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清和の王  作者: 才谷草太
一の谷の合戦
25/53

忠度の最後

塩屋口に攻め入った義経軍は、大将忠度の姿を追い本陣へと突き進む。

 義経が塩屋口に攻め行った時には、既に守衛に就いていた平家軍が四散しており、残る本陣の者達は戦闘準備に参加していた。無論、彼らは僅か十騎の土肥軍と戦闘を行っており、ここに来て七十騎の義経軍到着が悪夢に感じられただろう。

 義経を先頭に、土肥軍の後方から更なる攻撃を加えつつ、塩屋口本陣へと入りこんで行くが、一向にその陣の大将と思われる忠度の姿が見えない。


 「平忠度殿は何処か! 鎌倉は源頼朝が弟、九朗義経である!」

 義経はそう叫びながら土肥軍と合流し、奮闘していた。徒に時間だけが過ぎて行く。




 「奇襲に次ぐ奇襲…更に波状攻撃。正面からの戦では敵うまい」

 混戦となっている塩屋口で、何故か悠々と生き延びている男がいる。その男は義経より遥か後方で槍を構えるが、一向に戦う素振りを見せていない。

 「奇襲には奇襲…に御座いますな?」

 傍に立つ男が同じく槍を構えつつ、ニヤリと笑う。

 「まさか味方に紛れた敵に、背後から刺されるとは思いもよるまいぞ」


 混戦が続く塩屋口の戦いが、敵大将未確認の中で長引き、焦りが出る源氏軍に対してその男は敵意の笑みを浮かべた。

 「忠度様、我が御守り致す故一気に義経めの背を貫いて下さいまし」

 「済まぬな…我が身を任せる」

 そう、平忠度は源氏兵になりすまし、混戦を利用して忍び込んでいたのだった。その二人は、エイヤァと掛け声を上げ、一気に義経までの距離を詰めようとした、まさにその時…。


 「各々方、敵は前方では御座らぬぞ!」

 そう言って忠度の鎧を背中から掴む男が居た。


 「何奴じゃ!」

 忠度は慌てて振り向き、男の顔を確認する。

 「これは妙な…某の野党にお主等のような男は記憶に無いが…?」

 忠度を止めた男は、ギラ付く槍先を前方に向け、自らの兜をグイっと上げて忠度の顔を確認しようとする。その瞬間、忠度の隣にいた従者が、その槍を上から叩き下ろし叫ぶ。

 「お行き下され! 後は我が!」

 「合い分かった!心意気を無駄にはせぬ!」

 そう言うと一目散に前方の義経に向かおうとするが、その背は既に視界から消えている。

 「ええい、忌々しい!」

 忠度は叫びつつも辺りを見回す。が…前方へと脚を向けた瞬間、従者の悲鳴が忠度の耳に入る。驚いた忠度は脚を止め振り返り、一突きにされた従者の亡骸を確認した。


 「其の方…名は何と申す」

 「我が名は武蔵坊弁慶。義経殿の野党に参じた坊主にござる」

 そこには先程、自らを呼び止めた男とはまた別の男が、槍の先に従者をぶら下げて立っていた。

 「弁慶殿か…申し訳ござらぬ」

 「何の、岡部殿はその男を討取って義経殿の御前に」

 弁慶はそう言うと、従者の亡骸を振り払う様に槍を振りまわした。

 「かたじけない」

 岡部と呼ばれた男は、再度槍を取りつつ忠度と向き合う。そしてそれを見た弁慶は、そのまま前方へと走り去り…と言っても、そう速くはないが…一騎打ちの舞台を整えた。

 「其の方の名を御聞かせ頂きたい」

 岡部は忠度に尋ねる。その設問に、覚悟を決めた様に口を開く忠度。

 「我が名は忠盛が六男、忠度なり」

 その名乗りに岡部は驚きを隠せない。忠度と言えば清盛の腹違いの弟であり、紛れも無く平家の大将格である。その男との一騎打ちをこの場で繰り広げてしまうとは、運が良いのか悪いのか。

 「御大将で御座ったか…。不躾で御座った。我が名は岡部 忠澄。武蔵七党は猪俣党にある」

 「武蔵の夷めか…。其の方、我の何処で敵と合い分かった?」

 「我ら源氏には、お歯黒の者は居らぬ故」

 岡部はニッと笑い、自らの歯を見せた。貴族の暮らしに浸ってしまった平家軍大将格は、その習わしから歯を黒く染めていた。そこを見抜いたのは扱く自然であり、そこを隠さぬ忠度も落ち度があった。

 「敵陣ただ中においての会話が災いしおったか…敵陣に忍ぶ事で油断が出たわ」

 忠度は口惜しそうに歯を食いしばり、槍を降り上げ岡部に殴りかかった。


 当時の一騎打ちとなると、周囲の者は手出し無用という風習があった為、この二人の戦いに割って入る者達は居ない。と、言ってもその周辺には既に平家軍はおらず、百騎程の源氏軍が本陣奥に向かい突入していた頃であった為、その周囲には兵士は疎らでしか無かった。


 「我ら平が…滅びる事なぞ、無いぞ。清盛公の、我が兄の思いは滅びはせぬ」

 「何を仰るか。時勢が既に清盛公を欲してはおらぬ。熱病にてその命を終えた事こそ、天が平を手放した証でございます」

 槍を交えたまま、二人は言葉を交わす。そして、その後に岡部は忠度の腹を蹴り、距離を取る。


 「ぐぬっ…ぐふっ」

 見事に水月を蹴り込まれた忠度は、構えながらも息を整える。

 「ふぅ…ふぅ…。岡部と申したか…若いな」

 息を整える間、ゆっくりと槍を構えて待っていた岡部に、忠度は警告にも似た言葉を投げかけた。そして、次の瞬間に腹を目掛けて槍を放ち、すぐさま太刀を引き抜き斬りかかる。

 思わず槍を交わした岡部は、二の太刀が振られる様を眺めるしか無かった。


 『斬られる…!』


 太刀は岡部の喉元に向かい、横に撫でられ、鮮血が舞う。


 「一騎討ちに横槍とは…卑劣なり…」


 そう呟いたのは忠度だった。

 岡部の喉元を横に薙ぎに行った忠度の太刀は、左手に握られたまま地面にボトリと落ちていた。そう、鮮血は忠度の腕から噴き出た物だった。

 「我にそのような事を言われても…。ただの野蛮人故に分かりません」

 何食わぬ顔で忠度の左腕を斬り落とした男は、そのまま納刀して本陣奥に走り込んで行った。

 「野蛮人めが…」

 怒りに染まった目は岡部を見遣る。

 「確かに…だが我はこの瞬間、命を拾った」

 そう言うと、岡部は躊躇なくその地面に落ちた太刀を拾い上げ、忠度の首を刎ねた。


 「言う通り…奇襲・横槍は卑怯とも言える。だが、強い」

 忠度の首を拾い上げ、複雑な思いで義経の向かった本陣に視線を向ける岡部は、そのままゆっくりと義経を追い始めた。




 激戦の末に塩屋口の本陣を叩いた義経は複雑な表情のまま、岡部を幕に迎えた。


 「天晴な働きぶりであった…」

 自らが大将の首を討つつもりの義経に対し、岡部は厳かにその首を差し出した。

 「我一人の働きでは御座いませぬ…。そこに居る男が、助太刀を」

 岡部の視線の先には、兜すら身に着けていない男が、太刀を片手に血まみれになって立っていた。

 「…義盛殿が?」

 肩で息をしながら、まるで記憶に無い様子の義盛。

 「申し訳ない…何の事だか…。崖を下ってより、残党を蹴散らしつつ弁慶殿の背中を追って参りましたので、戦いの内容までは…」


 そう、馬から下りた後、槍を取った弁慶は一目散に走り去ってしまった。そしてその背を追いかけるように義盛は走ったが、残党が弁慶に気付きその道中にあふれ出て来たのだ。それらを倒しつつ義経の本軍に合流する為に走っていた中での事で、正直記憶に薄い。


 「坊に追い縋るのに、そこまで苦労したと?」

 義経は愉快そうに笑い出した。不機嫌そうな表情は一転して無邪気な笑顔となった。

 「猪や熊を追いかける術は、生憎存じ上げておりませぬ故」

 「拙僧は猪でも熊でも…」

 弁慶はムッとして義盛を見るが、義経は更に愉快そうに笑う。


 『…この御仁達は、戦に於いて感覚を持っておられるのか? 修羅の如く戦に入ったと思えば、こうして笑い合う…。これではまるで阿修羅ではないか』

 奇襲と戦闘に於いて、人知を超えた業を感じた岡部は、この男達に恐怖を覚える。そして彼は、この一の谷の戦の後、義経軍に加わる事を避けるようになり、再び戦線に戻る時は忌まわしき輪廻の時となる。





 平忠度、討取る。

 この報せが届いた両陣営の『生田口』『夢野口』は、それぞれに声が上がった。

 更に塩屋口では既に大半の兵が海に逃れ、屋島へと向かい逃亡を謀っているとの報せも届く。この事により両陣営は完全に流れを悟った。

 後方(西方)からの支援が終えた『夢野口』は、背後からの襲撃に晒されることになり、しかしここを退けば、更に前線の『生田口』が挟撃される。

 源氏には士気を高め、平家には混乱を招く報せとなり、義経の別働隊である安田義定、多田行綱は平知章、平業盛、平盛俊、平経正、平師盛を相次いで討つ。三兄弟で三草山に居た師盛も、ここで源氏に討ち取られたのだ。



 そして、その報せが各陣営に届く同じ頃、海岸線では岡部と同じく、戦線から身を引く事になる一人の男が、平家の兵を追い掛けていた。

感想など頂けたら、モチベーションと共にテンションも上がります。よろしくお願いします。

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