煩悩フットボール ― モテたいなら勝て ―
プロローグ:泥舟の上のシャンパン
地方都市の湿った夜風が、J3「九十九里オーシャンズ」のオーナー・佐藤正造の薄くなった頭頂部を撫でた。
手元のグラスには、安物の発泡酒。目の前の古い液晶テレビからは、バラエティ番組の騒がしい笑い声が響いている。
画面に映っていたのは、かつて「日本の至宝」と呼ばれ、後に「六本木の王様」とまで称された男――伊達一輝だった。
「いや、監督ライセンスは持ってますよ。一応ね」
伊達は、現役時代のキレのあるドリブルを思わせる軽妙な口調で笑った。
代表のエースとしてゴールを量産していた面影は残っているが、今は顔が少しむくみ、仕立ての良いスーツをこれ見よがしに着こなしている。
「どこか、やらせてくれないかな。ギャラ? そんなの二の次。今の日本サッカーには、俺みたいな『華』が必要だと思うんですよ。地味な戦術論より、女を口説く情熱でゴールを奪う。そういう指導、してみたいよね」
スタジオが笑いに包まれる。司会者が「またまた~。不祥事で辞任されたら困りますよ!」とツッコミを入れる。
佐藤はグラスを置いた。
九十九里オーシャンズは現在J3最下位。スポンサーは離れ、観客席はスカスカ。地元の漁師たちは「あんな弱ぇチーム、叩き売っちまえ」と吐き捨てる。来季の存続すら危うい。
「……毒を食らわば、か」
佐藤は携帯電話を手に取り、かつて代理人を務めていた知人の番号を呼び出した。
第一章:派手すぎる救世主
三週間後、九十九里の小さなクラブハウスに、場違いなフェラーリが乗り付けた。
降りてきたのは、大きなサングラスをかけた伊達一輝だった。
「ここが、俺の新しいスタジアム……じゃなくて、オフィス?」
伊達は鼻をつまむような仕草で、潮風の混じる練習場を見渡した。
出迎えた佐藤オーナーと、生真面目な若手コーチの瀬戸は絶句する。
「伊達さん、本当に来ていただけるとは……」
「佐藤さん、俺、嘘はつかない主義でね。特にテレビの前じゃ」
伊達はサングラスをずらし、鋭い眼光でピッチを見つめた。
そこでは、覇気のない選手たちがダラダラと鳥かご(パス練習)をこなしていた。
「ひどいな。葬式会場かと思ったよ」
伊達は一歩ピッチに踏み出し、ボールを拾うと、スーツのままゴールに向かって強烈なシュートを放った。
ボールは美しい放物線を描き、ポストの内側を叩いてネットを揺らした。
「いいか、野郎ども。今日から俺が監督だ。
俺のルールは一つだけ。『モテたいなら勝て』。以上だ」
第二章:煩悩の戦術論
伊達の指導は、それまでの「泥臭いJ3の常識」をすべて破壊するものだった。
「瀬戸、なんだこの練習メニューは。走ってばかりで面白くない」
「ですが監督、J3はフィジカルと走力が……」
「馬鹿か。そんなもん、犬にでもやらせておけ。いいか、サッカーはデートと同じだ。中盤でダラダラ話してても女は落ちない。大事なのは、ここぞという時の『殺し文句』。つまりゴールだ」
伊達はホワイトボードに戦術図ではなく、「モテる男の立ち振る舞い」を書き始めた。
「フォワード! お前、シュートを打つ時に迷っただろう。それは『嫌われたくない』と思ってる証拠だ。ゴールっていうのはな、強引に奪うもんなんだよ。断られても、相手が赤面するまで口説き続けろ」
「ディフェンダー! お前の守備は、しつこいストーカーだ。相手に嫌がられることを悦びと感じろ」
選手たちは唖然としたが、伊達の言葉には妙な説得力があった。
何より練習後に連れてくる「差し入れ」が凄まじかった。
一流のコンディショニングスタッフ、高級焼き肉のケータリング……。
「金はないが、俺の顔は売れる。お前ら、勝ったらもっといい思いができるぞ」
練習が終わると、伊達はさっさと夜の街へ消えていく。
地元紙には連夜「伊達監督、スナックで熱唱」「謎の美女と海岸をドライブ」といった記事が躍った。
だが、不思議なことにチームの雰囲気は変わり始めていた。
佐藤オーナーも、観客動員数が前年比200%を超えていることに驚きを隠せなかった。
第三章:嵐のプレシーズン
開幕前、格上のJ1チームとの練習試合が組まれた。
メディアは「伊達一輝、監督デビュー。惨敗の予感」と書き立てた。
試合前、ロッカールーム。伊達は鏡を見ながら髪を整えていた。
「監督、そろそろ指示を……」
瀬戸コーチが焦って声をかける。
伊達はゆっくり振り返り、選手たちを見回した。
「おい。今日、スタンドを見てみろ。J3の練習試合に、なんであんなに女のコが来てると思う?」
「……」
「俺を見に来てるんだよ。……でもな、お前らが無様な試合をしたら、彼女たちはガッカリして帰る。俺の面目が丸潰れだ」
伊達はキャプテンの肩を叩いた。
「俺に恥をかかせるな。勝ったら今夜は俺の奢りでパーティーだ。負けたら……一ヶ月、丸坊主で海岸清掃な」
試合は始まった。
九十九里オーシャンズのサッカーは以前とは別物だった。
緻密な戦術はない。だが、一人一人が獲物を狙う肉食獣のようにゴールへ向かっていく。
結果は2-1。格上のJ1チームを泥仕合の末に下した。
第四章:露呈する脆さと、真実
シーズンが開幕すると、オーシャンズは連勝街道を突き進んだ。
「煩悩サッカー」は旋風を巻き起こし、スタジアムは常に満員。グッズ売り上げも過去最高を記録した。
だが夏が過ぎる頃、暗雲が立ち込める。
伊達のスキャンダルが週刊誌にスクープされた。「監督、深夜の乱痴気騒ぎ」「クラブ運営資金の流用疑惑(実際は自腹)」。
対戦相手も伊達の攻撃サッカーを研究し、対策を講じてきた。
連敗が始まり、順位は中位に沈む。
SNSには批判が溢れた。
ある夜、佐藤は監督室で一人、負け試合の映像を何度も見返している伊達を見つけた。
「……佐藤さん。俺、現役時代に一度だけ、代表を外されたことがあるんですよ。女遊びが原因だって言われたけど、本当は違った」
伊達はモニターを止めた。
「単純に、下手になったからだ。天狗になって、練習を怠った。その時の恐怖を、今、こいつらに感じさせたくないんだ」
伊達は立ち上がり、不敵に笑った。
「明日、あいつらに本当の『落とし方』を教えてやりますよ。ちょっとエグいけどね」
第五章:九十九里の奇跡
シーズン最終戦。勝てばJ2昇格、負ければ現状維持という大一番。
相手は首位を独走する強豪だった。
試合前のミーティング。伊達は一枚の写真を出した。
ボロボロになった地元のサッカー少年たちの姿だった。
「こいつら、お前らの不甲斐ない試合を見て、泣いてたぞ。……かっこ悪いよな。
女にモテる以前の問題だ。ヒーローになりたいんだろ? だったら、今日だけは自分を捨てろ」
伊達は初めて緻密な戦術ノートを配った。
夜な夜な研究し、相手の弱点を徹底的に分析した執念の結晶だった。
「いいか、これはラブレターだ。相手が一番嫌がる言葉を、一番痛いタイミングで叩き込む。
90分後、お前らはこの街の伝説になる」
試合は壮絶な死闘となった。
後半アディショナルタイム、0-0の均衡を破ったのは、伊達に一番厳しく指導された若手フォワードだった。
泥にまみれ、顔をゆがめながら放った泥臭いシュートがゴールネットを揺らす。
スタジアムが爆発した。
試合終了のホイッスル。選手たちが伊達のもとに駆け寄る。
「おい、抱きつくな。スーツが汚れるだろ」
だが、その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
エピローグ:次なる誘惑
昇格会見の席。多くの記者が詰めかける中、伊達はマイクを握った。
「監督、来季の抱負を!」
「来季? ああ、俺、さっき辞表出してきたから」
会場が騒然となる。佐藤オーナーだけが苦笑いしながら頷いていた。
「俺の仕事は『モテない男たち』を更生させること。J2に行けば、あいつら放っておいてもモテるでしょ。俺の出番じゃない」
伊達はサングラスをかけ、席を立った。
「次は、もっと潰れそうなチームを探すよ。その方が、女の子に『可哀想な人』って思われてモテる気がするしね」
フェラーリのエンジン音が鳴り響き、伊達一輝は潮風と共に去っていった。
残されたのは、J2への切符と、自信に満ち溢れた選手たち。
そして、九十九里の海のように明るい、チームの未来だった。
佐藤はテレビのスイッチを切った。
「……全く、最後まで人騒がせな男だ」
と言いつつ、手には新しいシャンパングラスが握られていた。




