義仲の苦悩と挙兵
後白河法皇を救い出し、この頃の源氏を盛り立てていた立役者は、紛れも無く「源義仲」だった。
主役は平家から源氏へと移り変わり、その中でも「義仲」を育て上げた刻の流れは、無情にもその主役を転落させる。
寿永二年七月の末頃。
京を追い出された平家軍は、大宰府へと向かっていた。清盛の生きていた頃、大宰府は対宋貿易の拠点としており、その窓口となっていたのだ。
行く先の無い平家一門は、その大宰府に到着した。しかし、そこには平家安住の地が、既に無くなっていた。勅命にて「平家追討」が出されており、彼らは安徳天皇を連れ、更なる逃亡をするしか策が無くなっていた。
転々とする平家一門は、遂に九州を離れざるを得なくなり、瀬戸内へと漕ぎ出す。
彼らが行き着いた場所は、四国にある屋島と言う小島だった。
標高が三百メートル弱の溶岩台地で、山頂が平らになっており、どの角度から見ても『屋根』の様に見える事から名付けられた小島。その小島を要塞として根城にする事を決めた。
そして、この後は源氏との戦を、瀬戸内を舞台とすることになるのだった。
そう、最早逃げる地が彼らには無かった。
京より平家追討に来た義仲は、背水の陣になっていた平家と相対していた。
都で傍若無人を繰り返し、更には一番功を頼朝に取られ、権威が失墜していた義仲は、水島の戦いで苦戦を強いられた。何とか勝利するも、既にその頃の主役は大きく変わりつつあった。
「何…!? 鎌倉が動き出したと申すか!」
苦戦の末に勝利し、そのまま平家の本拠地屋島へと向かおうとする頃、京より報せが入って来た。
「叔父上は…叔父上殿の動きは如何か!」
「は…行家殿は…その…」
京より伝令に来ていた武者は、顔を伏せ震えている。息切れをしているが、それとは別に、何か体に閂を掛けられたようにその体勢から動こうとしない。その態度で良からぬ動きがあった事は、すぐに察しがつく。
「裏切り…か」
義仲は体を震わせ、歯を食いしばる。
当初水島で苦戦していたのは、義仲では無かった。行家の動向が気に掛かっており、京を空ける事が不安な為に派遣をしていた軍隊だった。それでも決着が付かずに苦戦していた為、義仲自らが出陣したのだった。全て危険視した事が現実となってしまった事への怒り、後悔が押し寄せ、追い詰められた精神は遂に暴走を始める。
あるいはこの時、義仲が私欲に走らなければ主役は変わらなかったに違いない。が、最早それを止める手立ては無い。
義仲は水島の陣営で、その顔の骨格ですら変える程の怒りを覚え、全軍を京へと走らせる事を決意する。
「頼朝だ…頼朝こそ我が敵である」
そう静かに口にした後、京への出陣を口にする。
無論、全軍は耳を疑った。朝廷へ反旗を翻し、源氏という傘を着て京へ進行する。それはかつての平家以上の暴挙である。だが、憤怒の化身となった義仲はひたすら京を、そして後白河法皇を目指していた。
後白河法皇は、院政に口を挟む義仲を疎ましく思い三つの画策を行った。
①頼朝を北方の責任者(征夷大将軍)とする。
②義仲を西国に送り出し、行家と頼朝を結ばす。
③義仲と対立する頼朝を利用し、その存在を消す。
政治という物に明るく無い義仲は、その危険性を察知しておきながらも食いとめる手立てが浮かばなかった。そう、彼は軍才こそ優れていたが政治向きでは無かった為に、表舞台から弾き出されようとしていたのだ。
分かっている。義仲も自分の立場が分かっている。
そして、彼には選択するという余地は残されてはいないのも。
だが部下達は冷静に怯えた。
「義仲様…頼朝殿に反旗を翻すともなれば、朝廷を敵に回す事になりましょう。我らの目的は…」
「控えろ! 元より朝廷など…我を利用したのだぞ…捨て駒として使い、用済みとなれば頼朝を擁立し、我を排除するなど屈辱でしか無いわ!」
「落ち付き下さい! 頼朝公は源氏の棟梁筋であらせられまする! 更には義仲殿の義兄ではございませぬか!」
「義兄がどうしたと言うのだ!! 棟梁等…我が取って変われば良いだけの話し!」
義仲は刀を抜き、伝令に来た武者に切っ先を向ける。だが、それでも尚言葉を続ける武者。
「どうぞ…どうぞ思い直し下さい! 征夷大将軍となられた頼朝公に抗えば、義仲様が御身を…」
「ならば、我が大将軍となろう…。法皇を擁護し、頼朝討伐の詔も出し、我こそが棟梁と名乗り出ようぞ…」
怪しく笑う義仲は、既に権力に取り付かれていた。
「木曾より従軍し、仕えて参りましたが…何処で道を迷われましたか、我が殿は」
鎧を纏い、片膝を付いたまま頭を垂れる武者は、止める事無く涙を落とす。
「目的を忘れ、君に仇為すなど源氏ではありませぬ。朝廷を御守りし、共に生きる事こそ…」
武者はそこまで言うと、言葉を発する事は無かった。
その首は胴より地に落ち、言葉は鮮血へと変わり義仲に降り注ぐ。
「京へ参る! 我が敵頼朝を討つべく軍を進める!」
非道の決意。
最早誰も止める事の出来ない、悲運の軍行が始まった。
そして、そんな彼に従っていた部下たちも京への道中に、徐々に見切りを着け始める。朝廷に従う戦でこそ官軍となるが、今はそこに戦を仕掛ける程の勢いで舞い戻っている。それも、完全に出し抜かれた形での帰京である。入京すればそのまま反乱・賊軍として扱われ、その後には行家・頼朝の連合軍が官軍として攻めて来る事が見えている。その上、止めようとすれば首を刎ねられる。
義仲の求心力は既に消えていた。そして、離隊した者達の中では義仲を源氏としては見なくなった者も大勢居た。
彼らは、義仲の事をこう呼んだ。
『木曾義仲』
軍才を持ちながらも、地方出身という事もあり京には合わなかった男、木曾義仲。
思いがけず掴んだ権力に溺れ、執着してしまい、翻弄される。
そこに「義」は無かった。