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短編詰め合わせ

世界侵食

作者: 長滝凌埜

 清潔感よりも嫌悪感を与える真っ白な部屋の中で、白衣を纏った男達が透明な檻の中を覗き込んでいた。

「どんな調子だ?」

 偉そうにふんぞり返った男が言った。

「被験体に大きな変化は見られませんでした。ワクチン投与の際に興奮状態になり、作業員二人が骨を折るなどの怪我をしたとの事です」

 黒縁のメガネをかけた男が、手に持つ資料に目を落としたまま淡々と報告した。

「また、新しく人を雇わないといけないのか……松木!」

 我関せずを決め込んでいた僕の名前が呼ばれた。僕は机の上の紙の束を手に取り、上司である佐田に近づいた。

「現在、就職を希望している人のリストです」

 佐田は僕の手から数枚の紙を抜き取り、そのまま部屋から出て行った。

「お前も大変だよな、佐田の直属の部下だなんて」

 黒縁眼鏡の男が、資料が雪崩落ちるのも気にせずに、僕の仕事机に腰掛けた。

 その音に反応して、檻の中の被験体が目を覚ました。

「お前のせいで起きたぞ」

「たまたまだろ」

 檻の中にいるものは、口の周りを唾液で濡らし、黄色くなった歯に、伸び放題の毛と爪を携えた、到底同族とは思えないものだ。

 息を荒くし、四肢に繋がれている劣化した鎖をじゃらじゃらと鳴らし、壁に体をぶつけ始めた。

「死なせるなよ」

 黒縁眼鏡の男がそう言って部屋から出て行き、僕はあれと二人きりになった。

 机の上の麻酔銃を手に取り、あれに狙いを定めて撃った。被験体は体を壁にもたれかけ、目を閉じた。

 僕は長く息を吐いて、イスに深く腰を下ろした。


 八年前。僕が大学受験を控えていた、年末の事だ。年越しの為に街へと家族で買い物に出掛けた時に、初めて僕はそいつらを三人、目にした。

 始め、ヤクでもキめた奴らが徘徊しているのかと思った。

 正義感の強い父が、そいつらに近づいたのにはとても驚いた。

 その時だった、真ん中にいた奴が父の首筋へと噛み付いた。

 バイオかよ、なんて思えたのは一瞬だけだった。周りが喧騒に包まれ、人の波が奴らから放射状に広がった。僕はその波に飲まれ、母と妹から離れてしまった。

 目の前で衝撃的なものを見たせいで逃げ遅れた母と妹が、残りの二体の標的にされた。僕の目に二人が襲われるのがスローモーションで映った。

 肉が剥がれていく映像が記憶に焼き付いた頃に、警察の人間が来て、奴らを撃ち殺して事態は収束した。その間僕は何もできなかった。

 後から知ったのだが、これは世界中で起こり、人間が獣のように暴れ狂い始めたらしい。

 鎮静のために国連軍が派遣され、彼らを撃ち殺し始めた。死体を解剖した結果、ウイルスが脳に進入し、大脳新皮質の一部に障害を生じ、所謂理性を失った状態になったということらしい。本能に忠実に動く獣だ。

 週一で予防接種をし続ければ感染確率がほぼ0になるというのが分かっている。しかも、治療薬が上手くいけば元に戻る可能性があるらしい。そんな奴ら戻る必要ない。

 僕はその後、奴らを研究する施設に入るよう国から依頼された。大学での論文が大きく評価されたのが理由らしい。

 僕は家族を喰った奴らを一体でも多く切り刻んでやりたいという歪んだ理由で施設に入った。


 僕は斧を手に取り、檻の鍵を開け中に入った。四肢を拘束する鎖を断ち切り、足首を掴み意識のない奴を引き摺り出し、そのまま斧と共にダストシュートに投入した。

 机に戻り内線を繋いだ。

「佐田さん。被験体が鎖を断ち切り、手に負えなくなったので、殺処分しました。」

 電話越しでなにやら周りに指示を出し始めた。

「死体はどうした?」

「ダストシュートにいれたので焼却中かと」

「解った。管理部に新しい個体を寄越すように言っておく」

「手間を取らせてすいませんでした」

 僕は電話を切り、伸びをした。手近な所に置いてあった資料を捲り、研究結果の推移を見ると見事な水平線がグラフに示してあった。

 倫理云々いってないで、さっさと一般人ごと感染源を殲滅すればいいのに。

 僕は接種を受けるために部屋から出た。接種を受けなきゃ奴らと同じ部屋にいることさえままならない。

 部屋から出ると玄関ホールから(こぼ)れる朝日に思わず目を細める。いつの間にか夜が明けてたのか。

「お疲れ様です、松木さん」

 玄関の警備員が僕の姿を見て、挨拶をしてきた。

「相変わらずの様ですね」

 僕は玄関の外、透明な扉の外側に視線を移した。扉に張り付くように群がる人たち、予防接種を受けたいが為に、集まってきた人たちだ。彼らは施設内職員になりたがっている。職員とその二親等は優先的に予防接種を受けることが出来るからだ。

 僕は少し開けた扉から、一人を無作為に指さす。指された女が自分を指さしたので、僕はにっこり笑った。

「あんた、感染者」

 僕は感情を込めずに言った。周りがパニックに陥り、玄関前から人が離れていく。女はその場に泣き崩れた。僕は扉を開け、女の腕を引っ張り中へと入れた。

「松木さん、いい加減嘘吐いて一般人を中に入れるのやめてもらえますか?」

「良いじゃん、誰も損しないし」

「私が後で佐田さんにねちねち文句を言われるんです」

「毎日毎日、こんな醜い様みてるんだから大したこと無いでしょ」

「そうゆう問題では……」

「立てる?」

 僕は彼女に手を差し伸べた。僕らの話を聞いていた、彼女は自分の服の袖で顔を拭った後に、僕の手を掴んだ。僕は彼女を立たせて、ポケットから紙とペン、ナイフを取り出し彼女に突きつけた。

「ここに名前かいて、血判を押して」

「養子縁組?」

「予防接種を打てる代わりに、僕の為に働いて貰うけどね」

 彼女は記入して、僕にそれらを突き返した。

「じゃあ付いてきて」

 彼女を連れて、医務室へとはいる。部屋中から侮蔑の視線が飛んでくる。相変わらず好き嫌いがはっきりと分かれるなぁ。

「松木さん、その人誰ですか?」

「娘」

 医務室長が呆れながらも僕らに注射を打った。僕は彼女を連れて、自分の部屋に帰った。

 部屋の扉を開けると、僕の腰に長い髪を一つに結っている女の子が抱きついてきた。

「パパ、お帰り」

 にっこりと笑うその子の頭をなでて、部屋の奥へと進む。部屋には十数人の老若男女が生活していた。ある程度年を取った人たちは、僕に怯えた視線を向け、まだ幼い子供達は、パパ、パパと無邪気にまとわりついてくる。

「みんな、この人は新しい家族だから仲良くしてあげてね」

 僕はそう言って彼女の手を離した。

「パパー、あそぼー?」

「ごめんね、パパはまだお仕事だから遊べないよ。代わりに新しく来たお姉ちゃんと遊んであげて」

 女の子が無邪気に返事をして、困惑する彼女を子供達の輪の中心へと連れて行った。

「後はお願いします」

 この部屋の最年長の男に後のことをまかせ、部屋から出た。研究室へと戻ると、新しい個体が檻の中に入れられていた、新品の鎖を身につけて。

 また醜い奴が僕の部屋に入れられたものだ。

 僕は机の引き出しから、自作した施設の目的にそぐわない特殊な薬品の入ったアンプルを取り出した。麻酔銃を撃ち込み、意識を奪ってから、研究個体に近づく。アンプルの先を折り、薬品を注入する。個体が苦しそうに首や胸をかきむしり苦痛から逃れようとする。

 僕は換気システムを作動させて、自分の部屋へと戻った。

 僕は部屋の金庫を開け、あのアンプルを取り出し、僕を含めた部屋にいる全員に注射した。

「みんな、お仕事です。外に出て、出来るだけ遠くまで逃げてください。もし、感染者に出会ったら、この銃で撃ってください。子供達は大人の方が一人ずつ連れてって下さいね」

 みんなが割り切ったように、部屋から出て行き、僕はその後ろ姿を見送った。

 その時、部屋の扉が開き、佐田さんが数人の施設職員を引き連れて入って来た。

「お前、なにやってんだ……。被験体を次から次へと殺して」

「今更なんですか……。僕がやってること全部知ってたんでしょ? 隠し撮りまでして、あんたらの方がタチが悪い」

「残念だが、君にはここで死んで貰うことになった。研究を著しく遅れさせ、たくさんの人を死なせたからだそうだ」

「僕に構ってる暇があるんですか? 僕が打ったあれ、エアロゾル化して広がってきますよ。換気システムも最大出力にしましたし、もう外に流れ出してるんじゃないですか?」

 佐田さんが数人の職員に指示を出し、佐田さん以外が部屋を出て行った。おそらく止めさせに行ったんだろう。

「で、どうするんですか?」

 佐田さんが右手に錠剤の入った瓶を乗せ、左手に拳銃を乗せた。

「どっちがいい? 毒で死ぬか、撃ち殺されるか」

「そんなのどっちもいやですよ」

「じゃあ、撃ち殺すと言うことでいいな?」

「好きにしてください」

 僕は佐田さんに背を向けて、手を頭の上にのせた。

 僕の耳に、乾いた発砲音が焼き付いた。胸のあたりが紅く染まり、色んな感覚が無くなっていく。


 僕は倒れながら目を閉じた。




 研究室内にて。

 松木が出て行ったあとに被験体が、ゆっくりと立ち上がった、たくさんの涙を流しながら。



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