戦の後の京
寿永三年二月、一の谷で平家を撃退した源氏軍は京に戻った。
鎌倉の頼朝より進軍を命ぜられていた彼等は、何故か義経の命無しに動きだす。その中心に居たのが範頼だった。
範頼は一の谷で討ち取った平家、名のある武将の首級を大通りに晒して行った。
三百年続く平安・京の町にこのような血生臭い光景が広がった事はかつて無い。しかし平家の圧政に耐えて来た京の民は喝采を送った。と同時に後白河法皇もそれに満足をしていた。いや、彼が満足をしていたのはその光景だけでは無く、捕虜として重衡を連れて戻った事も大きいだろう。
「義盛殿、これをいかが見るか?」
大通りを歩く弁慶が義盛に尋ねる。
「義経殿に対する威圧…でしょうね」
予想をしていなかった答えに、弁慶は足を止める。
「威圧と? 何故そのような事を?」
不意に足を止めた弁慶を、義盛は振り向き更に答える。
「お聞きになられてるでしょう。範頼殿には鎌倉から帰還の命が下り、義経殿には下っていない事」
「それは殿に、京に留まり平家を睨めとの意義があると思っておったが」
弁慶は目を細めて義盛を見つめる。
「では、重衡を鎌倉へ連れ行く事に関しては、如何読みますか?」
義盛の問い掛けに、弁慶は口を閉ざす。
一の谷の合戦後、範頼は京に戻りすぐさま鎌倉へ文を出した。その内容は自らの手柄ばかりを書き連ね、義経の事など何も記していなかったと伝わっている。
三月に入ったばかりの京。
あまりに凄惨な大通りをカラスが舞い、嘲笑うかのように京の民が生活を送る。その中で義盛は最悪の展開を口にする。
「頼朝公は義経殿の手柄を欲してなどいない…。そればかりか、その手柄など無視を決め込み、利用し、闇へと帰する心づもりやも知れませぬ」
「源家の棟梁…で、ござるか?」
「ええ。手柄を認め、このまま進軍を許せば、源家の家臣の心には次第に義経殿が入り込みます。事実、京の民は義経殿を神格化している者も出だしたとか」
義仲追放・討伐に加え、福原に鎮座していた平家を西方へと追放したのは義経であると、京の民は知っていた。だからこそ義経を英雄視し、この凄惨極まりない光景も受け入れていたのだ。
「棟梁は二人要らぬ…という事でござるか」
「恐らく義経殿は、そんな事をお気にされてもいない。何より源家復興、頼朝公への忠誠のみでございましょう」
「頼朝公は重衡を鎌倉に呼び、後白河法皇との駆け引きに使うおつもりか!」
「ええ…恐らくは、平家と神器を交渉する手段として、更に朝廷を操るおつもりやも知れませぬ」
「神器は天皇たる者が保有する物…。まさか、御自ら天子となる為に?」
「そこまでは考えては無い筈ですが、中枢へと上り詰める道具としか考えて無いと思います」
「それならば、何故神器奪還をしないのだ」
二人は再び、歩き始める。そう、後白河法皇から出ているのは『三種の神器奪還』の勅命。だが義経には伝わっていなかった。ならば最悪のケースとして、他の従軍者にのみ出されている可能性もある。
「……範頼殿か…!」
静かに、しかし腹の底から弁慶は声を絞り出した。
同じ頃、義経は与一・龍馬と共に京の屋敷に居た。
後白河法皇が在京中の義経の為にと用立ててくれた屋敷だ。そして、彼等はその屋敷で行われている舞を眺めていた。
「後白河法皇も、なかなか洒落がきいちゅうのぉ」
呑気に酒を呑みながら、愉快そうに眺めていた。
「坂本殿、我等は何故鎌倉に戻れぬのでしょうか」
舞を眺めてはいても、ソワソワと落ち付かない与一。当然である。彼はこんな生活を送った事は無く、初めて見る白拍子の舞に緊張すらしていた。
「何ち、与一殿はそげな事も分からんがか? 鎌倉殿は義経殿に、京の治安を守れっちゅう事を言うちょるがじゃ」
少し歳を重ねた白拍子は、美しく舞い、そしてその場に平伏した。
「おぉ、美しい舞いを見せてもろうたがじゃ」
龍馬はその場で手を叩き、褒めた。それに釣られて与一も拍手をしたが、義経はただ眉間にシワを刻み、その女を眺めていた。
「女、名を申せ」
その言葉に、白拍子は顔を少し上げて応える。
「磯禅師と申しまする」
「磯禅師よ、白拍子には神がかりな力があると聞くが、その方はどうだ?」
「只の舞いを生業とする者にございます」
再び頭を下げ、礼をする磯禅師。だが、続けて言葉を発した。
「ただ、法皇様が近々百の白拍子を集め、雨乞いの舞いを御所望とか。我が娘もその場に向かいまするが、そのような場には、神がかりな神通力を持った者も…」
「神通力と来たか! そいつはエエ!見てみたいのぉ!」
龍馬は目を輝かせ、義経を見る。
義経はその視線に気付くと、苦笑いを浮かべながら答える。
「丁度…後白河院様より呼ばれておる…。兄上に無断で謁見等はできぬが、その舞いを見る事を口実に許されよう」
義経は一の谷より帰京後、度重なる謁見の催促が朝廷より届いていたが、断り続けていた。だが流石に法皇自らの申し出を何度もとこ悪訳にはいかず、この機に…と、思った。
だが、この判断が後に後白河・頼朝の対立の原因となり、義経の未来に影を落とす事となる。不運はこの時、義盛・弁慶が居なかった事。
京で、刻の渦が少しずつ巻き始める。