鎌倉の策謀
「頼朝殿はどうするおつもりじゃろうの…」
龍馬は頼朝が行う工作という言葉が気に掛かっていた。源氏の棟梁と言う男が、どのような策略を用いるかと言う興味と、それ以上に嫌な予感もしていた。
「恐らく鎌倉殿の意向は間違い無いと思われるが…剣一殿、察しは着きますか?」
弁慶は心配などは微塵も感じていない様子で、その実を剣一に聞いてみた。
「…根回しでしょうね」
ポツリと言う剣一は、どこと無く不安そうな目を見せている。そして、それに真っ先に気が付いた義経は剣一に更に問いかける。
「根回しとは?」
秋晴れの鎌倉。
鱗雲が空を薄く覆い、陽の光も穏やかなこの季節。しかし、その奥に見える野望を剣一は感じ取っていた。
頼朝の居た屋敷より出て、五人はそれぞれの家(と言っても、義経以外は空き家を割り当てられているだけだが)に向かっていた。
質素な武家屋敷が立ち並ぶ道を、やたら大きな男三名を、小柄だが威厳に満ちた男が引き連れ、その最後尾から申し訳無さそうに色黒の男が着き従っている。
「恐らく…木曾殿を牽制する為に、頼朝公自ら軍を出すのは、義経公…貴方と共に鎌倉を離れる一行のみでしょう」
「それは承知しておるつもりだが?」
義経は不機嫌そうに答える。
「……その裏に…政に関しての策謀が感じられます」
剣一の言葉には、弁慶と与一も驚いた。
政治を行うのは天皇。そこに口を挟む事を良しとしない頼朝が、現在挙兵して平家を討たんとしているからだ。そんな頼朝が政に関しての策略などとは、到底想像ができない。
「兄上に限って…その様な事は断じて無い!」
義経は小声ながらも、力強く否定をし、自らに与えられた屋敷へと向かって歩くが、その背に剣一が追い打ちを掛ける。
「ならば、鎌倉方以外の援軍を何処より用立てると?」
「それは其の方が囃子立てた結果で御座ろう!」
足を止め、振り向かずに言う義経。その背中を見る弁慶は心配そうにソワソワしている。熊の様なお男が、手を宙に漂わせてうろたえる姿は、何とも愛嬌が感じられ、龍馬は思わず笑みを浮かべる。
しかし、そんな二人を無視した剣一は、更に言う。
「援軍を帝に出させる…それは確かに私の言葉に乗ったからでしょう」
その言葉を聞いた与一と弁慶は、顔を蒼白にして驚いた。
「帝に…木曾殿討伐の軍を出させると仰るのか!!?」
「ええ、恐らく朝廷は頼朝公上洛を望んでらっしゃいます…。そこに実弟の義経公が上洛となれば、その不足を自ら補う事は進んで…」
「其の方が企てを…兄上に持ち掛けたのだろう!」
義経が大声で言葉を制した。拳を握り、怒りを堪えているが押さえきれぬ感情が出て来ている。
その態度を見て、龍馬が口を挟む。
「情けないがぞ、義経殿」
あっさりと、しかし重みを持たせた言葉を放つ龍馬に、慌てて肩を掴んで制止に入る弁慶と与一。
だが、龍馬は彼らを振り解き、義経に歩み寄って睨み付ける。
「おまんの軍師は誰じゃ…。こん先、誰の策を信じ、命を乗せて戦をするがじゃ」
その身長差は大人と子供ほどあり、義経の頭上から腕を組んで睨み付ける龍馬。
「剣さん、続けてくれんかのぉ、おんしの考えっちゅう物を」
龍馬は義経を睨んだまま、剣一に続けるように言う。
暫くの無言の時間を五人が過ごした後、剣一はゆっくりと話し始める。
「朝廷は恐らく援軍を要請しますが…それは源氏では無いと思います。頼朝公が奪い返すと約束した荘園を盾に、各僧侶を始め、野党連中を引き出すはず…。我々はその者達を取り込み、木曾殿と戦をせねばなりません」
「つまり、源氏が平氏を討つ…という略図には成らない…?」
不安そうに聞く与一。
「無論、我々には源の名を継ぐ武士が他にも着くとは思いますが、朝廷にそのおつもりは無いでしょう…」
「そこに、何故兄上の政略があると申すか…」
龍馬に正面を奪われ、怒りを抑えつつ剣一に聞く義経。そして、その回答次第では主に代わり、何かしらの行動を起こそうとする雰囲気の弁慶。
「源氏を束ねる…その事に執着し、頼朝公個人が正面に出る…。そうなってしまえば、それ以外の源氏は認める事は出来ない…。朝廷も武士を纏めるのは頼朝公が好ましいと思い始めている」
剣一の言葉に、義経も事の裏を理解できた。
「まさか…朝廷への根回しとは、源氏を出させぬ為の…」
「恐らくは。官軍は頼朝公自身のみ…。逆賊から返り咲き、その存在を誇示するには好機。私は朝廷よりの命で、各地に散る源氏を纏め上げる事を含ませましたが、恐らくその実現は無いでしょう」
「源氏同士の戦は…朝廷は避けたいきのぉ…」
「拙僧は…そこまでの読みは出来ませなんだ…」
「ワシは良く分からんぞ…」
与一は一人、納得できずに龍馬を見上げていた。
「この上洛は、断った方が良いと思うか?」
義経は龍馬の体を押し退け、剣一に問う。その表情を見た龍馬は、素直にその身を外し、剣一の隣へと戻る。
「いえ…。断れば、他の者を行かせるまででしょう…」
「兄上を御す法は無いのか」
その言葉に、剣一は眉間にシワを寄せる。
無い事もない。無論、それが正史である…が、それを行う事へのリスクは大きい。歴史を変えずにそれを行う策があるのか…?剣一は自問していた。
「義経殿、京へと向かいましょう」
剣一は意を決して口を開いた。
「策があるのか!」
「私は義経軍の軍師。策も無く、戦場へと主を向かわせる程の無謀者ではありません」
「聞かせてはくれぬか…その策を!」
剣一は義経を見て、ニヤッと笑う。
「木曾殿を止め、平家を討つのです」
「それでは…兄上を御すには至らぬのでは…」
「天下二分。東と西に均衡させるのです」
それを聞いた龍馬は、驚きを口に出す。
「三国志…かえ! 驚いたの、おんしは諸葛亮になるがか!」
義経達は何の事か分からない。が…弁慶だけは薄らと分かっていた。無論、大陸史に明るい訳ではないが、軍師としての存在であれば聞いた事がある。
だが、剣一には天下二分など実現させるつもりは無い。歴史を崩壊させる事はできない。龍馬もそれは知っているが、恐らく只で終わるつもりが無い事は気が付いていた。
「さあ、義経殿。奥州より従えし配下の兵を集め、出陣準備を進めましょう。鎌倉軍総大将は、義経公です」
ニヤッと微笑む剣一と、それに大いなる希望を見出した与一・弁慶は、唸りと共に歓声を上げた。
歴史の扉が、そして『刻』の扉が、静かに開いた事には誰も気付かぬままに、この時、源氏が動き出した。