071 別ゲーにも程がある件
金曜日の夕刻、会社のタイムカードを打刻した瞬間の全能感といったらなかった。
急ぎのデスクワークを凄まじい集中力で終わらせ、周囲の同僚が呆れるほどの速度で定時退社を勝ち取った。
さらに抜かりはない。
明日と明後日の土日に加え、月曜日にしっかりと「有給休暇」をねじ込んである。
そう!これから丸々数日の完全なる自由時間だ。
「よし!よし!よし!……これで月曜の夜まで、一切の現実を遮断して遊べる……!」
自宅マンションに滑り込み、手早くシャワーを浴びて部屋着に着替える。コンビニで買い込んできたエナジードリンクと栄養補給ゼリーをデスクに並べ、準備は完璧だ。目指すは、私の愛してやまないVRゲーム『Dreams hopes iron blood』――通称『DHIB』の世界である。
今週末にもサービス終了という絶望の淵から、大人気Vチューバー・フィン様のたった一本の単騎無双リプレイによって奇跡の復活を遂げた我が愛機と我が青春のゲーム。
一ヶ月後には、あの『Plan_B』との合同コラボイベントという、夢のような大舞台が控えている。
だが、私は王国軍親衛隊の精鋭部隊『アルファ小隊』でリーダーを務めるプレイヤー。コードネームは『アルファ』。浮かれている暇などなかった。
(あの配信を見たからこそ分かる……私の操縦技術はまだまだ甘い。コラボイベントで全国から新兵や強豪が集まってきた時に、親衛隊のリーダーとして不甲斐ない姿は見せられないわ)
コラボ本番までのこの一ヶ月は、血のにじむような特訓の期間だ。
今週末はその第一歩。まずは長時間メンテナンス明けの愛機の調子を確かめ、徹底的な調整と試運転を行う。今度は誰にも負けないように、己の腕と機体のポテンシャルを極限まで引き上げるのだ。
パッチをダウンロードして、アップデートは事前にしておいたからバッチシ!
胸を高鳴らせながら重厚なVRヘッドセットを装着し、リクライニングチェアに深く腰掛けた。
「ログイン――『Dreams hopes iron blood』!」
視界が眩い光に包まれ、がネットワークの海を渡る演出で『DHIB』のサーバーへと接続される。
ほんの数秒の浮遊感の後、網膜に投影されたのは――。
「……え?」
見慣れたはずの、私の愛機である人型兵器のコックピット内だった。
前回ログアウトした場所は、王国軍基地の第一格納庫、その愛機の機内だ。
だからコックピットから始まること自体は何の異常もない。
異常なのは、その「光景」だった。
「な……なに、これ……?」
息を呑んだ。
暗いコックピット内に浮かび上がる、物理スイッチや計器類の質感。
従来なら「まあインディーズだし、テクスチャがちょっと粗いのはご愛嬌よね」と納得していた武骨な装甲板のシームや、油臭い金属の質感、塗装のはげ落ちたノッチの一つ一つが、信じられないほどの精度で描写されていた。
窓の外――コックピットのキャノピー越しに見える格納庫の風景すら違う。
天頂から落ちる光が、空間に漂う微細なオイル煙の粒子を照らし出し、リアルタイムで美しい光が微粒子に当たって散乱し、光の通り道を描いている。
「解像度が……上がってる……?いや、上がってるなんてもんじゃないわよ!なによこれーーーーー!?」
思わず呟き、シートの肘掛けにあるコンソールパネルへ手を伸ばした。
メイン電源の物理スイッチを押し込む。
――カチリ。
背筋がゾクゾクするような本物のスイッチを押し込んだ圧迫感とクリック感の音。
演出のフィードバックの密度が、従来の十倍以上に跳ね上がっている。
ガコンッ!
背後で重厚なメインとサブジェネレーターが旋回運動を開始し、重低音の振動がシート背もたれから全身へ伝波。
それと同時に、正面の全方位モニターが順次立ち上がっていく。
『――System Initializing. Inertial Measurement Unit calibration complete.』
『Pilot Verified: Alpha. Neural-synaptic sync at 99.8%.』
『……稼働中。本日のコンディショニングを行います。ボイス・コマンドに応答してください』
「ひゃいっ!?」
突然、コックピット内に鳴り響いた透明感あふれる合成音声に、情けない悲鳴を上げて跳ね上がってしまった。
「な、なに!?声で喋りかけてきた!?誰ー!?誰なのー!?」
『王国軍統合インターフェース・アシスタントです。操縦者のストレス軽減および緊急時の音声オペレーションをサポートします。「メインモニター表示切替」とお申し付けください』
「ま、待って待って待って!知らない機能が増えすぎている!!」
パニックになりながら操作盤を見回す。
レバーの脇に見慣れないデジタルダイヤルが増えているし、サブモニターの表示項目には『油圧系プレッシャー・リアルタイム配分率』やら『アクチュエータ熱伝導バイパス』やら、見たこともない専門的なステータスゲージがずらりと並んでいる。
「何よこれ!どういじるのよ!」
触ると、機体の動きの応答速度が極限までチューニングされているのが感覚で分かった。ミリ単位のレバーの傾きに対して、機体の関節モーターがピクッと繊細に反応するのだ。
「ちょ、ちょっと待って……!操作性能が大幅にバージョンアップしてる……っていうか、繊細すぎて今の私じゃまともに歩かせられるかも怪しいんだけど!?」
冷や汗が吹き出してくる。
これまでの『DHIB』は、良い意味で大ざっぱなアーケード感覚の操作性だった。それが一回のメンテナンスを挟んだだけで、本物の最新鋭戦闘機か軍用人型兵器のコックピットに叩き込まれたような「本物感」に変貌しているのだ。
「あ、ダメ。頭が追いつかない。一旦外に出よう……!」
パニック状態のまま、私はコックピットハッチの緊急開放レバーを引いた。
プシューーーーーッ!!
っと圧搾空気が抜け出る重厚な排気音とともに、頭上の装甲ハッチが重々しく開き、眩しい格納庫の光が差し込んでくる。
私は安全帯を外し、ハッチのフチを掴んでコックピットから這い出そうとした。
「うわっ……足場、狭……っ!?」
以前なら、ボタン一つで「降機アニメーション」が再生され、地面にスッと着地していた。
だが今は違う。足元にある踏み台の位置すらリアルになりすぎており、足をどこへかければいいのか分からない。鉄の冷たさと滑り止めのザラザラした感触が凄い。
「きゃっ!うおっとっとっとっと……っ!」
四苦八苦しながら、まるで運動の苦手な子供がキャットウォークを降りるかのように、必死の思いでタラップを伝って床へと降り立った。
ハァハァと荒い息をつきながら、両足をしっかりと格納庫のコンクリート床につける。
そして、周囲を見渡した私は――完全にフジツボのように硬直した。
「……うそ……でしょ……?」
そこは、格納庫だった。
だが、私の知っている『DHIBの第一格納庫』ではなかった。
壁の塗料の剥げ具合。床に染み付いた黒い機械油の光沢。
天井から吊り下げられた無数のケーブル類が、空調の風を受けてわずかに揺れる様。
そして何より、視界のすべてが「ぬるぬる」と動いている。
フレームレートが異常なのだ。従来のような60fpsや120fpsというレベルではない。人間の網膜が認知できる限界を超えた、完全に「現実の風景」と区別がつかないほどの超・高フレームレートで世界がレンダリングされている。
私は震える自分の手……VR内のアバターの手を視界の前にかざした。
握りこぶしを作り、ゆっくりと開く。グーパー、グーパー。という簡単なエモート。
「なに……これ……」
指を動かすたびに、手袋の布地のシワが寄り、関節の動きに合わせて光の反射で滑らかに変化する。まるで最高峰の超大作3DCGアニメーションのワンシーン……いや、映画の中に自分がそのまま入り込んでしまったかのような恐ろしいほどの滑らかさだ。
「バージョンアップが……上がったとかいうレベルじゃないわよ……。もうこれ、違うゲームじゃん……!どこを作り直したのよこれ!!」
自分の感覚が信じられず、私は虚空を指でタップして、システムメニューを呼び出した。
チーンと言う食パンが焼けたときのトースターの音共に、空間に広がったホログラフィック・メニュー画面すら、透明感と応答速度が異次元だった。指が空を切る微細な風切り音すら演出されている。
それでもトースターっぽい音はそのままなのはちょっと笑った。
いや笑ってる場合ではないけども!
「落ち着け、落ち着け私……!設定だ!設定画面を見るのよ!」
慌ただしく設定項目をスクロールしていく。
グラフィック設定の項目を開くと、そこには驚くべきオプションが存在していた。
『――描画エンジン設定:【ハイパー・モード(推奨)】 / 【クラシック・レガシー・モード(旧バージョン風)】』
「あ……!あった……!」
旧システム・旧グラフィックの【クラシック・レガシー・モード】が存在していることに、私は思わず胸を撫で下ろした。
「よかった……!運営も鬼じゃなかった……!一応、前のグラフィックに戻せるんだ……!」
安堵の息を漏らしたが、私は設定を切り替える指を止めた。
改めて、この新しい「ハイパー・モード」な視界に意識を集中させてみる。
「……待って。よく考えたら……」
首を上下左右に激しく振ってみる。
普通のVRゲームなら、急激な視線移動を行えば画角の追従遅延やモーションのブレで、三半規管が刺激されて重い「VR酔い」を引き起こすはずだ。
だが、この状態はどうだ。
どれだけ首を振ろうが、視線を高速で移動させようが、世界が脳の認識と1ミリのズレもなく完璧に追従してくる。カメラのブレが一切ない。まるで「透明な空気そのものを自分の目で覗き込んでいる」かのような圧倒的ナチュラル感。
「酔わない……全然酔わない……!それどころか、視界の奥行きが完璧すぎて、距離感が今までと比べものにならないくらい掴みやすい……!?」
動きの滑らかさといい、レスポンスといい、絶対にこちらの「新しいモード」でプレイした方が操縦精度が格段に跳ね上がるのは明白だった。
「なにがどうしてこうなったのよ……!?運営の技術陣、悪魔に魂でも売ったの!?」
格納庫の真ん中で頭を抱えて叫んでいた、その時だった。
「――アルファーッ!!」
遠くから、聞き覚えのある元気な声が響いてきた。
足音の重量感が違う。以前のような「ペタペタ」という簡易的な歩行音ではなく、軍靴がコンクリートを踏みしめる重厚な「コツッ、コツッ」という音が響いている。
振り返ると、そこに走ってきたのは我がアルファ小隊のメンバー――『ノーベンバー』だった。実弾兵器と弾幕を何よりも愛し、命中は二の次で「とにかく撃ちまくれれば幸せ」という極端なプレイスタイルの女性プレイヤーだ。
「ノーベンバー!走って転ぶわよ!」
「アルファ!ログインしてたんだね!ちょっと聞いてよ、見た!?このアプデ!!」
「見たも何も、今パニックになってたところよ!なんなのこれ!?全体的にグラフィックもシステムも壊れちゃってるじゃない!!」
私が両手を広げて訴えると、ノーベンバーは興奮で顔を紅潮させながら、ブンブンと激しく頭を振った。
「壊れてるんじゃないよ、神進化だよ神進化!運営が覚醒したんだよ!そんなことよりアルファ、早く来て!私の機体のところ!すごいものがあるの!!」
「え?ちょっと、ノーベンバー……!引っ張らないで!」
ノーベンバーに手首を掴まれ、強引に彼女の指定ドックへと連れて行かれる。
手首を掴まれた部分の質感表現にすら戦慄しながら、私は彼女の作業エリアへと踏み込んだ。
そこには、メンテナンスアームに固定された、ノーベンバーの愛機――重装甲型人型兵器が鎮座していた。
そして、その足元の作業台の上には、機体から取り外された巨大な「武装」が横たえられていた。
多連装回転機関砲――いわゆる、ガトリングガンである。
人型兵器の全高の半分ほどもあるその巨砲は、六本の重厚な砲身が円筒形に束ねられ、後部には巨大なドラムマガジンと複雑な油圧フィードモーター、そして電力供給用ケーブルが接続されていた。
「見てよこれ……!」
ノーベンバーが目を輝かせながら、ガトリングガンの横にあるテスト用コントロールパネルを指差す。
「メンテナンス中なんだけどさ、試運転モードが追加されてたの! スイッチ押すよ!?」
「え?待っ――」
私が制止する間もなく、ノーベンバーはテストスイッチを力強く押し込んだ。
キュイイィィィィィン――――……!!
っという音がし始める。
作業台の上で、高圧電動モーターが高速回転を始める鋭い高音が響き渡った。
次の瞬間。
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッッ!!!!
「きゃああっ!?」
耳を突き破らんばかりの凄まじい金属打撃音と排気音が格納庫内に炸裂した!
シミュレーション発射テストとはいえ、空抱のシリンダー動作によって六本の砲身が目にも留まらぬ速度で回転し、内部の給弾機構が恐ろしいスピードで連動する!
ガコンガコンガコンガコンッ!!
ガトリングガンの側面に設けられた巨大な排莢ポートから、真鍮色の空薬莢が豪快に、そして滝のように勢いよく吐き出されて飛び散った!
薬莢がコンクリート床に激突し、カンカンカンッ! と甲高い金属音を立てて転がる。空気中に漂う真鍮の熱気と排煙の匂いすら、感覚器官を強烈に刺激したように錯覚する。
「な……なにこれぇぇぇぇっ!???」
私は耳を塞ぎながら叫んだ。
ノーベンバーは咆哮するガトリングガンの横で、大爆笑しながら叫び返してくる。
「すごいでしょおおお!?見てよこれ!複数の砲身を外部電力のモーターで回転させながら、ドラムマガジンからの給弾、薬室への装填、閉鎖、発射、そして後退による排莢のサイクルが、全部物理演算でシームレスに処理されてるんだよおおお!!」
「マニアックすぎるでしょ!?なんでそんなところまで作り込んでるのよ!?」
十数秒間の連続シミュレーションが終了し、キュゥゥゥン……と砲身の回転がゆっくりと停止した。
作業台の周りには、大量の空薬莢が転がり、うっすらと煙が立ち込めている。
私は開いた口が塞がらないまま、転がった薬莢とガトリングガンを交互に見つめた。
「何よこれ……こんなの、ミリタリーの変態が作るプロ仕様のシミュレーターじゃない……」
「でしょ!?でね、アルファ、もっとすごいことがあるの!」
「まだあるの!?」
ノーベンバーはドヤ顔で自分の額を指差した。そこには、うっすらと赤い傷跡のようなデバフマークが浮かんでいた。
「見てこれ!薬莢は数秒経つとサーバー負荷軽減のために消滅するんだけどね……さっき発射テストした時、飛び出してきた薬莢の物理判定が私の額に直撃してさ! 痛覚ペナルティとして『軽度打撲:命中率-2%』のデバフ食らったんだ!」
「……は?」
私は一瞬、思考がフリーズした。
「あんた……飛び出してきた真鍮の塊に自分から当たりに行ったの……?」
「だって!薬莢に物理判定が付いてるなんて思わないじゃん!飛び散る薬莢が頭にカーンって当たって『痛っ!』って思ったらデバフ入ったんだよ!?リアルすぎるでしょ!?」
「カーンって……何やってるのよあんたは……」
呆れ果てて額を押さえた。どんだけ弾幕好きだからって、排莢された薬莢に当たって負傷するプレイヤーが世界のどこにいるというのか。
というか、良くデスペナルティーにならなかったわね……。
「でもね、アルファ!理由が分かったんだよ!」
「理由?」
ノーベンバーはガトリングガンの後部に接続された、太い電力ケーブルをバシバシと叩いた。
「この回転駆動モーターの電力!これ、人型兵器のサブジェネレーターから直接引き込まれてるの!ほら、テストパネルの電圧メーター見て!」
指示されたメーターを見ると、ガトリングガンが回転している間、確かに機体のバッテリー残量を示すゲージがじわじわと減少していた。
「あ……」
私はハッとして叫んだ。
「そういえば……!以前のバージョンで、実弾兵器しか撃ってないのに、なぜか機体のエネルギー残量が減っていく現象があったわよね!?」
「そう! 『実弾なんだから薬莢飛ばしてるだけでしょ!?なんで電気喰うの!?バグじゃないの!?』って、みんなで掲示板で愚痴ってたやつ!」
ノーベンバーはニヤリと笑い、ガトリングガンを誇らしげに叩いた。
「バグじゃなかったんだよ!砲身を高速回転させるための駆動モーターと、高圧油圧給弾システムを動かすために、本当に機体のジェネレーターから電力を食ってたんだ!前のバージョンでは描画が追いついてなくて分からなかっただけで、内部のロジックでは最初から計算されてたんだよ!!」
「そんな……そんな細かいところまで、最初から設定されてたっていうの……?」
背筋に冷たいものが走った。
仕様の穴でもバグでもなかった。私たちが「雑なシステム」だと決めつけていた裏側で、このゲームのエンジンは最初から、恐ろしいほどのミリタリー・リアリズムを計算し続けていたのだ。
今回の神がかったメンテナンスによって、その「隠されていた真実」がすべて完璧なビジュアルと物理挙動として表面化してきただけに過ぎない。
(どれだけの変態的な技術力を注ぎ込めば、こんなゲームが作れるのよ……『ヴィジョンアドベンチャー』って、本当は世界最高の開発馬鹿集団なんじゃないの……!?)
開発会社の底知れぬ凄みに、私はただただ圧倒されるしかなかった。
「ねえアルファ!もう全部が違うんだよ!銃の反動の残響も、ペダルの踏み込み深さによる出力微調整も、全部別次元の感覚になってるの!」
ノーベンバーが目をキラキラと輝かせ、拳を握りしめた。
「早く試したいよ!演習場行こう!アルファ小隊全員集めて、模擬戦やろうよ!!」
「え、ええ……!?模擬戦……?」
私は自分の手と、遠くに見える自分の愛機を見比べた。
グラフィックも、操作性も、物理演算も、すべてが異次元の怪物へと変貌を遂げたこの人型兵器。
「これ……今の私に、まともに動かせるのかしら……」
有休を取って意気込んでいた「今週末の特訓」は、予想を遥かに超えた「未知の怪物との格闘」になりそうな予感がして、私は深い困惑と、そしてほんの少しの恐怖を抱きながら途方に暮れるのだった。
「ちょっとパイロット用のチュートリアルからやってこようかな……。それで一日終わりそうだよぉ……」




