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清和の王  作者: 才谷草太
京の源家
30/53

静と磯禅師

 京に構えられた義経の屋敷は、随分と立派な物だった。

 門をくぐり屋敷に入ると、長い廊下が屋敷をぐるりと囲むように敷かれ、一番手前に客間として龍馬と弁慶が戯れていた。勿論義盛も普段はそこに居る訳だが、今は白拍子に酌をさせている義経を訪ねる為、奥の間に向かっていた。

 右手には立派な白砂の庭が見える。恐らくはここで舞いを舞っていたのだろう。今は既に砂を整備し、元通りの美しい文様が描かれている。

 その更に奥に進み、屋敷の裏まで来た所で、義経は庭を眺めて酒を呑んでいた。


 「殿、失礼いたします」

 義盛は廊下に片膝を突き、頭を下げる。

 「義盛殿か…何かあり申したか?」

 義経の穏やかな声に、ゆっくりと頭を上げると、義経の隣には美しい女性が座っていた。恐らくこの女性が白拍子だろう。その推測は簡単であり、それ以外で有る筈も無いのだから。

 「怖れながら、朝廷に赴き上皇様に謁見されると伺いましたが?」

 義盛はチラリと白拍子を見る。どうやら彼女はそのような話には興味を示さず、義経の杯に酒を満たして行くだけの素振りを見せる。

 「謁見するかどうかは決めておらぬ。成り行きに任せようと思うておるが?」

 「今、鎌倉殿の許しなく謁見をするのは危険かと存じますが…」

 「兄上の許可なく、朝廷での謁見は許される物では無い…事くらい理解しておるつもりだ」

 くいっと盃を傾けて酒を煽る義経。

 「ならば自重下さいませんか?」

 「鎌倉へ戻る事を許されず、兄上からの言葉は京にて留まり守護に就けの一言…。が、上皇様はこの義経を認め下さった上に、参内せよとのお言葉までお掛け下さる」

 「今、朝廷に近付けば、源家として主従が崩れてしまいます」

 「何…白拍子百名の舞いを見に参るだけだ。その先は兄上も何も申すまい」

 楽天家…感情で動く悪い癖。こうなったら義経は聞かないだろう。

 『しまった! 義経という男を見誤った!』

 後悔が一瞬義盛を襲ったが、すぐに別の感情がそれをかき消す。

 『…義盛という存在が居なくても、義経はこう動いただろう…ならば任せるのも方法としてはあるか』


 「我が娘…静も帝の前で舞いを行いまするが、何か娘で役立てるようであれば、何なりと…」


 義経の傍らに座る白拍子が義盛に問いかける。その表情は柔らかく笑っている様に見えた。


 「…え? 静…?」

 「はい。我が娘、静にござりまする」


 磯禅師いそのぜんし。その白拍子は、後の義経の愛妾となる静御前の母親であった。

 しかし義盛は、その彼女の表情に何かを感じ取った。


 「静殿はここに呼べますか?」


 不意の言葉に、義経は眼を丸くする。

 「屋敷の外に待たせております故、時を頂ければすぐにでも」

 磯禅師はこうなる事を知っていたかのように微笑み、義経に視線を移す。

 酌をさせていても見せなかったその笑顔に、義経も何かを感じた様子であり、小さく頷き酒を呑む。

 うやうやしく両手を付き頭を下げ、部屋を後にする磯禅師の姿を、二人は目で追いかけていた。


 「義盛殿。また何か策を閃いたようだな。しかし…白拍子を使った策など、どうしようと言うのだ?」

 「まだ明かせませぬ」

 義盛はニヤッと笑い義経を見ると、それを怪しく笑い返す様に見つめながら返す。

 「ひとつだけ、我は権力は望まぬ。ただひたすらに父の…一門の復興こそが望みぞ」

 「心得ております。御父上の仇、一門復興の為に一手を打ちまする」

 だがこの時に義盛は悟った。

 義経と頼朝が見ている物が違うと。


 頼朝は源家復興の為に中央政権に寄り、更なる権力を求め『神器争奪』に野望を抱き、義経はただひたすらに平家討伐後に源家再建のみを見ている。両者が見ている物は似ているが別の物。似ているだけに交わる事ができない。ならば採るべき方法はこれしかない。




 「お待たせを致し、申し訳ございませぬ」

 磯禅師が戻って来た。

 その背後には黒髪の美しい女性が両手を付き、頭を下げている。

 「静とやら、面を上げて頂こう」

 義経は人懐っこく笑みを浮かべると、その言葉に反応し、ゆっくりと頭を上げる静。

 「これは驚いた…母上とそっくりではないか。美しい…」

 義経は感嘆の息を吐いた。

 色白で切れ長の目、紅が映える口元…。それ故に黒髪が良く似合う美女。義経は完全に見惚れていた。

 「さて…磯禅師殿、静殿を我等源氏に預けては頂けぬか?」

 義盛はいきなり核心から話しだした。これに面食らったのは他でも無い義経だった。

 「よ、義盛殿! 唐突に何を申しておるのか!」

 「殿…白拍子とは男装した巫女の舞を舞う者。神憑りな力を持つとされております。それ故に帝も、雨乞いと称して百もの白拍子を集められたのでしょう」

 「それはそうだが…」

 「鬼神、修羅に愛でられし軍師と、神憑りな白拍子が義経殿に従っているとなれば…平家は元より、源家内部の反義経への圧力が掛けられまする」

 「だが、白拍子に神憑っておるなどとは、誰も信じぬぞ」

 そう、白拍子と言えど、この時代の彼女達(男性の白拍子も居たが)は、舞いを見せ、酌をし、時によっては一夜の伽の相手をするのが主流となっていた。


 「雨は降りまする」


 そう発したのは、磯禅師だった。


 「何と? 静殿には神の力があると申すか!?」

 そう問うたのは義経だった。

 「さあ…。ですが近い日に雨は降りまする。その思いがあるからこそ、帝に『雨乞いの舞』を申し出たのでありまする」

 「其の方が進言をしたと申すか!」

 「はい。奥州より天狗が舞い降り、厄災を討ち払う。人の噂ではございますが、昨夏より続く飢饉に雨が降る事は確実にございます」

 「天気予報…か。根拠はありますか?」

 「西より濡れた風が吹き、南より乾いた風が吹く。こういう時は雨が降り易うございます故」

 「それで、何故に義経殿に近付いたのです?」

 義盛の問い掛けに、磯禅師は義盛を見る。

 「鬼神に愛されし、刻の人…。そなた様をお待ち申しておりました」


 背中が凍る思いがした。磯禅師は正体を知っている…刻を超える存在を知っている。


 「まさか…そなたも…?」

 義盛も顔からは、粘りのある汗が流れる。春だと言うのに背中は寒く、顔は暑い。だが磯禅師は無情にも頭を左右に振り、笑顔で答える。

 「否…。しかしながら、静を義盛殿にお預けする事こそが、私の宿命にございまする」



 刻を支配する者が、俺を知っている。それ所か完全に操られている。

 この時代に飛び、『伊勢義盛』を名乗ったのも必然であると知らされたのだ。ならば幕末で自らの意思でとった行動は意思の範疇を超え、操られていた事になる。


 「敵か味方か…」


 無意識に口から出た言葉は、義経には届かなかった。

 「つまり、静殿が義盛殿に嫁ぐという事か」

 そう言ったのは、少し残念そうな義経。それもそうだ、それでは話しが変わって来る。

 「そ…それは困ります!」

 はっとした義盛は全力で否定すると、今度は静が寂しそうな目で俯く。これはどうした物か…。

 できる事なら、この二人をここで出逢わせ、そのまま史実通りに愛妾とし、帝に謁見する事になれば条件を出して謁見を受ける…という算段をと思っていた。だが実の所はどうだ。完全に史実が曲がり掛けている。磯禅師に先に会い、この流れを仕組んだ何者かが、刻を変えよと挑んで来ているように感じる。


 「入れ替えればエエがじゃ」


 頓狂な声が部屋の入口から聞こえる。言わずと知れた龍馬の声だ。

 龍馬は勝手にズカズカ入り込み、磯禅師の隣に座りこむ。


 「坂本殿、誰と、誰が入れ変わるのだ?」

 「ん? 義経殿と、義盛殿じゃが?」

 「そんな…できる訳がないでしょう!」

 義盛は慌てて止めに掛かるが、義経はなにら楽しそうに、龍馬を覗きこむように尋ねる。

 「聞かせて頂こうか、坂本殿」

 「よし、エエがか…?」

 龍馬は咳払いをした後、ゆっくりと話しだす。

 「義経殿の噂は、既に京の町中に知れ渡っちゅうが、その姿形は全くの謎っちゅう事じゃ。戦の最中も名乗ったりしとらんきの」

 「鎌倉殿はご存じですよ!」

 義盛は反論するが、龍馬はさらっといなす。

 「鎌倉に戻らんがじゃろ? 関係無いがじゃ。で、上皇様に謁見するがは義盛殿、戦の指揮は義経殿、幸い、上皇様は義経殿の顔は知らんがじゃろ」

 「そうなると、私が義経殿と認知されてしまいますよ!」

 「朝廷内ではの。じゃが源家はみな義経殿を知っちゅう。ここで義経っちゅう存在は二人で一人にしてしまうがじゃ」

 「無茶苦茶だ…上手く行く訳が無い…」

 義盛は深いため息を吐く。この男の思考は奇抜すぎて収まる所が果てしない。


 「いえ、そうとも限りませぬ」


 細い、始めて聞く声が耳に入った。

 今まで沈黙を守っていた静だった。


 「この生業は、様々な事柄が耳に入ります故…事情はお分かり致します。されば義盛殿が義経殿の業をお受けになられるも、家臣としての役目かと存じます」

 「業を…受ける…?」

 「謁見を鎌倉殿が御認めにならぬのであれば、影を立てたと怒りを鎮めさせれば宜しいかと」

 「……帝を出し抜こうとする鎌倉殿は、赤の他人を宮内に上げた事を笑い物にする…?」

 「それを帝にお伝えする程、鎌倉殿は先の読めぬお人では無いかと」

 「成る程…機を見て本物の義経殿を表舞台に出す…と、言う事ですか」


 しばらくの沈黙が部屋を支配する。


 「いや、その時は朝廷を敵に回してしまいます!」

 当然と言えば当然。平然と騙し続けた義経を朝廷は許さないだろう。そればかりか源家の血も絶えかねない。そうなれば頼朝はあっさりと義経を切り捨てるだろう。

 「そこを何とかするがは、軍師であるおまんじゃろ、義盛殿」

 龍馬は大きく笑いながら、膝をポンポンと叩く。



 結果として、頼朝は義経を許さない。朝廷も義経を怖れる事になるだろう…。両者がある時期で結託し、討伐に向かう史実は、確かにあった。と…義盛は記憶している。

 『ならばここでその布石を敷くのが利口か?』

 勢いで盛り上がった者達は、最早収集が付かない。その様をじっと見つめているのは白拍子二人。


 「なるほど…」

 深く長考していた義盛は、ぐっと胸を張り静を見る。

 「その話し、半分は乗りましょう」

 「半分じゃと?」

 「ええ、しかし入れ変わりはしません。殿は殿、義盛は変わらず義盛にあります」

 「それでは乗っておらぬではないか」

 義経は面白い策を期待していたのだろうが、残念そうに手酌で酒を注ぐ。

 「入れ変わる事無く、鎌倉殿の裏をかき帝を納得して御覧にさしあげましょう」

 「そんな事ができると?」

 義経は不思議そうに義盛を見る。

 「はい。謁見は私が参ります。殿は白拍子の舞をご堪能頂ければ、全てが良き様に」

 「ほいで、義盛殿は白拍子を娶るっちゅう事じゃな?」

 「…後に義経、と呼ばれる者に愛されるでしょう…」


 義盛はニヤッと笑い静を見る。

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