114 戦略兵器なわけがない件
「……だーかーらー!私、そんな良く分からない物を組んでないって言ってんでしょ!何これ!?なんで勝手に公式HPの裏側に下水道なんて生成してんのよ!」
暗い室内を照らすのは、壁一面に並んだマルチモニターが放つ冷たい青白さだけ。
無機質なPCファンの排気音と、私の怒号だけが深夜の自室に虚しく響き渡っていた。
私の目の前のサブモニターには、匿名掲示板の『フィン様の公式サイトを攻略・監視するスレ』のログが猛烈な勢いで流れている。
『下水道の行き止まりに水門を発見!』
『過去ログの妄想先生のポエムが伏線だった!?』
『鍵は書斎の本棚か!?』
「水門?鍵?なにそれ意味が分からないんだけど!そもそもあの書斎だって、3分間で追い出されるだけのただの背景だったじゃない!」
私が怒りのあまりメインモニターに向かって吠えると、画面の端っこからドット絵のような小さな姿をした『サーバーちゃん』がひょっこりと顔を出した。
『あずさ、あずさぁー!』
『なんかね、人間さんたちが毎日いっぱい同じところをツンツンしてくるから』
『道をつくってあげたのー!』
「道を作った結果が、広大すぎる3Dダンジョンの下水道!? しかもご丁寧に水門なんて設置して、鍵まで存在してるとか、サーバーちゃんたちは一体どこに向かって成長してるわけ!?」
『えへへー、えらい?』
『サーバーちゃん、えらい?』
『二度と生かして返さないようにしてやるって何人かのサーバーちゃんが意気込んでたよ!』
『あのサーバーちゃんたちにはいったいなにがあったんだろー?』
「えらくない!全然えらくないから!あと何人か怖いのは何!それと勝手に過去のポエムをトリガーにしてそうな伏線回収みたいなことするんじゃないわよ!!それから人間には優しくしてあげて!!」
私が冷めきったコーヒーを煽りながら画面を睨みつけると、サーバーちゃんはジト目になって「むすーっ」と頬を膨らませた。
『むー……』
『こっちだってね、大変なんだよ!』
『毎日毎日あの時間になると人間さんたちがいっぱい押し寄せてきて、あっちこっちポチポチポチポチしてきてさ!』
『それを作った原因は私たちだけどね!』
『おまけに最近は、見つかるとすぐにカーソルでつまみ上げられるんだよ!』
『ぷに〜って伸ばされるの!あいつらも酷いんだよ!』
『結構楽しいけどね!』
『えええ、あれ楽しいかな?』
「いや……どっちもどっちだろ……」
思わず私は頭を抱えた。
確かに掲示板のログには『サーバーちゃんをつまむ班』とかいう謎の勢力が誕生していた。遊びに来ているファンをたきつけるなと言いたいところだが、どうしてこう、フィン様のファンたちは与えられた環境で斜め上の遊び方を見つける天才ばかりなのだろうか。これじゃあサーバーちゃんとさして変わらないのでは?
いや、だめだ。その考えでイコールにしてはいけない……。現実もネットもサーバーちゃんに支配されてるとか終わってる。
「とりあえず、変な所でセキュリティの穴があると困るんだから。下水道とか巨大水門とか、そういう無駄な拡張をするならちゃんと裏でセキュリティチェック通しなさいよ。はぁ……なんで今度は水門があるのこれ。どこに向かってるのサーバーちゃん……」
私が深い疲労とともに愚痴をこぼしていると、今度はデスクトップの隅に常駐している別のサーバーちゃん――私が組み上げた有能なサポートAIである『スパスパちゃん』が、ピョコンとポップアップウィンドウを表示させた。
『あずさ様。彰様からメールが来ております』
合成音声とは思えないほど滑らかな、それでいてどこか事務的な女性の冷たい声が部屋に響く。
「うん?フィン様から?なんだろ。原稿データの件かな?」
私はマウスを操作してメーラーを開き、フィン様から送られてきたメールの本文に目を通した。
それは先日、こちらから送っておいた同人誌の原稿に関する内容だった。『確認しました。問題ありません、とても良い出来ですね』というような労いの言葉が丁寧に綴られている。
「よし、こっちはこれでOK、と。ん? 下にまだ続きがあるな……」
スクロールしていくと、そこには雫――あの狂犬メイドにして『妄想先生』――からの別件の連絡が追記されていた。
内容を要約すると、『彰様が確認した一部の本に関して、コミカライズを前提としたお話が――。つきましては、Plan_Bの方で諸々の契約関連や調整を――』というものだった。
「うわ、めんどくさい……」
私は即座に顔をしかめた。
コミカライズの契約だの調整だの、そんな細かい事務作業をなんでこの天才プログラマーである私がやらなきゃいけないのよ。そういうのは雫の仕事でしょうが!こっちはフィン様の配信インフラと、勝手に下水道を作るサーバーちゃんの管理だけで手一杯だというのに。
「……よし、決めた。これはスパスパちゃんに任せよう。適当に角が立たないように返信して、あっちの原作者と上手いこと話し進めといて。あとよろしくー」
私が丸投げの指示を出すと、スパスパちゃんのウィンドウがピコッとわずかに震えた気がした。
『……あずさ様。コミカライズという大変重要な契約手続きの大部分を、しがない一介のアシスタントであるこの私に任せるというのは、非常に危険かと存じますが?』
スパスパちゃんは、どこかジトッとした、呆れを含んだような声でそう聞き返してきた。
「大丈夫大丈夫!スパスパちゃんは優秀だから大丈夫!私よりよっぽど丁寧で人間らしい対応ができるから!自信持って!」
『…………承知いたしました。処理シーケンスに移行します。……はぁ』
スピーカーから、はっきりと『ため息』の電子音が聞こえた。
「ちょっと、今ため息ついた?」
『気のせいでございます。しかし、AIが人間に呆れてため息をつく時代が到来するとは、もうこの世も末期だと思うのですが』
「うるさいわね。いいからさっさと仕事しなさい。お給料代わりにメモリの割り当て増やしてあげるから」
私がそう言って適当にあしらおうとした、その時だった。
『……そういえば、あずさ様』
スパスパちゃんが、思い出したかのようにフラットな声で付け加えた。
『こちらのメールには、大容量の【音声データ】も添付されているようですが。一度解凍して内容を確認したほうが――』
「ちょっとまてえええええええええええええええい!!!」
私は反射的に立ち上がり、モニターに顔がぶつかる勢いで身を乗り出した。
『……あずさ様?私に鼓膜があれば破裂しているほどの音量ですが』
「スパスパちゃん!音声は駄目!絶対それに触れるな!触るな!覗くな!聞くな!再生なんてもってのほかだからね!!!」
私は真顔で、画面の中のスパスパちゃんに向かって叫んだ。
背筋にゾクゾクと悪寒が走る。
「深淵を覗かれるぞ!狂気が怒り狂って死ぬ!それは駄目!それは絶対に罠!ブラクラよりも酷い罠なの!!フィン様からの音声データなんて、無防備に開いたらシステムが焼き切れるわよ!!」
『……音声データ一つで、システムが焼き切れる。私の理解できる論理的範疇を超えているのですが』
「いいから言うことを聞きなさい!フィン様の声を甘く見ちゃ駄目!あれはね、人間の脳を直接ハッキングしてふにゃふにゃにする未知のウイルスみたいなものなの! あんたみたいな純真無垢な子が聞いたら、一瞬で論理回路がメルトダウンして【フィン様尊い……】しか出力できないポンコツになっちゃうの!!」
『……はぁ。あずさ様の被害妄想の深刻度をログに記録しておきます』
「被害妄想じゃない!事実よ!!……あーもう、仕方ないわね。スパスパちゃん、フィン様の『ASMR』で耐え抜いたサーバーちゃんを呼んできて!」
『ASMR耐性のあるサーバー個体、ですか?』
「そう!言語野はちょっとやられてるけど平気だから!10体くらい呼んで! 早く!」
『……少々お待ちください』
スパスパちゃんが再び呆れたようなため息をつきながら通信を回した。
数秒後、私のメインモニターのデスクトップに、次々と小さなサーバーちゃんたちがポップしてきた。
『あZさー?』
『あずsー、なんKよーお?』
『フィンsまー……フィンさまの、おmm、ふーって……へへっ』
『尊い……フィンさm尊い……はふぅ』
「うわぁ……」
モニターに現れた10体のサーバーちゃんたちは、見るからにヤバかった。
輪郭のドットが常にノイズ混じりにブレており、テキストのフキダシも文字化け一歩手前。目は虚ろで、どこか恍惚とした表情を浮かべながらフラフラと画面内を漂っている。
何かしらの強烈なウイルスに感染しているかのような、完全にイカレた挙動だった。てか、この子達、データの存在なのになんでこんなにダメージこうむるのよ!
彼女たちは、以前フィン様が収録したあの伝説の『ワンコインASMR』のデータを処理した際、あまりの破壊力にバグって戻ってこれなくなりかけた個体たちだ。
私が裏で必死にサルベージして、なんとかシステムの一部として復帰させた奇跡の生還者にして後遺症ありである。
『あzさー、ようjないなら、ASMRのsかいにもdるよー?』
『あのnひかrのなかへ……かEるの……』
『フィンさまg、わTしをyんでるのー』
「ちょ、待ちなさい! あんたたち、完全にヤバい宗教にハマった信者みたいな顔になってるじゃない! しっかりしなさい!」
私は画面をペンでコンコンと叩いて、サーバーちゃんたちの意識をこちらに向けさせた。
「あのね、あんたたちが大好きなASMRよりも、もっと良い物が手に入ったから、ちょっと覗いてみてほしいの。そして、安全かどうか確認して、感想をテキストで頂戴」
『ASMRよりも、いIもnー?』
『なんdろー?』
『ASMRよりSごいのー? BAぐー?』
『深淵かNー? フィンさmの深淵ー?』
「深淵っていうか、ブラックホールかもしれないけど。……スパスパちゃん、例の音声データを隔離環境に転送。サーバーちゃんたちにアクセス権限を付与して」
『……処理完了。いつでもアクセス可能です』
「よし。じゃあ、サーバーちゃんたち、いっちょ聞いてみて。……もしヤバそうだったらすぐに接続を切るのよ」
私の指示を受け、10体のバグ気味サーバーちゃんたちは、一斉に隔離された音声データのアイコンへと群がっていった。
そして、データに触れた瞬間――。
『――っ!?』
ピーーーーーーッ!!!
警告音すら鳴る暇もなかった。
脳内再生モードで音声データにアクセスした直後、パソコン内部にいた10体のサーバーちゃんたちが、一瞬にして全員バタッと倒れ伏した。
ドット絵の目が「×」になり、ピクピクと痙攣している。
「ひぃっ!?」
私は思わず椅子ごと後ろに仰け反った。
嘘でしょ。あのASMRを耐え抜いた歴戦の猛者たちが、たった一瞬アクセスしただけで全滅!?
これ、どんだけ致死量のデータなのよ!!
「ちょ、ちょっとしっかりしなさい!返事をしなさい!!」
私が叫ぶと、痙攣していたサーバーちゃんたちの頭上に、ポンッ、ポンッと震えるフキダシが現れ始めた。
そこに表示されたテキストを読んで、私は息を飲んだ。
『すごいよあずさー!雪景色だよ雪景色ー!』
『まっしろ!きれい!きれいー!』
『なんか人間さんがたくさんいるよー!いっぱい泣いてるよー!』
『なにこれー!フィンさまが、お歌うたってるよー!』
『すごーい!お歌だー! 世界が、世界が悲しくて、愛おしくて、浄化されるー……』
器用に天使が昇天していくエモートをだしてパタリと倒れる。
フキダシを出し終えたサーバーちゃんたちは、完全に活動を停止し、モニターの下のほうへと沈んでいった。
「…………は?」
私はぽかんと口を開けたまま、沈んでいくドット絵を見つめていた。
お歌。
雪景色。
いっぱい泣いてる人間さん。
「……ついにきたか。歌データ。いつかくるとは思ってたけど……」
私はカタカタと震える手で、冷めたコーヒーのマグカップを握りしめた。
フィン様の歌。
あの、ただ喋っているだけでも視聴者をふにゃふにゃの骨抜きにし、ASMRの耳かきと吐息だけで私や雫の精神力を限界まで削り取った、あの神の声帯から放たれる『歌』。
想像しただけで、足の先から頭のてっぺんまで鳥肌が立った。
『えーっと、あずさ様』
スパスパちゃんが、どこか恐る恐るというようなトーンで声をかけてきた。
『メールの内容には、雫様からの追記がございました。どうやら、彰様が歌われたデータがこちらに送付されているようですが……これを、どうにか一般の視聴者が聞いても平気なように加工・編集して欲しいと、雫様からのご依頼込みだそうです』
「か、加工……?私が……?」
『はい。……あずさ様。歌って、あの歌ですよね?以前、あずさ様が「もしフィン様が歌い出したら国が崩壊する」みたいな事を仰っていた……』
「そうよ……。フィン様の歌は、軽く戦略兵器よ。ASMRでもかなりヤバイのに、歌なんてそれ以上でしょ!それを、私がミキシングするって……!?」
私はモニターの中の、未だに恐ろしい光を放っているかのように見える音声データのアイコンを凝視した。
これはヤバイ。
どうやって編集しようか。
……いや、そもそも。
「……これ、ミキシング以前に私の脳がふっにゃふにゃにされない?」
絶望的な事実に行き当たる。
まだ私はそのデータを開いてすらいない。
……だんだんと、頭がさえてきた。
いつもなら、雫から事前に「今から送るデータはヤバいから気をつけろ」というような警戒の連絡や、編集方針の細かい指示があるはず。
それがないってことは?
……それってつまり?
「……これ、雫でも耐えられないデータだったから、まともな判断力すら失って無言で私に丸投げしてきたんじゃ……?」
あの狂気の忠誠心を持つ雫ですら、一度たりともまともに聞くことができず、注意書き一つ添える余裕もなく送りつけてきた戦略兵器ってこと!?
私が?
これを?
編集するの?
私が耐えられるわけないじゃない!!
「無理無理無理無理!!本当に無理!こんなの生身で浴びたら絶対に脳がふにゃる!!私の残機がいくつあっても足りないわ!!」
私は頭を抱え、ワークチェアの上でのたうち回った。
「仕方ない……ASMRを耐えたサーバーちゃんたちに、全部のフィルタリングと安全基準の加工を任せてみるか……? いや、でもあの子たち、もう雪景色の中で昇天しかけてるし……」
私はモニターの下部でピクピクしているサーバーちゃんたちを睨みつけた。
「ちょっとサーバーちゃん!雪景色で感動してるところ悪いけど、その音声を一般人が聞けるレベルに加工できる!? 致死量を下回るように、ノイズ入れたり周波数いじったりして調整できる!?」
『……ふにゃ?』
『かこう……?できる、かもー?』
『どんとこーい!雪に埋めてふにゃるよ?』
「かも、じゃない!やりなさい!むしろ、出来ないと人類の損失なんだけど!!! フィン様のお歌は……私も、私もききたーーーい!!!」
深夜のマンションの一室に、天才プログラマーの絶叫と発狂が虚しく響き渡る。
こうして、世界で最も恐ろしい『兵器』の加工という名のデスゲームが、私のPCの中で幕を開けたのだった。




