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清和の王  作者: 才谷草太
京の源家
33/53

弁慶の秘め事

 京の夜に雷鳴を響かせ、雨が降る。

 磯禅師の言に倣い、天が義経を活かせようとしているかの如く。

 義経の寝室に集まっていた静、義経、義盛は庭に降り始めた雨を眺めながら、先程の話を繰り返していた。

 「熊野湛増を引き入れ、海より京を守護、で宜しいですね?」

 義盛は念を押し、義経に聞いた。義経は再度嫌々ながらも頷き、静を見る。

 「静殿の舞の力か、磯禅師殿の力の及ぶ所か。どちらにせよ我は天に動けと言われた気がしてならぬ」

 複雑な笑みを浮かべるが、小さな溜息を何度か吐きながら

 「それでは坊に…弁慶に伝え、事を進める」


 そう言うと寝室から表に向かって消えて行った。



 「静殿」

 二人になった義盛は、庭の側に座る静に声を掛けた。

 「はい、何に御座りましょう?」

 細く微笑み、義盛を見つめる静。

 「芝居は良い。何者なんだ、貴女達は」

 「まぁ…白拍子以外に映る姿が御座いましょうか?」

 如何にも、といった仕草で口を隠し、笑う静。

 「……敵か、味方か。それだけでも良い」

 「どちらかと言えば、味方に御座りましょう」

 「なるほど…。土方殿は元気だったか?」

 義盛の言葉に、静は一瞬の間を取った。

 「やはりな。鬼神が夢枕にでも立ったか…この刻には来ていまい」

 静はクスっと笑っただけだった。


 確信は無かった。ただ一の谷で響いた心の奥の声…。刻を超える者として想像するのであれば、歓迎できない者としては「タカマツ」。だがその存在は今の所は感じていない。彼も恐らくはまた刻を超えている筈ではあるのだが、義盛は心に響いた声を信じたかった。だが、心に届いた声は自身の中から湧いて来た物であり、その存在は恐らく無いだろう…。とすれば、魂が自分自身と共にある。そう信じたいが故の言葉だったが、静の反応で気持ちが落ち着いた。

 『友がまた一人、自分と共に居てくれている』

 それが、義盛には嬉しかった。




 「成りませぬ!」

 雨の夜を引き裂く声が、表より響く。間違い無く弁慶の声だった。あの男がここまで声を荒げるとは、ただ事ではない。いや、時間からして義経が熊野水軍の話しをしに行った事に関しての声だろう、そう推測はできるのだが、それにしても今までに無い狼狽ぶりだ。

 義盛は慌てて駆け出し、表へと向かった。


 「熊野水軍…熊野別当など賊の頭にありまするぞ! 熊野三山統括とは言え、海賊共を取り仕切る輩に尽力願うなど、武士の棟梁のする事に御座りませぬ!」

 「聞け、坊! 我等は京の守護に就くにあたり、近隣諸国を警護せねばならぬのだ! そうなれば諸国土豪を取り纏め、力に招き入れるが最大の策にあり、ひいては来るべき平氏討伐への兵力とも…」

 弁慶を必死で説得しようとする義経だが、あの忠実な弁慶が聞かぬ動かぬの一点張りだった。

 「雨が降り、天は我が身方に就いておる! この機に我等の地盤を固め、西国より平氏を討ち滅ぼし…」

 「東国武士はどうなされるおつもりに在られまするか! 棟梁は、我等棟梁は…!」

 「坊…東国武士はその通り、我等棟梁の頼朝兄上の意向により動く。我は、我の命で動く兵を纏めるのだ」

 その言葉に義経の心情も垣間見え、若干気が落ち付いては来た弁慶だが…

 「しかしながら、熊野水軍は…」


 「何故そこまで御嫌いになられるのです?」

 落ち着きが出て来た弁慶の元に、義盛が駆け付け声を掛けた。

 「義盛殿……うぅ…む」

 大きな体を小さくうな垂らせて、心底困った気持ちを最大限に表に出した。

 「落ち付いたがか…。いや、弁慶殿がここまで狼狽するちょわ、なかなか見応えあったぜよ」

 呑気な台詞を言ってはいるが、龍馬も少々驚いたのだろう。口元に安堵の表情が浮かんでいる。

 「話して頂けませんか、弁慶殿。熊野水軍、別当に何か事情が御有りの様ですが…」



 雨は次第に強くなって行く。庭に打ち付ける雨粒は大きく、激しく。暫く聞く事の無かった雨音に、屋敷の静寂さが妙にじれったく感じた。


 「熊野湛増は、拙僧の父に御座ります…」


 唐突にそう口にしたのは弁慶だった。


 嵐が京の町に訪れた。

 それは紛れも無く静が招き入れたと等しい嵐が。ただ、こちらの嵐は一瞬の静寂を与えた。


 「拙僧は、父に棄てられたので御座ります…。鬼の子と怖れ…ただ生まれながらに歯が生え、髪が長く力があった、という事で」


 弁慶の言葉の後、庭の雨の音が戻って来る。

 同時に義経以下全員が驚愕の声を上げる。無論、義盛とて例外では無い。これは偶然か必然か、それとも刻の歪みか。既に予想もできない事態になりつつある。静はこの事を知っての助言だったのか…いや、恐らくは知らないだろう。


 「父御殿と!? さすれば坊は平氏…我が父を討った熊野の血を…」

 義経は混乱していた。当然だろう、我が父を討った者の血族が一番の家臣であり忠臣の弁慶なのだから。

 「坊…坊…、何故今まで…」

 「口にすれば殿にお仕えできませぬ。殿には鬼の血よりも、拙僧自身を見て頂きとう御座いました」

 弁慶の眼には薄らと涙が見える。

 「橋で武者狩りを行っておった所業も、己の存在を確かめる為と申しておったな!」

 「左様に。鬼の子と蔑まれ恐れられ、自身の生きる意味と証を探して居りました…とも」

 義経も弁慶同様に涙を浮かべ、鬼の肩を両手で掴み見上げる。運命さだめとは、こうも無情な物なのか。誰しもが思っていた。


 「義経! 何をしている!」


 恐れ多くも『殿』に向かい呼び捨て、声を荒げる義盛。


 「お前は何を見て来て、何を信じて来た! 自分の眼を、魂を信じろ! 弁慶は敵か味方か、考えずとも分かるだろう!」


 その義盛の言葉に、弁慶は大粒の涙を落とし、義経は鬼を掴む腕に力を込めて俯き、声を絞り出した。


 「なれば義盛…いや、修羅よ! 我の行くべき道を指し示せ!」


 緊迫する空間。だが…それをいとも容易く打ち砕いた男が居た。


 「源義経、もっと利口な男じゃと思うておったがの」


 龍馬だった。展開に驚愕はしていたが、どうやら空気が耐えられなくなったのだろう。沈黙を守っていた(ハズ)の男は、フラフラと義盛の元に歩み寄り、左肩を掴む。

 「仕方ないのぉ…。ワシらは刻を超えてここに来ちゅうがよ。ワシは今より七百年後の、義盛殿は今より…何年じゃ?」

 「八百年少し後…」

 「そげになるんかの。まぁエエ。つまりこん先の顛末を知っちょるがよ。信じんでもエエが、ワシらの時代に伝わる『義経』はそんなつまらん男じゃ無かったがのぉ」

 遂に言ってしまった。義経・弁慶・それに静。この三人に打ち明けてしまった。最も、静だけは知っていた可能性もあるが。

 「戯言を申すな、我を謀るな」

 「そうやって、何もかんも否定するがエエ。弁慶も家臣も、何もかんも。じゃがエエのか? 弁慶が去り、修羅が去り、おまんに何が残るっち言うがか? おまんは今まで何を信じて、何を従えて来たがか」

 龍馬の目は笑っていない。口調は柔らかだが幕末に見せていた、あの交渉の時の顔だ、口調だ。流石にここ一番での説得力は、この男に限る。

 「殿…拙僧は武蔵坊弁慶。源が九朗義経の一番の家臣と自負して居りまする。どうか、どうか殿の背を預けて頂きとう御座ります」

 弁慶はその場に片膝を付いて頭を下げた。忠誠を再び誓う弁慶。


 「義経、考えるな。心の声を聞け」

 義盛が諭す様に言った後、龍馬が声を掛ける。

 「さて、ほいたら朝廷に出向いて熊野なんたらを味方にせにゃ、どうにも収まらんのぉ、義盛殿」

 「その話しは義経の心情次第…」

 「いかんのぉ、待っとったら何時いつになるか分からんがじゃ。それに」

 龍馬は視線を弁慶に落とし、柔らかく言った。

 「熊野なんちゃらが味方に付いたら、弁慶も義経も悩まんで済むがじゃろ?」


 熊野湛増が、義経に付く…、源氏に付く。そうなれば弁慶も咎められる事など無くなる。


 「あぁ、成る程」

 ポンと手を討つ義盛。

 「多少の前後は有る物の、親子共々源家に付くちゅう事なら、義経も納得して弁慶を許すっちゅうもんじゃ」

 高笑いをしながら部屋を出て行く龍馬。

 「ほいたらワシは寝るきのぉ~」

 呑気に言いながら。さっさと仲直りのお膳立てだけして姿を消して行った。


 「義盛…其方は、真に刻を?」

 涙を拭わず、振りかえらずに聞く義経。

 「その事は、また後日にでも話しますが…どうなさいますか、義経殿」

 「『殿』はもう良い。ここまで心を掴み、揺らされた。其方等が何者であろうと、其方等は我の友だ。其方を信じよう…。無論、坊とて例外無く信ずる。それが我の、家臣・友に対する忠。坊、我の疑った弱き心を許して貰えるか?」

 義経は両膝を付いて座り、弁慶の肩を再度掴み許しを請うた。

 「も…勿体無き御言葉に御座りまする…」



 「義経殿は、王の器をお持ちに成られました様ですね」

 義盛の背後に立つ静は、どうやら義経に心が惹かれ始めている様だ。その声色と表情に、少しホッとした義盛だった。




 嵐が京にもたらした物は雨、そして王の存在。それは新たな騒乱の元になるとは、誰も知らずに。

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