。しかし知盛はゆっくりと振り向き、教経に言った。
「本音はどうだ? 我が父清盛が主権を握り、覇王として君臨した数年間。平家一門は贅に溺れた。武門の子として生を受けた筈が、いつの間にか貴族としての生業となり、権力に取り込まれた」
「我は…知盛殿程の知は御座いませぬ故、分かり兼ねまするが…。それでも我等一門は武士として生き抜く事しか、考えてはならぬ。と言うのは分かりまする」
教経の言葉に、知盛はクスリと上品に笑い、再び海を眺める。
「見よ、教経…。この先に厳島が在る。そしてその向こうに長門、こちらには福原が…」
知盛は閉じた扇を海の向こうに向け、栄華を誇った過去を見ていた。
「清盛公が、この海を開拓された…」
「そうだ。父が居らなんだら宋との交易も進まず、港も今ほどは栄えておらなんだ」
知盛は扇ごと腕をダランと下ろし、東を振り返る。
「熊野湛増…。奴が一の谷の戦の前に、我等の誘いを素直に聞き入れておったなら…」
過去を振り返る事など無かった知盛に、教経は不思議そうに見入るが、暫く遠く東を眺めていた知盛は、急にその眼に光を蘇らせる。
「教経、讃岐・阿波の土豪を説き伏せ、ここ屋島の守衛に就かせよ」
知盛は東を見据えて、楽しそうに言った。
「阿波…に、御座りまするか?」
「そうだ、阿波から讃岐、紀伊から屋島にかけて土豪を集め、守護に就けるのだ」
知盛はこの時、閃いたのだ。奴であれば瀬戸の海を渡らず、必ず背後より攻めて来る。その為には鳴門から屋島にかけ防衛線を築き上げ、屋島の北端を要塞化させる。唯一陸に近い北麗から船を使い、北端から攻めて来る。一の谷の海戦には正直驚いたが、あの程度の水軍であれば楽に勝てる。逆に、奴であればそれを承知の上で、陸に上がっている我々を背後から攻め、更に海上に逃げる者を、海戦準備前に海から攻撃して来る。そう踏んだのだ。
「父には悪いが、暫し安芸や福原には戻らぬ。ここ讃岐を平家の城とし、水軍を再編成させ長門と両の城を足がかりに、瀬戸を支配する」
知盛は、すぅっと右腕を水平に伸ばし、再度長門の方向を扇で指した。
「範頼…そして義経と申したな、源家の大将は。顔は明確に見知らぬが、次の戦ばかりは負けられぬ。恐れ多くも知将と呼ばれる我の智が、瀬戸に呑まれるか呑みこむか…勝負!」
知盛の表情は不敵に笑っていた。