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清和の王  作者: 才谷草太
源義仲の反乱
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クーデター

 寿永二年十一月十七日。

 不破関で陣を張り、法皇の勅旨が出るのを待つかの如く不動の義経・範頼軍に気を良くした後白河法皇は、次第にその気持ちも大きくなっていった。

 『自分には東国の支配者であり、源氏の棟梁が後ろ盾として構えている』と思ったのだろう。いよいよ義仲を逃げ場の無い片隅に追いやろうとしていた。更に、義仲は力づくで我が身を拘束し、宣旨を出す様に強要すると踏んだ法皇は、先手を打ち出す。


 『源義仲は直ちに西下し、平家討伐に迎え。院宣に背き京へ留まり、鎌倉軍と戦うのであれば宣旨によらず自身の資格により行うべし。仮に京へ在留するのであれば院宣に背いた謀反人とする』


 この院宣に対し、義仲はこう応えている。


 『君に背く心根無し。鎌倉軍が入京しないのであれば戦う意思も無し。直ちに西下致します』


 義仲は穏便に済まそうとしていたのだ。最も京での立場をこれ以上危うい物にしてしまっては、部下より自らの命に関わるのである。

 しかし朝廷は許さなかった。いや、朝廷と言うよりも後白河法皇が義仲の京に居座る事が我慢できなかったのだろう。実際、義経達は京に向かおうとせず不破関に滞在したまま動きを見せていなかった。一方の義仲も、その状況を知っておきながら京を離れようとはしていなかった。

 義仲の心中としては、『仮に西下すれば鎌倉軍が上洛し、自身は京に戻る事が叶わない』と思っていたからだ。つまり、京は義仲の支配下であり、誰にも渡さぬと誇示したも同然だった。


 そして、それを察した後白河法皇は翌十八日、後鳥羽天皇、守覚法親王、円恵法親王、天台座主・明雲を御所に集め、義仲に対しての武力衝突の準備を進めていた。



 十一月十九日…。遂に義仲が法皇に牙を剥く。ギリギリまで追い詰められ、戦闘の意思無しと返したにも関わらず、朝廷内部で戦闘態勢を取っていた事が切っ掛けとなった。

 義仲は突如、法皇の居る法住寺殿を襲撃。源光長・光経父子を含め、守覚法親王、円恵法親王、天台座主・明雲らが奮戦するが、最早逃げ場の無い義仲軍の勢いは凄まじく、止める事は出来なかった。

 法住寺はこれまで、と、諦め逃亡を図る後白河法皇を、彼らは捕縛する。この時、一兵卒に捕縛された法皇は唇を噛みながら叫んだ。

 「頼朝軍が、地獄の果てまで果しに行く」と。

 だが、その言葉は義仲軍の歓喜の声で誰に届く事も無かった…。


 義仲はすぐさま法皇を五条東洞院の摂政邸に幽閉し、様々な院宣を強要する。更に法住寺の戦いにおいて戦死した源光長・光経父子の首を五条河原に晒し、天台宗の最高の地位にある僧の明雲の首を川に捨てる等の暴挙にも出た。

 二十一日には、元関白の松殿基房の娘を妻として娶り、二十八日には中納言・藤原朝方以下四十人余りがを解官させ、代わりに自らの息がかかる者を据えた。その中には義父基房の血族の者も居たという。


 十二月に入ると、義仲は遂に院御厩別当となり、左馬頭を合わせて軍事の全権を掌握するに至った。正しくクーデターである。こうなってしまえば、最後に念願を叶えるべく動き出す。




 『頼朝追討』…

 官軍として返り咲いた義仲は、既に止まる事はできなくなっていた。権力を掌握し、自らを弄ぶように常に頭上に居る棟梁を、その座から引きずり下ろす時が来たのだ。無論、頼朝の大将軍の任を解かれ逆賊と仕立てられたのだ。

 だが、この時には既に武士達は義仲の元を離れて行く者が出ており、身の周りに居る者は出世の為に義仲を利用しようと企む輩だけとなっていた。






 「義盛殿、義仲が遂に動き出したそうですよ」

 廃屋に義経自らが赴いて来ると、義盛は慌てて膝を床に着き、頭を下げる。

 「貴殿の申した通り…義仲は武力で院中を掌握、法皇様を幽閉するという暴挙に出ました」

 義経は京での一連の騒動を、義盛に説明した。そして、その背後には範頼も立ってた。

 「九朗、この男の洞察力・軍才は見事であるな…。儂に貸してはくれぬか」

 ひとしきり説明を終えた後、範頼は自らの頬を撫でながら義盛を見つめる。

 「兄上、この者は『義経四天王』であります。そればかりは聞き入れる事はできませぬ」

 義経は笑いながら言うが、範頼は若干不服そうに、まだ義盛を見つめながら、口を開く。


 「して…義盛殿。この後如何致すか」

 範頼の設問に、義盛は頭を少し上げ、明快に応える。

 「我等は晴れて賊軍となりました。これで京に向かっても咎める者は居ないでしょう…」

 「何!? お主は我等を賊軍とする為に、ここに留めたと申すか! 義仲と通じておったな!?」

 義盛の言葉に範頼が反応し、腰の刀を抜く。

 「九朗…お主まんまと騙されおったか…いや、儂も含めてだ…。口惜しい!」

 そう叫ぶと、範頼は義盛に対し刀を振り下ろす…が、立て膝の義盛は右足を軸としてクルリと右に回り、太刀筋を交わすと同時に範頼の右腕を取る。そして、立ち上がり様にその腕の下へと右肩を入れ、捻る様に範頼の体を宙へと跳ね上げる。


 廃屋は轟音と共に揺れ、慌てて外に居た者達が中へと飛び込んで来ると、そこには仰向けに寝転がって。呆然としている範頼と、軽く笑顔の義経、そしてその前に片膝を立てて座り、頭を下げている義盛が居た。

 「殿…一体…」

 声を発してその様を見ていたのは与一だった。


 「いや、何でも無い…。兄上が板の間に足を取られただけで…」


 その言葉に、義盛もプっと吹いてしまった。

 「心配には及ばぬ、今しばらく外で待っておれ」

 義経は与一達にそう言い、外に出す。

 「兄上、義盛殿は其方の軍の軍師…。疑っていては戦はできませぬ」

 その言葉に、範頼は体を起こしながら答える。

 「だがしかし、大将を投げ飛ばすなど…」

 「この男の大将は某で御座います。現にこうして頭を垂れております故」

 「くっ……! ならば九朗、其の方から賊軍とした理由を聞け! 得心行かぬ場合は斬るぞ!」

 「先程…斬れませぬでしたが…ね」

 軽く笑みを浮かべつつ、ボソッと言い放つ義経は、まるで悪戯坊主そのものだった。



 「賊軍・頼朝軍が京に上る…。そうなれば、恐怖を覚えるのは一体誰で御座いましょう」

 聞かれるまでも無く、という顔で義経は答え始めた。

 「賊軍に陥れた…義仲…」

 「はい。そしてここまで大掛かりに院政を牛耳る義仲に、心底従う者がどれ程居るでしょう」

 「成る程…権力目当てで近寄る者は居るが、そこに主従は無い」

 「義仲は、最早京を捨て逃げるしか手立てが残されておりません…自らが逆賊と陥れた鎌倉軍の怒りは、誰よりも義仲本人が理解しております故」


 「我等を官軍にすると言うたのは、方便か…」

 範頼が聞くが、義盛はそのままの体勢で切り返す。

 「いいえ。御大将頼朝公の官位を剥奪されたのは予想外ではありましたが…今ここで、形式上の賊軍が京に入り、義仲を追い出すとなると我らは義賊と成ります。その上で法皇様を救出すれば、官軍へと成りましょう」



 「京の町を戦場にせず、完全に朝廷からの信頼も厚くなる上、義仲を追放・追討するか…ただ、待っておっただけで」

 頼朝と義盛の策を知り、範頼の背筋が凍ったように冷たい物が走った。



 「暮れに援軍が参るとの報せもあった。それを待ち、京へと向かう…それで宜しいですか?」

 義経は範頼に聞くと、細く長い溜息の後、小さく頷いた。




 そしてその年の暮れ。

 佐々木高綱と梶原景季が鎌倉より駆けつけ、それと入れ変わる様に鎌倉へ早馬を駆けさせた。




 翌年一月十五日、義仲は自らを『征東大将軍』とし、鎌倉軍を迎え撃つべく宇治川と瀬田に兵を派遣。その頃には既に、鎌倉軍が近江にまで達していた。


 暮れに鎌倉へと送った早馬が戻った一月二十日。頼朝より全軍に義仲討伐の命が伝えられた。

 義経達は、あくまで総大将頼朝の命を守るというパフォーマンスまでやってのけたのだった。

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