源家の欲の内
京の町、大通りを歩く義盛と弁慶はカラスを追い払いつつ細い路地へと折れた。
するとすぐに別の通りに出るが、そこには小さな屋敷の門が見える。義経に与えられた屋敷と比べると、明らかに目劣りする物ではあるが、それでもそれなりの物である。
門をくぐり弁慶が声をかける。
「範頼殿は居られまするか」
その声に反応するように、屋敷の奥でガタガタと小さな物音が響いた。だが誰も出て来ない。
「なるほど、随分と嫌われておる様ですな…」
ふふっと弁慶は笑いながら、隣に佇む義盛を眺める。
春の草木が庭に育ち、うっすらと暖かな陽が零れる日には似つかわしく無いカラスの鳴き声が、庭にも響く。
「伊勢義盛、武蔵坊弁慶で御座います。範頼殿は居られまするか」
義盛は名乗りつつ、腹の底から声を絞り出した。
流石に居留守もばれたと観念したか、奥からゆっくりと範頼の姿が見えて来た。
「な…何用じゃ」
この状況で二人は範頼が何か画策した事を確信した。
「鎌倉へのご帰還の儀に、義経公御自らご挨拶致す所ではございますが、天子様よりの御好意により屋敷を出られず、我らが代理として参上仕りました」
「さ…左様か、御苦労であったがもうよい、屋敷に戻られい」
「…範頼殿、今般は大役を一手にお受け頂き、義経公は感謝しきりでございました」
「何? 大役と…?」
「神器奪還の失策と引き換えに、一人の平家家臣の身柄では、頼朝公も得心頂けるや分かり兼ねる故」
「ああ、良い良い。拙者が何とでも切りぬけて参る。策士は何も義盛殿だけに有らぬわ」
義盛と範頼の会話で、弁慶が高く笑った。
「何が可笑しいか、弁慶殿」
「神器奪還…で、ござるか」
弁慶の言葉に、範頼の顔は蒼白となった。
「おのれ、嵌めおったな…」
「さて、我等は何の事だか」
知らぬ振りを演じる二人を前に、範頼は一旦間を置き答える。
「うぬ……まあ良いわ。其の方等に申しておくが、義仲討伐然り、一の谷然り。義経殿を表に立てぬが利口ぞ」
「義経殿は鎌倉殿の実弟ではありませぬか…何をそこまで」
義盛の言葉に、範頼は被せる様に言い放つ。
「実弟では無い。が、その事よりも…上皇様と鎌倉殿の間に入れてはならぬのだ」
「手柄欲しさ…という言葉には聞こえませぬな」
弁慶のその言葉に、範頼は顔色を変えずに言う。
「我は河内源氏…棟梁にはなれぬが、義経公は違う。鎌倉殿に最も近く、警戒しておられるのだ」
「成る程…神器奪還を命じられぬ訳だ」
「故に、表に立たぬよう、其方らが目を付けて置く様にな」
義盛と弁慶は、暫く経った後に屋敷を後にした。
彼らが義経の屋敷から離れた理由はここにあった。
「何か企みがあるとお思いか?」
弁慶が大通りを帰りながら小声で囁く。
「立身出世でしょうね。無論、範頼殿の言葉に真実もあるでしょう。ですが奥州より来た弟と名乗る者が、突如頼朝公に絶大な信頼を得て、更に手柄を立て続けると、それまでの家臣始め、頼朝公の囲い込み連中が嫉妬をして当然」
「しかし天子様は義経公をたて、平家討伐へと向かわせたがるのでは?」
「いいえ、恐らくは京に留めるでしょう。上皇様も鎌倉殿との策謀戦は感づいておられる筈。更に武士に実権を握らせるなど、平家に続き義仲殿の一件で懲りておられる」
「義経公自身が武士でござるぞ?」
「義経公は偶像として京に留め置き、恐らくは何らかの名目の上で身動きを取れなくするのが、次の一手かと」
「そうなると、鎌倉殿と天子様、互いの利益に繋がる、か…」
弁慶は顎を撫でながら、目を閉じて考え込む。
「そして鎌倉殿は、新たな英雄を家臣に求める…」
義盛の言葉に、弁慶はハっとする。
「範頼殿か!」
「ええ、範頼殿もそこを狙い、恐らくは鎌倉殿へ手柄の報告をしている筈です。しかも義経公を良く思われない者も、少なからず居る筈ですからね」
義経在京、範頼帰還の裏を探る二人は、源家内部の影に迫っていた。しかしこの時、そこに第三の影の存在がある事に気付いてはいなかった。
陽も暮れかかった頃、弁慶・義盛は義経の屋敷へと戻った。
「どうじゃった、何か分かったかえ?」
「龍さん…何て格好をしてるんですか?」
そこに居たのは紛れも無く龍馬だが、白い衣に赤い袴を履いていた。が、明らかにサイズが足りていない。
「白拍子には男も居るが…坂本殿が舞っても、違う舞いになりそうでござるな」
「弁慶殿、それは可笑しな事を言う。ワシはこう見えてもよさこいは踊れるがじゃ」
そう言いながら、フラフラと腕を動かす。
「龍さん…誰も知らないよ」
義盛は手で顔を覆う様にしてうな垂れた。
「坂本殿、こちらは如何であったか?」
「ん? あぁ…今度帝の元に、百人の白拍子が集まるがじゃ」
くるくると舞いながら、龍馬は無感情に言う。
「それが…何かあると?」
「義経公が、その白拍子の舞いを見に行かれるがじゃ」
「………帝の元へ? 義経殿が??」
一瞬の沈黙の後、義盛と弁慶は驚愕した。まさかこの時期に義経と後白河上皇が合う事になるとは。二人は同じ事を感じ、驚いていた。
「それは止めておかねばならぬ…」
「ほ? 何でじゃ? 帝に謁見するち言うても舞いを見に行くだけじゃぞ?」
「それでも止めなければならぬ!」
龍馬と弁慶の問答の間、義盛は他の驚きを持っていた。
『白拍子…確か、義経の愛妾となる静御前も白拍子のはず』
そう、出逢わなければならぬ二人を出逢わせば、策謀の渦が加速する。しかしそれを拒否すれば刻そのものの流れが変わり、どうなるか見当も付かない。静御前は恐らく、その場に来るだろう。そうなれば史実通りに事が運ぶが、この先の策謀も…。
「どういたがじゃ、義盛殿?」
考え込む義盛に、龍馬が声をかける。
「いえ…義経殿は何処に?」
「白拍子に酌をさせちゅうが…この衣の主じゃ、どうじゃ、見事じゃろう」
飄々と笑って舞っている龍馬を無視し、部屋を移る義盛。残された龍馬と弁慶。
「…弁慶殿…良かったら、ワシが伽でもしちゃろうか?」
「…戯言を申すな…」
真実を告げず、歴史を告げず、そして刻を曲げずに歴史を動かす。
義経が義経であり続ける歴史を紡ぎながら。