源九朗義経、登場
「龍さん…ここは何処なんです?」
健一は先行する龍馬に追いつき、声を潜めて聞いた。それを後ろよりただ黙って見つめる弁慶。
「奥州じゃ。ワシ等の大将である義経公の兄上が、相模・甲斐辺りで挙兵し、ワシ等ぁはそこへ馳せ参じるっちゅう訳じゃ」
「奥州…?」
健一は、かつて自らが幕軍として敗走をしていた地域の名に、一瞬の驚きを見せた。無論龍馬はその空気を感じ取っていたが、知らぬ素振りを貫く。
「剣さん…で、エエがか? ワシは歴史に明るぅない。この先どう行動したらえいがかは、おんしに任せてエエがか?」
「私も、この時代に詳しくは無いですよ…ですが、龍さんが行動を起こそうとする時、目眩が起きた事はありませんか?」
健一…剣一も源平に詳しい訳では無いが、刻を変えない為にどうすれば良いかは分かっている。
「おぉ、あるちゃ! 後ろの大男と会ぅた時、戦うつもりじゃったが…目眩で立って居られん様になってしもうたがじゃ!」
龍馬は突如興奮し、両手をガバっと広げて剣一に訴える。その様を後ろより見ていた弁慶は、静かにクスリと笑う。そしてそれに気付いた龍馬は、後ろ向きに歩きながら言い放つ。
「あの勝負は着いちょらんき、おまんの勝ちでは無いがぞ!」
「貴方は無邪気な子供の如く…ですな」
弁慶も肩に法杖を担いで、口を開けて笑いだす。
「くそう。何も言えんちゃ」
苦笑いをしながら再び前を向き、剣一に改めて問う。
「で…そん目眩がどういたがじゃ?」
「覚えて置いて下さい。刻を変えようとした時、我々には目眩と似た…恐らくは時間の揺れに襲われます。変化を嫌うのであれば、その時は大人しくするべき。それでも尚、行動を続ければ…」
「続ければ…?」
「時間の揺れから弾き出され、刻を守る側から刻を乱す側へと堕ちます」
暫く無言で歩いた龍馬は、「なるほどのう…」と呟いて腕を組んでいた。恐らく理解できていないだろう。
「御二方。刀を」
背後から声を掛ける弁慶。
龍馬はその言葉に素直に従い、それを見た剣一もそれに従い、右腕へと持ち替える。
「坂本殿か…ご友人が目を覚まされましたか」
立派な柳の元には、下半身を甲冑に身を包んだ男が立っていた。
身長は、恐らくこの当時としても小さい方だろう。背中には身体に似て小さな弓を背負っている。
色白で、目は切れ長。ニッコリと笑う表情にはまだ幼さが残るが、笑顔の中で見える口元には、やや大きめの前歯が目立つ。
美男子とは言えないが、愛嬌のある憎めない表情…。
剣一は、チラッと隣の龍馬と、背後の弁慶を見遣る。
その様に気付いた色白で愛嬌のある男は、笑いながら言う。
「失礼した、我は源義朝が九男、源九朗義経と申す」
剣一には衝撃だった。色白は良いとしても、女性に見間違えられる程の美男子と聞いていた筈の彼が…愛嬌があるのは良いが、対極の存在に近い。
『弁慶さんは彼を見て、伝説通り女性と思ったのか??』
思わずチラリと後ろを見る剣一。それを見て龍馬がニヤッと笑う。
「どうしてお二方は、九朗殿とお会いしたら拙僧を見るのか…」
どうやら龍馬も同じリアクションをしたらしい。剣一は慌てて義経を見て、片膝を着く。
「申し遅れました。かつてこの坂本と共に剣の修業をした、……木下剣一です」
どう名乗ろうかと考えたが、敢えて本名(文字は違うが)を名乗った。
「其の方、木下・岡田・浅野と、大層な数の名を名乗っておった様ではないか」
義経は愉快そうに笑うが、その目は確かに射抜こうとしている獣の目だった。
「友の為、名を偽らざるを得ない事もあります」
「友の為? 其の方は友の為に生きて来たと申すか?」
「友の為であらば、自らの為。……かつての友は、御身を果たしながらも、義・仁の為に生き抜いて居りました」
「義……仁…」
義経は繰り返す様に呟く。
「儒教の教えでありますね」
流石、腐っても仏教徒である。博識の弁慶が口にする。
「坂本がどのような経緯で、あなた方に従事しているかは存じませんが、友が信じて従うのであれば、我が身も友と一つ」
剣一は目を閉じ、ゆっくりと口にする。
ここに飛んで来た。そして龍馬と再会したのは刻の意志だろう。そう感じていたからだった。
「どう思う、坊」
義経は二人の背後に立つ弁慶に問う。
「坂本殿の言葉によれば、その人格に問題は無く、更には先程の受け答え。加えてその神速と言わしめる戦闘術…。我等の力になれば総大将のお役に立てるかと」
弁慶の言葉に、義経も頷きながら考える。
「僅かであっても力は欲しい…。坊、坂本殿とこの御方…任せても良いな?」
「御意」
「厄介払いが上手いの、九朗殿」
龍馬は怖れもせずに大声を上げて笑う。それに釣られて弁慶も口元を緩めるが、その状況に付いて行けない剣一だった。
「厄介払いが上手ければ、もう少し早く坂本殿を払っております」
どうやらこの程度の冗談は義経にも通じるようだ…最も、人の懐に飛び込む天才である、龍馬だからこそだろう。
「では、木下殿も正体に戻った所で…我々も参ろう」
義経はそのまま上半身の鎧を、配下の者に着けさせ出した。
だが剣一はまだ知らない。この先何処に行くのか。源平合戦のどの場面に自分が居るのかを。




