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清和の王  作者: 才谷草太
京の源家
36/53

軍議、そして目論み

 直衣から袴に着換えた義盛は、奥に居た龍馬に声をかけて義経邸奥にある四畳半程の板間の部屋に向かう。当然、義経・弁慶も連れ立ち、弁慶は途中の間に居た与一を誘う。

 玄関に脱ぎ棄てた直衣を片付けているのは、何故か巴だった。

 「何様だ、奴は。御殿の屋敷の入り口に濡れた直衣を脱ぎ棄て、さっさと上がり込む等と…」

 ブツブツ言いながらも義盛の直衣をせっせと拾い、外で水気を軽く絞る。その手際の良さは、奥から眺める静も呆気に取られていた。

 パンと音を立てて直衣を広げると、静の視線に気付く巴。チラッと奥に座る静に対し、

 「何だ、我に何か言いたき事があるのか?」

 巴にすれば微妙な敵地。刺々しい口調もその為だろう。

 「いえ、ただ手際良くこなすので眺めて居りました」

 対照的に爽やかに笑みを浮かべて返す静。理知的なその表情は風格があり、犯せぬ領域を感じさせた。

 「其方も女であれば、見ておらずに動くべきであろう。この屋敷の便女では無いのか?」

 その雰囲気から便女に無い事は承知した上で、巴はわざと言った。義経らに『便女』扱いされた腹いせだろうが、静の方が上手だった。

 「われは義経殿の便女かも知れぬが、その友・家臣に便女が着き従っておれば、無暗に世話は致しませぬ故、お気遣い無く」

 フフっと上品に笑う静に、巴はまたブスっとして直衣を静に渡す。

 「これを洗う者程度は、屋敷で雇っておるのだろう。宜しく頼む」

 「はい、分かっておりまする」

 にこやかに受け取る静に、不機嫌丸出しで廊下をドスドスと歩く巴…。できの悪い妹を見る様な眼で、巴を送る静だった。



 「官位無く武士を集められる…と、言うのだな?」

 「ええ、院宣を使い朝廷の使者として動けます。まずは熊野別当を引き入れ、その上で西国武者を募って行きます」

 「ならば遠く厳島辺りまでの武者を囲いこむが得策か」

 弁慶がそう言うと、与一も頷く。

 「左様で…厳島は平氏の重要拠点。恐らくは福原同等かそれ以上の土地柄故、平氏も頼っておるでしょう」

 義経もその話の流れに乗っていると、ドカドカと巴が入って来た。

 「何用だ、軍議の場にあるぞ。控えておれ」

 弁慶が巴に向かって言うと、負けじと巴も口を開く。

 「我はこの義盛に『着いて来い』と言われたのだ。武者として言うたのであれば、この場に参じても良かろう」

 気の強さは木曾の武者ならではなのか。女としてより武者としての人生を選んだ者の姿だ。義経・弁慶は義盛を見て、困った表情を浮かべる。一方、与一は『え? 誰、この美人』という目で巴に見惚れている。無理も無いだろう、義盛到着直後の光景を見て無いのだから。

 「巴、静殿に衣を借りて来い。病にかかってしまうぞ」

 相変わらずずぶ濡れの巴を義盛はチラッと見て言うと、巴は困った様な顔で義盛に言う。

 「お主は我を何だと思っておるのだ…。さも有れば斬るやも知れぬ者だぞ?」

 「おまんのような女子おなごに斬られるなら、本望じゃろ。のぉ義盛殿」

 龍馬はニヤニヤしながら義盛を見る。

 「斬られたくはありませんけどね」

 苦笑いをしながら龍馬を見ると、巴が困惑しながら義盛に言う。

 「おい、何の話をしておるのだ。今後の策の話しをするのでは無いのか!?」

 「分かった、分かったから着換えて来い。それまで待ってやる」

 義盛は諌める様に言いながら、巴を着換えさせに行かせた。


 「さて…厳島の件でしたね。残念ながら、我等に陸地戦は無いでしょう」

 巴が去って、戻る前にさっさと話しを進める義盛。さも当然と言う流れで義経達も再開する。

 「どういう事だ? では我等は何処へと?」

 福原までを破り、勢力回復して来た上でその西に展開し、水島・厳島と転戦すると思っていた義経は呆気に取られる。

 「恐らくは範頼殿が、そちらに向かいます。紙と墨はありますか?」

 部屋を見回しながら聞く義盛に反応し、義経は与一の背後にある棚を指さす。

 与一は心得たとばかりに無言で戸を開け、硯と筆・紙を取り出して義盛に渡す。

 「えぇと…ここが京で、紀伊…福原はこの辺りで屋島が…で、長門・壇ノ浦…と」

 さらさらと紙に地図を描く義盛に、全員が目を剥いた。当然龍馬は驚きでは無く興味から眼を輝かせている。

 「何だ…これは」

 義経が言うと、与一と弁慶もその地図に見入ってしまった。明らかにこの時代の地図では無く、ほぼ正確な未来の地形だった。

 「神戸村はこの辺りじゃな? 淡路はこげにでっかいかよ」

 ふんふんと嬉しそうに頷く龍馬に、義盛は言う。

 「龍さん、福原の戦の後に平家が向かった先は、屋島ですよね?」

 「屋島かどうかは知らんが、讃岐の方向に流れて行ったがは間違いない」

 義盛は暫く考え込みながら地図を眺め、他三名は地図と龍馬の顔を見比べる様に眺める。

 「義盛よ、何処でこのような絵図を覚えたのだ?」

 義経はとうとう聞いてしまった。本筋から逸脱する為、誰も聞かなかったのだが…

 「航海術を知る者なら、正確な地形・位置情報は必要です…ね、龍さん」

 しれっと龍馬に話題を流し、再び考え込む義盛。今度は三人の視線が一斉に龍馬に集まる。

 「ちゃちゃちゃ…義盛殿、そりゃぁ卑怯な話じゃ」

 ボリボリと頭を掻きながら、目を細めて苦笑いをする龍馬。

 すると義盛は、筆で線を引き始める。京を横切り、東から西へ…。福原から長門、豊後まで。

 「範頼殿は頼朝公の指示の元、その背後を突く」

 その突然の言葉に、一同は言葉を失う。自分たちの出番が無いのだから当然である。頼朝公が義経に官位を推挙しなかった理由も、ここにあるのだろうと義盛も確信した。

 「我等は…やはり戦に参ずる事は無いのか」

 落胆している義経。その姿を見て居た堪れない表情の弁慶と与一。平家討伐を掲げて奥州より参じた我が殿が、戦にすら出られないのだから心中察して余りある。

 「範頼殿の言は、この様な真意があったか!」

 怒りを露わにする弁慶。

 「手柄欲しさに殿の奇襲を、まんまと我の策としおったか!」

 弁慶は左手で床を叩くと、怒号の声にも似た音が屋敷に響く。その音に慌てて走って来る音が、奥から次第に近くなる。

 「何じゃ! 間者でも出たか!」

 現れたのは美しい衣を纏った巴だった。武者姿しか見ていない男共は、その豹変ぶりに一瞬の間が開く。…与一だけは変わらず見惚れているが。


 「頼朝公は思った以上に頭が切れる」

 我興味無し、という態度の義盛は、巴より絵図を眺めて満足そうに笑った。その言葉に我を取り戻した男共(与一除く)は、義盛を見る。

 「平家にはまだ知将・知盛がいる。範頼殿が進軍を続け豊後に迫れば、当然あちらの軍師は長門に向かうでしょう。一の谷の策をより広大な規模でやってのけようとしているんです。水軍を持たない源家に、できる限りの進軍路です」

 「なるほど、敵の本拠長門を攻めると見せかけ、そこを飛び越えて豊後に移り、退路を断つっちゅう事じゃな?」

 龍馬は顎を左手で撫でながら絵図を覗く。その言葉を倣って二人は地図を眺め、思案する。与一は未だ巴に見惚れている。

 「ええ、本拠の一つ長門に迫る源氏を牽制する為に、知盛はそこに留まざるを得ない。しかしその様な場所に大将を移す訳にも、天子様(安徳天皇)を移す訳にもいかず、彼等は屋島に足止め。戦力を二分できる」

 「そこに、我等が奇襲をかける!」

 弁慶と義経は声を揃えて意気を上げる。二人の表情は零れんばかりの笑みだ。そう、この奇襲作戦の為に義経は京に留め、官位を与えていなかったのだ。下手に官位を授け、国守にでもなれば平家も警戒しただろう。


 「では、何故その策を義経…殿に知らせぬのだ」

 巴が感心しつつも、その点に気が付いた。最もな疑問が彼らを包み込む。

 「上皇様の反応を気にしての事では…」

 弁慶が小声で呟く。これには何となく分かる気がするが、現在の後白河上皇の敵は間違いなく平家であり、頼朝の策に協力するのでは無いか、とも思う。

 「弁慶殿、それはどういう事ですか?」

 「保元元年・平治元年の騒乱の事にござる」


 弁慶は、後に保元・平治の乱と呼ばる権力争いの説明を始めた。


  ***************************************


 保元元年六月。鳥羽法皇崩御にあたり、後白河上皇と崇徳天皇の権力争いが激化し、武力衝突となる。この時に後白河上皇側に就き戦ったのが、現在の平家・源家である。

 この権力争いに勝利した後白河上皇は、両家一門に報償を与え二条天皇を即位させ、更に北面武士ほくめんのぶし(院の北側を警護・主に上皇の身辺警護)として最大規模の兵力を有していた平家を登用した。


 平治元年。権力を握った後白河上皇は、様々な政策を実施するも、それを良しとしない派閥が生まれる。反院政勢力の彼等は二条天皇に与する藤原信頼を中心に、徐々に源家の武力を引き入れて行く。それに反発する様に鳥羽法皇に就いていた信西しんぜいという少納言に位置する男は、平家の武力を頼る様になった。

 両者の緊張は次第に強まる中、その年の十二月、平清盛が熊野詣でに出たてしまう。その軍事的空白期間が生じた時を逃さぬよう、藤原信頼は挙兵。後白河上皇を幽閉するクーデターを起こす。この時、藤原氏に就いたのが源義朝、頼朝・義経の父だった。

 一時は信西を討ち、権力を握った藤原・源だったが、清盛が帰京後、わずか十日後の十二月二十五日、後白河法皇を解放する事に成功。翌日、京の六波羅にて武力衝突。源家は敗戦し、平家は勝利して栄華を誇る程の力を手に入れる事となる。


  ***************************************


 「後白河上皇は、流れの中に身を置き、力を持つ者を徴用し、自らの立場を失えば躊躇ためらう事無く利用して切り捨てる。それがかつての敵であっても」

 弁慶は難しそうな表情で語った。

 「成る程…。我等源氏はかつて上皇様の敵であったにも関わらず、平家の旗色を見て源家を利用しようとしている…そう言いたいんですね?」

 義盛は、釈然としない権力争いの実態を聞き、半ば投げやりに答えた。正しくタヌキ親父だ。

 「無論我等武士は、朝廷に使える身。そこにどのような策謀があろうとも、馳せ参ずる義がある」

 弁慶はそう付け加えると、どっかりと床に胡坐をかいて座りこむ。

 「頼朝公も、警戒をしての事…か。そうなると、やはり義経殿は上皇様との距離を保っておかないと危険ですね」

 「義盛、『殿』は付けずとも良いと申したであろう」

 「それは無理です。口調はこうなりましたが、殿は殿ですから。そんな事より…」

 義経の申し出をあっさり断り、話しを戻す義盛を、じっと見つめる巴。そんな巴を、更に見つめる与一。

 「どうやら頼朝公の策に、上手く俺達も乗っている様ですね」

 明るい表情で義盛が言うと、すかさず巴が義盛の隣に座り、聞く。

 「話せ、どうするつもりなのだ!」

 「何だ、まだ居たのかお前は…」

 義盛の袖を掴み、グイグイ迫って行く巴を見ると、途端に与一の元気が失せた。そんな与一に、龍馬が声をかける。

 「与一殿、諦めるがじゃ…」

 その言葉に、与一は力無く頷いた。


 「範頼殿出兵後、恐らく長門辺りまで攻め行った後に俺達の出番が来る」

 「増援か?」

 「違う、少し大人しくしてろ」

 やけに突っ込んで来る巴の顔を押し退け、続ける。

 「俺達は海を渡り、屋島を強襲。天子様諸共讃岐から追い出す。無論、平家に損害を出しつつ、兵力を削ぎながらね」

 「大手軍(主力)は範頼兄である以上、大半の戦力は長門に集結しておる。その裏、手薄で増援の可能性が高い屋島を突く、と言うのだな?」

 義経が真面目な表情で問いかけると、義盛は頷く。

 「兵士の数は屋島が少なくなっていると思いますが、やはり天子様がいらっしゃる本陣。屈強な武士が配されている筈です。そこを叩ければ平家軍が合流しても、我等が大手軍に参戦して叩けます」

 与一以外の者は、表情が一気に明るくなった。勝機が完全に見出せたのだ。この策の通り範頼が陸地戦を繰り広げ、豊後まで辿り着けば必ず勝てる。誰もが確信した。


 「屋島とは妙な。水軍を持たぬ我等源家が、如何に瀬戸内を攻めて行くのだ」

 再び割って入る巴。流石に武者の血が騒ぐのか、この軍議の流れにワクワクしている様子で聞いて来る。

 「おい、お前は何がしたいんだ? 俺を討つとか言っておきながら、平家討伐に湧いてるじゃないか」

 悪戯っぽく笑いながら巴を見ると、驚いた事に顔を赤らめて反論する。

 「う…五月蠅いぞ! 平家を討ち滅ぼす様は、我が殿の願いにもある!」

 「勇ましい限りだが、その装いで力んでも滑稽なだけだぞ」

 茶化す様に巴に言うと、その場に居る者は全員苦笑いをしながら巴を見る。そして龍馬が、やっと口を開く。

 「巴御前、おんしは主を失ぅて、生きる意味を義盛殿討伐に見出したがやろ。じゃが見て分かったと思うが、底知れん男じゃ。義盛殿に就き、見定めたらえいがよ」

 優しく諭す様に言う龍馬の言葉を、不思議そうに聞きながら義盛の横顔を見つめる。


 「海戦。どうやら熊野水軍は是が非でも引き入れなくてはいけませんね」

 義盛は巴を無視して弁慶を見る。鎌倉が怖れているのは義盛…という巴の言葉を信じるのであれば、恐らくこの作戦の流れを『読め』と言わんばかりの頼朝の手段。逆に読めなければ源家の大敗は決してしまう危険な勝負だ。



 熊野湛増、彼が源平の鍵を握る。

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