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清和の王  作者: 才谷草太
一の谷の合戦
26/53

敦盛と直実

奇襲作戦において、圧倒的な勢いを持った源氏軍。平家軍は逃走戦を余儀なくされる。

 鉄拐山の忠度本陣を落とした頃、生田口・夢野口からは、塩屋口から立ち上る煙が見えたと言う。

 これは当然、義経軍が僅か百騎程度で本陣を落とし、火を放った証拠である。そしてその事を承知しているそれぞれの軍は、これぞ勝機と一気に流れ込んで行った。

 一つの陣営を落とされた平家、そして一つの陣営を落とした源氏。両者の士気はみるみるその差を広げて行き、最早これまでと平家の大将格は皆海へと逃亡を始めていた。

 その中には平家が「天皇」と掲げる『安徳天皇』、その母である『平徳子(建礼門院)』、そして総大将である『平宗盛(清盛の三男)』も居た。そう、先頭を切って総大将が逃げ出していたのだ。無論そこには安徳天皇を守る、という使命もあったのであろうが、これが後に、平家の大混乱を招く引き金となる。


 総大将不在での戦闘は、最早戦闘にならず、規律のとれた源氏軍に圧され放題。

 更に、水軍では平家に一日の長とでも言わんばかりに、次々に船へと乗り込み海上へと逃れる者達…。

 当然、水軍を持たない源氏軍としては、海上の平家を討つ力は無く、そのまま野放しにせざるを得ない状況となっていた。

 そうなると、地上戦では源氏の独壇場と化した。


 平家軍は如何にして海上に逃げるか…。源氏軍はそれを阻止するか、という戦へと変貌を遂げる事となる。


 あの男が来るまでは。







 時は少し遡り、地上での戦が混沌として来た頃、一番槍を突き立てた熊谷直実は、海上へと逃亡を謀る平家軍の討伐を行っていた。

 『敵大将格が居るやも知れぬ』

 という思いでの単騎行動だった。


 海岸線では命からがら逃げて来た平家軍を、ひたすら阻止するという、戦とは似て非なる物だった。

 「後方支援…しかしながら大将格の御姿も見えず、雑兵ばかり。この戦はどうなっておる…」

 正しく掃討戦と言うべきこの戦に、その意味を見出せなくなって来ていた。大将格を討ち取り、勝ち鬨を挙げ、戦が終わる。これまで繰り広げていた戦とは性質が違う事を、誰よりも敏感に察していたのかもしれない。事実、この戦の後に義経軍を離れ鎌倉に戻る者も大勢居たと言う。

 「平家を壊滅させる為の戦…か。この先のある若者も居るであろうに…」

 直実は共に参戦している息子を思い出しつつも、言い知れぬ脱力感と闘っていた。


 その時だった。


 波打ち際から、小舟を押して海へと逃亡を謀る武者が見えた。その身形からして、平家の大将格かそれに近しい人物であると瞬時に判断できた。


 「待たれよ! 平氏の大将格とお見受け致した! 某と正々堂々の一騎打ちを所望致す!」

 直実はその武者の傍に馬を止め、持っていた槍を砂浜に突き立てて太刀を引き抜く。

 小舟に寄り添い、逃亡を謀っていた武者は海中で足を止め、暫く思案する。

 「我こそは熊谷直実なり! 尋常に勝負致されい!」

 その名乗りに、若武者は涼やかな表情を一変させた。

 「熊谷…裏切り者の血筋…!」


 そう、熊谷とは平家と同じく桓武天皇の流れを組む家柄(諸説あり)。元は平家に仕えており、前九年・後三年の役で源氏と戦っていた。

 それが今度は源氏に付いたのである。裏切り者と称されてもおかしくは無い。が、当然彼にも言い分があり、その後の平家の悪政に嫌気がさしたのだ。


 「裏切り者…とはな。しかし悪政を敷き民を苦しめるが為に、我等は戦って来たのでは御座らぬ」


 その言葉に、若武者は小舟から手を離し、ゆっくりと砂浜に歩いて戻った。

 「悪政と申すが、今の世は如何か? 政を行う者が天下を取り、我が物と言わんばかりに独裁をする。今まさにその手先となろうとしておるのが、お主ら源であろう…。我等と何が違うと申すのだ!」

 そう、ただの権力争いだと言っているのだ。そして若武者は砂浜に上がり太刀を抜き、直実に剣先を向け、更に言う。

 「端より悪政を敷く為に、中央に上った訳では御座らぬわ…。力の魔力に執り付かれ、我を失した顛末である。その立て直しは、同族である我ら一門が行う!」


 憂いていたのは源氏だけでは無かった。


 暫くの無言が、二人を包み込む。


 背後では、平家の掃討戦が次第に近付いている。


 「無情…で、ござるな」

 直実はそう言うと、刀を振りかざして若武者に斬りかかった。元々弓の名手として知られていた直実だが、一騎打ち・一番槍に拘りこの戦では弓は使っていなかった。当然、若武者もその太刀を鎬で受け、やり過ごしつつ距離を取ろうとする。が…戦経験では直実が上だった。

 太刀の柄で後ろへと跳ぶ若武者の頬を殴りつけ、砂浜に倒す。そして、すかさず馬乗りになり兜を脱がす。


 「…貴方様は…どなたか…?」

 兜の下には、まだ幼さが残る顔が出て来た。そして、年の頃は直実の息子、直家と同じ頃…。その直家は一番槍の直後、平家側の弓にて重傷を負い、戦線を離脱しており、その仇打ちと言う事もあり単騎にも関わらず逃亡を謀る平家軍を止めていたのだ。そして、その戦の虚しさに疑問を感じていたのだ。

 しかし、直実のその設問に、馬乗りされた若武者は首を振って答えた。

 「名乗る事は御座らぬ。首検分すれば明白になるであろう」

 若武者は一切の迷いなく、そう答えた。


 『我が息子の仇打ちの為に、この若武者を斬れば某もまた、仇とされる』

 直実は、戦という独特の価値観から無常を知る。


 次第に掃討戦の音が近付く。恐らく源氏の勢いが増して来たのだろう。このままこの若武者を逃がせば、何れかの手の者に討たれる事は間違いない。

 知らぬ間に、馬乗りになる直実は涙を流していた。そして、その事に気付いた若武者もまた、恨み無く笑顔で言う。


 「斬られる事が天命であれば、其方の手に掛かって…それが最後の望み」

 そう言って目を閉じた。


 直実は、切っ先を砂浜に当て、物打ち(切っ先から三センチ程の場所)を若武者の頸動脈に当てる。

 「無情…無情…。この直実の手におかけ申して、後世のための御供養をいたしましょう…」

 そう言うと、目を閉じて念仏を唱えながら、梃子の原理宜しく柄を押し下げた。


 鮮血と涙で、直実の顔が濡れる。


 そして、その若武者の腰にある包みに目が行く。首級を包み申し上げるには上等の布であった為、それを拝借しようと抜き取り広げると、そこには一本の笛が包まれていた。

 よく手入れされており、直実も見た記憶のある名の有る笛…。それは平忠盛が鳥羽院より授かった、青葉と言う笛だった。


 「敦盛殿か…名乗り、従えば落とさずに済んだやも知れぬ御命を…」

 直実は、その笛を抱きしめ、声にならぬ悲鳴となった涙を、滝のように流した。



 後に彼は戦を離れ、出家をする。

 この戦の功により安芸国に所領を構える事を許され、その地に敦盛を手厚く奉ったと言われている。






 悲劇を生む戦場は、止まらない。

 場所を変え、敦盛が討ち死にをした少し後の生田口・夢野口では、相も変わらず海上へと逃亡をしている平家軍と、勢いを増した源氏軍が地上で暴れている。


 が、その戦況を見た平家軍は、とある転機に気付く。

 海上に逃げる平家軍を見逃している為、海上には既にひと戦展開できる程の兵が居る。


 それらを気に掛ける事無く、陸地戦で暴れ回る源氏軍。

 海上の小舟は、示し合わせたかのようにゆっくりと分かれ、地上に向けて弓を構える。


 「放て!」


 どこの船からともなく、号令が飛ぶと、矢は放物線を描きながら地上で背を向けて暴れる源氏軍を襲う。

 形成逆転である。

 源氏軍はしばらく何が起きているのか分からず、背後に全く気付かなかったが、それが海上からの攻撃と気付いた瞬間から、我先にと海から遠ざかろうと戦そっちのけで右往左往し始めた。

 まさしく水軍を有する平家ならではの攻撃。これを見た範頼は、見逃した敵の大きさに後悔と恐怖を覚えた。と、同時にやはり壊滅させねば成らぬと、心底思えた。


 「だが…如何ともし難い…」


 この状況を見れば、誰もがそう思うだろう。

 源氏軍は立木に隠れ、小屋に隠れ、戦どころでは無い。

 一方の平家軍は悠々と船に乗り、逃亡を開始している。

 「口惜しい…奴等は何をするべきか分かっておるわ…」

 範頼は下唇を噛み締めつつも、手立てが無い事を後悔していた。確かに陸から弓は打っているが、あちらは散在していて的が絞り辛い。逆にこちらは密集している事で、的になり易い。


 「九朗…義経ならば…義盛ならば、如何する…」

 範頼が思案を巡らせていた、その時だった。

 彼の視界に映る海上の平家軍が、次々に海面に投げ出されている。それも倒れ込むように。

 目を細めてよく見ると、矢が飛んでいる。それも何十本と…。


 「わはは、待たせてしもうたかいのぉ!」


 訛りだ。どこかで聞いた事のある、大声の訛りがある言葉だ。



 「坂本…!」


 海上から一艘…いや、三艘の小舟を繋いだ船が、平家軍に向かって矢を射ながら近付いて来ていた。

 その船には木の盾が施してあり、敵の矢を防いでいる。


 「ちゃちゃちゃ、漁師を説得しちょったんじゃが、埒が明かんでのぉ…ほいたら、こん近くに水軍(海賊)が居るちゅうやないがか。ほいで、戦の話しと、ほれ…この通り水上の要塞を教えてやったがじゃ」

 浜辺まで漕ぎ着けた船から、ひょいっと龍馬が飛び降り、次いで与一も弓を放ちつつ降りる。

 「まぁ、こん盾の案は富士川の義盛殿の引用じゃがの」

 そう言って大いに笑った。


 源氏水軍は、みるみる内に平家軍を射抜き、その数を減らして行く。

 「まさか…義盛殿の秘策は、坂本殿が本命であったか…!」

 「それはどうか知らんが…、お? どうやら戦も粗方終わっちょるようじゃのぉ…」

 龍馬は眼を細め、夢野口方面を見遣る。

 「坂本殿! この後は如何致す気か!」

 声を荒げるのは与一。

 「戦場を与えてやる等と…この後水上戦に成らざる時は、水軍を一体…」

 「心配せんでもええ。しっかり考えちゅうき」

 楽天的に言い放ち、海上を見ると既に小舟だけになった平家軍が散り散りに逃げて行く。



 「こん先は…讃岐は屋島かいのぉ…」

 龍馬は腕組みをして、南東の海を見る。


 だが、それとはまた別に、彼らを待っている者が京に居る事は、まだ誰も知らない。

感想など頂けたら、モチベーションと共にテンションも上がります。よろしくお願いします。

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