義仲の最期
義経軍は大軍を引き連れ、馬を走らせていた。だがその殆どが行き先を知らず、ひたすら前方を行く者に着いて走っていただけだった。
それは義経以下、弁慶たちも同じだった。
「待たれよ、義盛殿!」
義経は叫ぶが、義盛は馬の足を止めずに振り向き叫ぶ。
「申し訳ありません! ですが先に義仲と思われる気配があります!」
…気配、そう言ったが勿論、核心は無い。核心は無いが、いつもの戦の『匂い』がしていた。それも薄らと。時間の流れを一瞬遅く感じ、『何か』が見えたのだった。
「気配など…某には感じぬが…」
半信半疑で、それでも尚義盛に着いて行くのは、それ相応の信頼関係ができたのだろう。
配下の者全員は、大将である義経が走っているから、付き従うしかない。弁慶・与一も不審な表情で従うが、龍馬はただ一人、元気に配下の者達を鼓舞していた。
「それ、こん先に敵の御大将義仲が居るがじゃ! 一番槍は誰が突き立てるがかのぉ!」
確信を持っていた。
龍馬も刻を超え、良く似た感覚を身に着けていたのだ。しかし何故か義盛程強くは感じてはいなかったが…。
「坂本殿…拙僧には何も感じられぬが、誠の事で?」
弁慶はスルスルと馬群を下がり、龍馬に横付けて聞くと、子供の様な笑顔で返す。
「自らの眼で見ちょったら、それ程信用できるモンは無いがやろ? こん先、剣…義盛殿の力が必要になるき、エエ機会じゃ。仏法では教わらん世界があるっちゅう事を、しっかり見ちょったらえいがじゃ」
弁慶は、義経ほど義盛を信用してはいなかった。龍馬はそこを見抜き、そう答えたのだ。
見事に切り返されたと、弁慶は仏頂面を下げてそのまま馬を走らせる。
「…巴! もう良い、下がっておれ!」
義仲は馬を駆けて巴の背後に行くと、兼平も続く。
蹄の音。それも一騎では無く大軍が迫る音が、まだ明けていない闇の中に響く。
「いよいよ義仲も最期の時を迎えるか…」
感慨深そうに、ポツリと言うと兼平は堂々と答える。
「恐らくはもう逃げ果せる事は不可能でございましょう…。それでも尚、逃げるか、それとも…」
「兼平よ、儂は武人ぞ。そこで待っておれ」
そう言うと、義仲は馬を下りて槍を地に立てる。
「この先は通さぬ。巴…其方には女子としての幸せを見出すのが、儂の最期の命じゃ」
「いいえ…わたしは義仲殿と、ここで共に果てまする」
「聞け、巴……。儂の命に背く事は、断じて許さぬ!」
義仲は、振りかえらずに叫ぶ。その目には、闇から見える松明と、先頭の男が映っていた。
「やあやあ!我こそは木曾源氏が棟梁、義仲なるぞ! 誰ぞ儂と一騎打ちを果たせ給え!」
「一騎討ちか…さすれば大将の我が…」
義経は大将同士の仕合をしようと、馬を下りに掛かったが、それを追い付いてきた弁慶が止める。
「坊、何故止めるのだ?」
「……驚きました…誠に義仲が居られるとは……」
龍馬の言葉ではないが、自らの眼で見た物を疑う事はできない。弁慶は義経の体を掴んだまま、義盛に言う。
「御見それ致した、義盛殿。誠の八幡大菩薩の化身やも知れぬそなたを、疑っており申した」
「いいえ…化身などではありませんが……かつて修羅と呼ばれた事はありますね」
義盛はそう言いながら、馬を下りる。
「義盛、待て…」
義経は慌てて制止するが、それを無視して歩み出す。
「九朗殿、御身を大切にして頂きとうございます。貴方様は御大将なのですぞ。ここで一騎討ち等をしては、源氏同士の争うに拍車を掛けてしまいまする」
「坊…しかし、義仲は大将自ら…」
「殿の怨敵は義仲ではございませぬ。誤られぬよう…」
二人の会話を背中に受けながら、義仲は歩みを進める。
懐かしい感覚。周囲の光景が手に取る様に分かる。戦いの感覚だ…。敵は三人。
「我は御大将、源九朗義経に着き従う者成り! 名を伊勢義盛と申す!」
歴史の表舞台に立った。が、目眩は起こらない。
『これも刻の許容範囲か、それともここで俺は死ぬのか』
義盛は、フウと溜息を吐いた瞬間、義仲が叫ぶ。
「御大将自ら相手をせざるとは、屈辱なり!」
『大将同士の一騎打ちを所望か…ならば』腹を括った義盛は、続けて言う。
「御大将の首級をご所望であらば、我を倒した後に遠慮無く持ち去るが良い!」
これには鎌倉軍が驚いた。一騎討ちと言う事は、この戦いに義盛が負ければ義仲を逃がす、という意味合いがあったにも関わらず、義経の首級を差し出すと言ったのだから、当然である。
だが、この動揺の渦の中、大笑いをする男が二人。弁慶と龍馬である。
「さあ、如何致すか義仲殿! 我らが軍師、義盛が首級と、頼朝公実弟の九朗義経公が首級、揃えて故郷に錦を飾るか!」
弁慶は義経の体を掴んだまま、大声で言う。
「坊! お主まで何を…」
慌てる義経の言葉を、今度は龍馬が遮る。
「我ら軍師は、一騎当千の修羅との異名を取り、その業は神速無敵成り! 恐れるならその場で首を切り自害して果て給え!」
こうまで言われれば、義仲は戦わざるを得ない。逆に鎌倉軍は一気に歓声を上げる。
自分が死ねば義経が死ぬ…。そうなると歴史が変わる。だが目眩が起こらないと言う事は、自分は勝てるのだ…。義盛は、確信した。
義仲、唯一人の戦いが、始まった。
『槍か…左之助さんと闘っておいて、良かった』
槍の名手、新撰組の原田左之助の顔が浮かぶ。
義仲は槍を構え、足を開いてその中心へと重心を落とす。左之助の荒々しい槍とは違い、どこか品がある佇まいに、義盛は感心した。
「其の方、獲物は持たぬのか?」
義仲は、抜刀すらしていない義盛に尋ねると、笑顔で返す。
「残念ながら、槍は使えません。どうぞお気にされぬよう…」
「ふん…体術か」
義仲は直後、槍を一気に突き出す。
「何が起きたのだ…」
義盛は抜刀し、剣先を地面に向けて垂らし、義仲の槍は柄が真っ二つに両断されていた。その様を見た兼平は、思わず口にしていた。
「今の業は何だ!?」
「これは居合術と呼ばれる剣術。攻防一体にして刹那の業」
義盛はこう呟きながら、再び納刀をし、脚を開き膝を曲げ、腰を落とす独特の構えを取る。
「義仲殿…そなたの獲物はその両断された槍で宜しいか?」
今度は義盛が問うと、ニヤリと笑う義仲が槍を投げ捨てて答える。
「儂が京に来た理由が、今分かった気がするぞ、兼平、巴…」
その笑顔に後悔は無かった。
「伊勢殿、巴と兼平はよく仕えてくれた。京での粗暴を戒めてくれた、掛け替えの無い者達だ。計らいを頼むぞ」
そう言うと、義仲は刀を抜いた。反りは殆ど無く、豪華な装飾が施されている。
「主に会えた事、最後に仕合える事を誇りに思う」
義仲はそう言うと、一気に刀を振り下ろして来る。剣術としてはまだ未完成なこの時代、江戸末期で磨き上げた居合相手には、敵うはずも無かった。
斜め下から抜刀した義盛の刀をなぞり、剣筋は反れて地面を叩く。と同時に右肩から腹までを義盛が斬り下ろす。
その主の最期を見届けた兼平は、馬上で刀を抜き、剣先を口に含む。
「我が主…見事成り!」
そのまま逆さまに落ち、剣は兼平の口から腹までを貫く。
壮絶な主従の最期に、義経は弁慶の腕を振り解き馬を下りる。
「皆、下馬せよ! 天晴な最期を遂げた者に敬意を払え!」
その声に、大軍は一斉に馬を下り、手を合わす。
義仲は立ったまま、息を引き取っていた。
「伊勢…義盛…!」
唯一人残された巴は、槍を握りしめ、義盛を睨みつける。主の命に背く事は出来ないが、仇は討ちたい。だが今の自らの力では、到底討てる筈が無い事も分かっていた。
義盛は義仲の腹から刀を引き抜き、血糊を掻き飛ばすと巴に向かって歩く。
闇の中から、少しずつ巴の顔が浮かび上がって来る。
「……巴御前…?」
名前は知っている。しかし何故義仲と共に居たのか、彼女がどのような存在なのかはまるで分からない。
「御前などと呼ぶな、わたしは武者。女などとうに捨てた」
涙を流し、義盛に対峙する巴はいじらしく見えた。
『義仲に惚れてたのか…。また一つ、業を背負ったな』義盛は、変わらず憎しみの螺旋の中に居る事を実感する。そして、せめてもの偽善とでも言うべきか、巴に言う。
「仇が討ちたければ、我等と共に来るか、鎌倉へ迎え。平家を討つ事こそ、義仲殿の思いであろう」
「仇と共に道など歩めぬ。主は必ず…その首級を」
「易々と討たれてやる訳にはいかぬ。それに…」
義盛はそこまで言うと、威風堂々と立つ義仲の背中を見遣り
「義仲殿の遺言でもある。護衛を着ける…鎌倉か京に迎え」
そう言うと背を向け、闇へと向かった。
沈黙の闇の中、巴の声を殺した悲鳴の様な泣き声が、静かに野原に響き、そして風に消されて行った。
源義仲の反乱は、こうして収束した。この事により、源氏の結束力は増し頼朝の名声も大いに高まった。
だが一人、義仲と闘った義盛は、疑問に感じていた。
『この戦の真実は、どこにあるのか。単なる覇権争いでは無いのか』
この疑問が、この後の京での事件を引き起こしてしまう。
~驕れる者 久しからず ただ春の夜の 夢の如し~




