閑話 ~義盛と巴~
元暦元年(一一八四年)五月上旬、義盛は熊野湛増を仲間に引き入れる為に紀伊の国に旅立つ。弁慶もと考えていたが、本人の生い立ちの事も有り警護として与一を従え、義経の周辺警護に弁慶と龍馬を京に置き出立する事になった。
その朝、義経邸の裏に位置する義盛邸…といっても、小さな家屋ではあるが…から、義盛が帯刀して出て来ると、面で待っていた与一が軽く頭を下げる。
「与一殿、案内頼みますね。何分土地勘が無いので…」
「それは構いませんが…」
与一はどうも義盛の背後の方が気になるらしい。
「何だ、我が共をする事に不服があるか?」
いつも眉間にシワを寄せている巴が、与一を軽く睨み付ける。与一は同じ屋敷から二人が出て来た事に、何やら感じている様子だった。
「これ以上無い護衛でしょ…」
少々疲れ気味な義盛に、巴が背後から声を掛ける。
「当然にある」
満足そうに答える巴に、与一が収まらぬ疑問を投げかける。
「それにしても、同じ屋敷に住まわれるなど…」
与一はどうも気になるらしく、チラチラと巴と義盛を見比べる。
「寝泊まりする所が無いんですよ。まさか女に野宿しろとも言えないでしょう…」
「それは…最もですが」
二人の会話に、与一が想像している事が分かった巴は、顔一面を真っ赤に焼いて叫ぶ。
「下世話な事を考えて居るのでは無いだろうな! 事によっては主を斬るぞ!」
巴は背に負っている長い包みを、ひょいと外して先を与一に向ける。が、義盛は右腰に付けた木刀でその包みを撃ち下ろす。
「巴、いい加減にしろ。先は長いんだからつまらん事で揉めるな」
義盛の言葉に、舌打ちにも似た音を出し、包みをまた背負い直す。恐らくそれは長刀だろう。背の小さい巴には、若干長く感じるが、先程の動きから見てもかなりの腕前なのは分かる。
だが与一はその二人に疑念を持った。
「巴殿は…何故に義盛殿の言には素直に従うので御座いますか? 殿の屋敷においては、言葉の投げ合いが見られておりましたが…」
「妻が主の言に従うは当然であろう!」
さも有りなん、という態度で言う巴に、与一は目を丸くして義盛を見る。
「おい、娶るなんて事はまだ言って無いだろう。勝手に娶られるな」
それはあの軍議のあった夜の事だった。
義盛は自宅に当てられた屋敷に戻り、いつも通り部屋に入ると袴を脱いで刀を鞘から抜いた。
「幕末から使ってるのに、刃毀れが無い…。刻の為せる業か…」
何気なく刃を眺めていると、玄関でゴソゴソと音がする。義盛は抜き身の刀を持ち、玄関へと向かうと、そこで横たわる巴を見付けた。
「おい、そんな所で何をしている」
その声に反応し起き上がると、抜き身の太刀を持った義盛が居た。即座に身構え懐の小刀を取り出す巴は、怯えていた。
「お前か…。何をしてるんだ、さっさと上がれ」
義盛はそう言うと納刀し、巴に近寄る。
「お主は、仇討ちをするやも知れぬ我を、何故受け入れる」
変わらず構えている巴は、震える声で問いかける。
「お前に俺は討てない。では答えにならんか?」
義盛はその場に座り込み、刀を床に置く。
「我が女故か? 女故に討てぬと申すか!?」
口調は穏やかに、静かに言う巴。
「そうかも知れない、けど、俺は義仲殿に頼まれた。お前に計らいを…ってな」
「計らいだと? これが計らいと申すか!」
「ああ、例えお前が俺を討とうとしていても、少なくともあの瞬間の義仲殿は『侍』として俺に願ったと思う」
「『侍』だと?」
「義・忠・智・礼…とにかく、敵にあっても敬意を払うべき者だ。その男に託され、お前が俺の元に来た以上、例え俺の命を狙っていたとしてもそれに抗う事は礼に背く」
「刺客であってもか!」
「いや、お前は違う。仕えるべき者を失い、光を求めているだけだろう?」
義盛の言葉に、巴は全てを射抜かれた感覚を覚えた。
「上がれよ。お前は武者かも知れないが、女だ。だからこそ義仲殿はお前を逃がそうとした」
巴は初めて涙を流した。流しながら小刀を喉に当てた。
「女など、我の生きて行く道に邪魔なだけ! お主に女と見られるのであれば、この場で果てる!」
その意気は強く、立派な物だったが、義盛は一気に距離を詰めて巴の腕を取る。
「女であろうと男であろうと、尽くすべき忠に従う者は皆『侍』だ! 刃は太刀には無い!魂に刃を持ち、義を以て忠を為し、智を以て礼を尽くせ!」
巴に向かい、恐ろしいまでに攻める義盛。
「我に…女として生きろと申すのか?」
「関係無いと言ってるだろう。武士で在り続けるのであれば、『巴御前』としての姿を捨てずに生きる道もある」
義盛はグイっと小刀を奪い取り、壁に向かい思い切り刺す。
「女に討たれても、お主は本望か?」
「討たれる事自体、本望じゃ無い。だが俺はお前を守らなければならない。例えお前が俺を狙っていてもな…。だが、今は討たれてやる訳にはいかない。平家を討つまでは、お前を守りながらも俺自身を守る。それがお前の殿にも向けた、俺の誓いだ」
義盛に対し、武器を失った巴は震えていた。恐怖では無く、しばらく感じた事の無い安堵だった。鎌倉で手厚く庇護を受けたが、周りからは逆賊の義仲の手先と見られ、その苦痛から鎌倉を逃げ出した後は女として執拗に狙われた。やり場の無い怒りの先に義盛を置き、その男を追いかけて来た。
「我を、守る…と申したな」
巴は涙を堪えながら俯き、声を絞り出す。
「着いて来るならな」
「ならば我を娶れ」
流石に意表を突かれた義盛は、言葉と動きを封じられた。
「聞こえなんだか! 娶れと申したのだ!」
凄みながら義盛に近寄る巴に、こんな経験が久しく無かった…いや、初めてとも言える無茶で強引なプロポーズに、義盛は慌てた。
「お、お前は馬鹿か! どこをどう整理したら娶るなんて発想になるんだ!」
「我を守り戦に赴くのであろう! なれば我を娶り傍に置け!」
「娶らなくても傍に居れば良いだろう! それに俺は仇敵じゃなかったのか!」
急転直下。話しが混乱し過ぎている。この女の思考回路が分からない。
「お主は平家を討つまで、我に討たれぬ。更に我がそれを見届ける為着き行くなら、我を守ると申す! 我も、我がお主を討つ為にお主を平家より守る!」
成る程、理に叶っている。等と一瞬納得してしまった義盛だったが、即座に疑問が復活する。
「だからと言って、俺がお前を娶るなんてできるか!」
「女として生き、更に武者としてお主に着いて参るのだ! 軍行と共にするに当たりお主の正妻となった方が都合が良いであろう!」
「どこの世に、正妻を軍行に入れる武者が居るんだ!」
「平家の中にも、正妻を連れて転戦しておる者が居るだろう!」
この堂々巡りで、遂に義盛は寝不足の毎日。巴は義盛の自称押掛女房となってしまったのである。
「与一殿、気にしないで行きましょう。この論議に巻き込まれると盗賊にすら勝てない程に疲弊します」
義盛は力無くそう言い、与一の背中を押した。
「殿には静御前、義盛殿には巴御前…」
ブツブツと呟きながら、歩き始める与一は、義盛から見ても不憫に思えた。
『こんな状況、未来じゃどう描かれるんだろう…』
一抹の不安を抱えた義盛だが、この事が未来に途轍もなく関わって来るのは、また後の話。