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清和の王  作者: 才谷草太
一の谷の合戦
23/53

鵯越 ~逆落とし~

 義経達一行は、鵯越から若干の武者を引き連れて南西へと進路を変える。

 その道は既に人が通る道では無く、馬を駆っての進軍は非常に困難な道となっていた。剥き出しになる岩肌、跳躍しなければ足の踏み場も無い崖、時間は嫌が応にも過ぎ去って行く。

 もう日は変わっただろう。

 松明が使えぬ進行は、困難を極めていた。彼らは月明かりと猟師の足取りのみが頼りとなり、一歩間違うと転落する可能性が高い道を突き進んでいた。


 七日早朝。


 暁昇る頃に、その頂上へと辿り着いた。

 幸い脱落者も無く、全員が辿り着いている様子だった。


 「聞きしに勝る壁で御座いまするな」

 弁慶は馬から下り、崖から下を覗く。暗闇を進み、そしてゆっくりと明るくなる空の下に、崖の下が照らされる。

 30m程の崖。

 そこを下り、少し行けば平家の陣がある。が…その崖を前に、全員が腰を引いてしまう。その様を見た義経は、猟師に問いかけた。

 「其の方、鹿は下りると申したな?」

 「へぇ…足場はそこと、そこに…。ワシらもそれに倣い、猟に出る時はその場を使うのが普通で…やけど人馬は」

 そこまで言うと、義経が遮る。

 「人と鹿が通れるのだ。馬も通れなくて如何するか?」

 怪しく笑い、後方の武者に言う。

 「馬を三頭持て」

 その声に敏感に反応する武者達。精神的に疲れ切った上に、崖から下りろ等と言われればたまった物では無い。誰もが二の脚を踏んでしまう。そんな状況下で、義盛は自ら馬を下り、義経に差し出す。

 「義経殿、これをお使い下さい。ここから見事下れば良し、転落すれば我らに勝ちは無くなりましょう」

 その通りだった。主力軍はさておき、此処に居る百騎はこの奇襲が成功しなければ、勝ちは無くなる。むざむざ道を回り、忠度の正面から切り込む等、戦術も何も無くなる。水軍と忠度に挟み撃ちされ、果てるのが結末となる。

 そして、既に馬から下りて崖っぷちに立っていた弁慶も、義経と義盛の顔を見比べた後、渋々と馬を差し出した。

 「拙僧は身軽では無い…。義盛殿、背負って下りて頂けるか?」

 弁慶の困り果てた顔を、クスッと笑いながら見た瞬間、義盛は自らが跨っていた馬の尻を叩く。


 ヒン!と短く嘶いた後、馬は崖へと姿を消した。そして次の瞬間には、弁慶の馬も尻を叩き崖下へと向かわす。


 実際には垂直に切り立っている訳ではない。

 なだらかではある。が、人が大勢通る様な所では無く、まして馬に跨り下りれる程、勾配も緩くは無い。が、両馬は数少ない足場をガツガツと進み、時々上を見遣りつつも的確に下りて行く。勿論平地と比較すると馬の背は暴れ、しがみ付いていなければ転落する事は一目瞭然である。だが降りられない訳では無さそうだった。


 「ふん…。この辺りの者は、ここを馬で下るなどとは考えぬのだな?」

 義経は崖下に向かう馬を見下ろし、猟師に言う。

 「はぁ…それはもう…」

 その光景に、良い知れぬ高揚感を抱いたのか、その猟師はワクワクしている様に見えた。

 「其の方、名は何と申す」

 「は、ワシは三郎と申しまする」

 「九に十一、そして三か…。其の方の山の知識、この後も使えるやも知れぬ。某の野党とならぬか?」

 「は…? あ、ははっ!」

 「そうじゃな、名を与えよう。鷲尾三郎義久で如何か?」

 「あ…有難き!!」

 猟師をしていて、まさか源氏の旗頭に誘われるとは思わなかったのだろう。顔を真っ赤にして、満面の笑みのまま立ちつくしている。その様子を見た弁慶は、笑いながら言う。

 「これ、殿の前で礼を尽くすのであれば、片膝を付き頭を垂れぬか」

 猟師の三郎には、その辺りの礼儀など分かる筈は無く、更に顔を染め膝を付いた。そして、その様を見ていた一軍は微かに笑い声を広げた。



 「笑えるお話しがお好きであれば、どうぞ崖下をご覧ください」

 義盛は下を指さし、にこやかに笑っている。

 「行き着いたか!」

 勇ましく崖下を覗く弁慶だったが、次の瞬間、表情が曇る。

 「これは…如何致した…」

 「どうやら、馬の方も身軽では無かったようで」

 落胆する弁慶に、笑いかける義盛。どういう事かと義経も馬より下り、下を見る。

 「はは…得心である。要は道筋さえ間違わねば、人馬諸共無事下山、と相成る訳だ」


 弁慶の馬は途中の足場を間違えたのか、義盛の馬からは少し離れた所に居り、脚をヒョコヒョコと引き摺っていた。


 「馬も主人に似るのか…? 義盛殿の馬は導く様に、着地した場から動かぬわ」

 笑いながら義経は再び馬へと跨り、スラっと刀を抜き叫ぶ。

 「心して下れば馬を損なうことはない。皆の者、駆け下りよ!」

 言うや否や、義経は先駆けて崖を下る。

 『勇猛果敢…と言うか、無謀と言うか…。貴族育ちでは真似できないだろうな、あの人の戦法は』

 義盛は軽く溜息を吐きながら笑うと、背後に居た武者達が一斉に動き始める。


 「三浦では常日頃、ここよりも険しい所を駆け落ちているわ! この佐原義連、主に遅れるなど恥ずべき事!」

 その声と共に、佐原は義経に次いで崖を下り、更にそれに続けとばかりに百騎は一斉に崖を下って行く。

 馬の蹄の音と、土煙り、そして喝采にも似た雄叫びは崖へと吸い込まれて行く。百にも上る馬が次々に掛けて行き、下まで辿り着いた者達は止まる事無く、忠度の居る平家の陣へと駆けて行く。



 「う~ん、壮観でしたね」

 義盛は満足そうに頂上より眺める。その姿を見て弁慶と鷲尾義久は不思議そうに尋ねる。

 「我等は如何すれば良いのか?」

 「ああ、そうですね…我々にはあのような真似は出来なかったでしょ? 歩いて降りましょう…義久、道案内をよろしく」

 悪ぶれる事無く、爽やかに笑い鷲尾を先頭に立たせる。

 「何と…義盛殿は、初めより馬で下る事を避ける為に…?」

 「無論です、振り落とされちゃ叶いませんからね」

 「何処までも…策士、か」

 弁慶は義盛を見て、軽く笑う。


 「さあ義久、我等も行こう…先に戦場が待ってます」

 義盛は軽く笑って鷲尾の背を叩く。まだ若い義久は、やはり血気盛んなのだろう。大きく頷き崖を下りだした。


 「弁慶殿も、参りましょうか」

 義盛はそう言うと、崖に向かう。その背中を見て弁慶は呟く。

 「策士も結構でござるが…策を殿に使うは関心致しかねる…」

 その声に反応し、チラリと背後を見遣り言う義盛。


 「志半ばで果てたければ、馬の背に乗り御大将の前で塵になれば如何です?」


 弁慶は何も反論できず、ただ二人の後に続き、崖を降りて行った。




 既に七日の朝日は徐々に顔を出し、東では戦が始まっていた。

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