反比例
春から夏って、いいよね。
7時17分。私はいつもの電車、いつもの車両に乗る。学校は、ここから7つ向こうの駅だ。
7時23分。次の駅で、彼は3両目の前の扉から、乗車する。彼を目で追うようになって、少なくない時間を無駄にした。
声を掛ける勇気もない。私の青春は、車窓を流れる景色のように、ゆっくりと消えていく。
学校まであと2駅のところで、彼の友人が乗車する。”おっす”から始まるいつもの会話。周囲を気遣いながら笑う彼の姿に、私は胸が熱くなるような思いが、溢れ出す。
電車を降りると、改札までの間、彼は私の後ろを歩いている。改札を過ぎると、彼は私を追い抜き、
「美和ちゃん、おはよう!」
後ろから、挨拶をしてくれる。恥ずかしくて、小さな声で「おはよう」と応えるのが精一杯。私は、これが嬉しくて、わざと歩みを遅くする。でも、彼が隣を歩いてくれるような事はなく、友人と話しながら、早足で離れて行ってしまう。
学校に着くと、私は大勢の生徒の一人になり、彼は、隣のクラスの人気者になる。
切欠は、些細なものだった。放課後、化学の先生に、授業で使った教材の片付けを頼まれた。自分で言うのもどうかと思うけど、私は、良く言えば、”一生懸命で真面目に授業に取り組める生徒”、実際は、”頼まれたら、断れない地味で気弱な子”だった。
その日の授業は、実験があり、資料や実験道具が多く、片付けるにも、大変な時間が掛かるかもと、私は肩を落とした。
「あれ?君、一人?」
廊下から、顔だけを出した彼と目が合った。
「は、はい。」
内向的な私は、間抜けな返事しかできなかった。
「藤井、こっちに来てない?」
「藤井さん、ですか?化学室には、私しか来ていません。」
「ん~、そっか。今、何やってんの?」
彼は、部屋に入ってくる。
「授業で使った教材の片付けを、先生に頼まれて、、、」
男子と普通に会話する事が少なかった私は、くぐもった話し方になってしまう。
「結構な量だね。手伝うよ。」
私が返事をする前に、彼は片付け始めた。
「柳瀬慎吾。」
唐突に、彼は自己紹介をする。
「わ、私は、、、」
「小鳥遊だよね。すっげー難しかったから、国語の先生に教えてもらうまで、知らなかったよ。」
彼は、無邪気に笑う。
「下の名前は、なんての?」
「み、美和、美しいに平和の和で、美和です。」
「美和ちゃんか、よろしくね。」
いきなり下の名前で呼ばれた私は、首のあたりから、熱を帯びたように、赤くなっていくのを感じた。
「あ、ありがとうございます。」
恥ずかしさに、それが精一杯だった。
彼のおかげで、ある程度、片付けも終わった頃、
「ここにいたのかよ。慎吾、監督がブチギレてんぞ。」
廊下から、男子の声がした。
「おっ、マジ?やっべー、忘れてたわ。」
彼は、慌てだし、
「美和ちゃん、ごめんね。俺、行くわ。」
彼は、私の肩をポンと、叩いた。その拍子に、掛けていた眼鏡が、外れた。
「あっ、ごめん。そんなに強く叩いたつもりじゃなかったんだけど。」
彼が眼鏡をキャッチしてくれた。
「い、いえ。大丈夫です。」
「、、、、」
彼は、私の顔をじっと見た。視線が合うか合わないかで、恥ずかしさが限界を迎え、落ち着かなくなった私。
「ん~、眼鏡無いほうが可愛いよ。はい。」
と、眼鏡を返す彼。顔が爆発したかと思うくらいに、熱く赤くなった。
「じゃぁ、行くわ!ほんとにごめんね。」
片手を立てて、彼は走っていった。
片付けも終わり、帰宅した私は、部屋で思い出していた。万年地味子の私は、あまりの事に、記憶が曖昧で、彼との会話も、ところどころしか思い出せない。
-眼鏡無いほうが、可愛いよ-
そこだけが彼の表情とともに、脳内リピートされる。その度に、私は枕に顔をうずめ、身悶えする。
それから、しばらくは、彼と会話する事もなく、またいつもの学校生活に戻った。
ある日、私には珍しく、寝坊してしまった。慌てて、駅に向かったけれど、いつもの電車に間に合わなかった。表情には出さないが、私は少し憂鬱な気分になってしまう。
仕方なく、次の電車に乗車して、窓から景色を眺めていると、彼の声が聞こえた。
「でさー、昨日の、、、」
私は、視線を向けると、そこに彼がいた。いつから乗っていたのかは、分からないけれど、彼は友人と、談笑していた。
それからは、毎日、彼と同じ電車に乗るようになった。一週間も過ぎると、私は、少し欲張りになる。
(なんとか彼と話したい。)
そんな想いを募らせていた。でも、電車に乗って、彼を見て、電車を降りても、結局は何も変わることはなかった。だから、私は、駅を降りてから、わざと遅く歩くようにしていた。
「あれ?美和ちゃん?おはよう。一緒の電車だったのか。」
「おっ、おはようござ、、、、」
彼は、気付いてくれたが、私がしどろもどろになってしまった。
「じゃぁ、また学校でね。」
そうこうしてる内に、彼は友人と、先に行ってしまった。学校では、いつも通り、彼を目で追いかけた。放課後は、教室の窓から、グランドでサッカーをしている彼を見ながら、遅くならないうちに帰宅した。
それから、半月が経ち、お母さんが好きなアイドルのテレビを見ながら、夕飯を食べていると、
「今日も、亮ちゃんは最高だわ~。」
「そうだね~。」
お母さんは、アイドルに夢中だ。私は、彼の事で頭がいっぱいだった。
「美和、来月の中間テスト、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。」
テレビに視線を向け、生返事をしていた。
「今日も、お父さん遅いって。」
「いつもの事でしょ。」
「学校はどう?最近、変わったことない?」
「ないよ~」
「あんた、好きな人できたでしょ。」
「そうだね~。」
-ガタンっ-
家が揺れたかと思うくらいには、テーブルが揺れる。
「お母さん!」
お母さんの顔は、”あらあら~”と、笑顔でいっぱいだった。
「違うからね!」
と、恥ずかしさのあまり、乱暴に食事を終え、ベッドに潜り込んだ。
夜の9時を過ぎたころ、お父さんが帰ってくる。1階から、お母さんの「おかえり~」が聞こえてきた。
私は、トイレに行きたくなり、1階に降りると、二人は私の話をしていた。気になった私は、階段で聞き耳を立てた。
「あなた、あの娘に好きな男の子がいるみたいよ?」
-ガタンっ-
家が揺れたかと思うくらい、大きな音がする。
「なななな、母さんは何を言ってるんだ。あの娘に好きな男なんて、早すぎる!」
「何言ってるのよ。美和も、もう17歳よ。恋愛の一つや二つあるに決まってるわよ。」
「父さんは許さんぞ!今から美和に聞いてくる。」
「やめなさい。」
「だって、母さん!美和は、僕と結婚するって、ずっと言ってたんだぞ。」
「何歳の話をしてるのよ。臭いって言われてないだけマシだと思いなさいよ。年頃の女の子は、お父さんは、汚いもの扱いなんだから。」
「現実を見たくないよ~」
お父さんの悲しい叫びが聞こえてくる。おかしくて、クスッと笑ってしまう。
「はい、あなた。ビール。」
-プシュッ-
と、軽快な破裂音が聞こえ、
「俺たちが出会ったのも、それくらいの頃だったよな。」
「そうね。若かったわね~。」
晩酌をしながら、昔話を始めた。
「1年生の時に、僕が君に一目惚れして、毎日アタックしたのを覚えてるよ。3年生になった春休みに、やっといい返事がもらえたんだよな。今でもよく覚えてるよ。」
「ずっと黙ってたけど、2年生の夏休みには、もうあなたの事を好きになってたのよ。あなたが面白くって、ちょっと意地悪しちゃった。」
「今でもそうだけど、やっぱり君には敵わないな。」
二人の甘さに、胸ヤケしそうだった私は、トイレに行って、寝た。
次の日、
「いってきまーす。」
玄関で靴を履いていると、
「美和、女は度胸よ。」
お母さんが、ガッツポーズしていた。私は、聞こえないふりをして、玄関を飛び出した。学校に到着して、1限目を終えた時、廊下から、彼の声が聞こえる。
「慎吾、最近あの子とは、どうなってんの?」
「どうもなってないよ。」
「付き合ってんじゃないのか?告白されたじゃん。」
「うっせーな。あんま大きい声で言うんじゃねーよ。」
私は、頭が真っ白になった。
「美和?どうしたの?」
友人の声は聞こえたけど、その時にどうしたのかまでは、覚えていなかった。
正気に戻った時には、私は自分の部屋で、膝を抱えて、座っていた。1階から、お母さんの声が聞こえる。
「先生、すみません。突然、帰ってきたと思ったら、何も言わずに部屋に行っちゃって。、、、はい、、、はい、、、私から、ちゃんと言っておきます。はい、はい。」
学校からの電話のようだった。
(サボっちゃったな。)
胸にポカンと空洞ができたみたいだった。
(死のうかなぁ。)
自然と涙が溢れてくる。少ししたら、電話を終えたお母さんが、階段を昇ってくる足音が聞こえた。
「美和?大丈夫?どうしたの?」
「何にもない!ほっといて!」
ドアの前で、優しく心配してくれるお母さんに、ぬいぐるみを投げる。
「学校で、何かあった?」
「何にもないよ!あっち行ってよ!」
「・・・振られちゃった?」
「知らない!」
「お母さんが、女は度胸なんて、言ったから、、、お母さんが悪いわね。」
「違うって言ってるでしょ!あっち行って!ほっといて!」
「だって、あなた、あっちに行ったら、死にそうな顔してるじゃない?」
「うるさい!私なんて、どうなっても知らない!」
頭に血が上って、自分でも何を言ってるのか分からなかった。
「今から、お母さん、独り言言うね。」
「勝手にすれば!」
少しの静寂が流れたあと、お母さんは、話し出した。
「今の美和の気持ち、お母さんにも分かるわよ。ちょうど美和と同じくらいの頃、好きな男の子がいてね。彼が県外の高校に行くって言うから、私も一緒に行きたくて、一生懸命勉強して、同じ高校に入ったの。でもね、入学してすぐに、彼は、他の女の子といい感じになっちゃって、”一番仲良いのは私だ”、”彼も私の事好きだ”って、思ってたのに、、、もうどうでもよくなって、、、今の美和と同じね。」
お母さんの話を聞いていたら、少し冷静になってきた。
「そんな時、お父さんに告白されたわ。その時は、彼以外の男子なんて、全然覚えてなくて、もちろんお父さんの事も全然知らなかったわ。私はまだ立ち直れてなくて、あの人の事、振っちゃった。でもね、あの人は、全然諦めてくれなかった。それから、毎日、学校にいる間は、ずっと付きまとわれて、”なんなのこの人”って。でもね、ずっと好きだって言ってくれるお父さんを見てたら、なんだか、いつの間にか、目で追うようになって、一年経った頃には、お父さんの事好きになんだって、自分でも分かるくらいに、好きになってた。お父さんは、今でも、”僕が君を好きになったんだよ”って、言ってくるけど、今思えば、最初に告白された時に、モノクロだった私の世界に色が戻っていたんだと思う。」
お母さんのすすり泣く声が聞こえる。
「もし、あなたの中に、彼しかいないんだったら、諦めちゃダメよ。あなたは、お父さんとお母さんの子供なのよ。たくさん泣いたら、次は、彼を後悔させるくらい良い女になってやるんだって、頑張らなきゃ。お母さんも、お父さんも、絶対あなたを応援してる。」
私は、部屋のドアを開けた。私の姿を見たお母さんは、
「美和!」
強く抱きしめてくれた。その華奢な腕からは、想像できないくらいに、強くて、優しいお母さんの腕だった。
「ごめんなさい。ありがと。」
お母さんの胸の中で、そっと呟いた。お母さんは、何も言わず抱きしめてくれた。
翌日、私はいつも通り、通学した。彼の事を消化しきれないでいたが、それ以上に、彼を想う気持ちが、私を奮い立たせた。
教室に入ると、担任に”早退するなら、ちゃんと連絡しなさい。”と怒られたが、”お母さんを心配させちゃダメよ。ちゃんと大人を頼りなさい。”と、優しく諭してくれた。
日中、廊下を通る彼と、何回か目が合った気がするが、特に何もなかった。心配してくれた友人は、特に変わることなく、私と仲良くしてくれている。
「昨日は、ごめんね。」
私が謝ると、彼女は、明るく”いーよー”と応えてくれた。放課後になっても、何も変化はない。考えてみれば、私に何が起こったのか、彼が知る由もない。昨日、早退した事は知っているかもしれないが、その理由までは分からないだろう。
そんな事に悩んでる自分が、少し可笑しくなった。
中間テストも終わり、梅雨が明け、期末テストも終わる。彼への想いは募るものの、どうすればいいか応えは出ないままだった。あれから、彼が誰かと付き合ったとか浮いた話は聞こえてこない。まるで、何もなかったのかもと、錯覚してしまいそうになる。
1学期最後の日。終業式が終わり、教室に戻ると、クラスは夏休み気分で、溢れかえる。担任の話は、誰も聞いていない。終礼が終わり、私も家路についた。
駅から、自宅までは歩いて、20分ほどの距離。大通りを抜けて、川沿いの沿道を歩いている時、見覚えのある男子が、土手に座っていた。
彼は、私を見つけると、立ち上がり、足早に近づいてきた。
「良かった。ここで合ってた。」
「や、柳瀬くん。ど、どうして、ここにいるの?」
「友達の深谷さんに聞いたんだ。この辺で待ってれば、会えるかもって。」
(由美~、ありがとう。)心の中でガッツポーズ。
「夏休みに入ると、美和ちゃんと会えなくなるなと思って、連絡先だけでも交換したいなって思って。」
「でも、柳瀬くん。彼女いるんじゃないの?」
素直になれない私がいる。
「彼女はいないよ。」
「でも、この前、告白されたって、、、」
「、、、?あっ、5月くらいの話?違うよ。ん?違わないか。告白はされたけど、断った。」
(断ったんだ。落ち着け、私。)
遠くから、聞こえる蝉の音色が、私の心臓の音を消してくれている。
「あ、あのさ。ちょっと話さない?」
彼は、返事を聞く前に、土手に座る。
「最近、電車一緒だけど、挨拶してないよね。」
「うん。」
「深谷さんは、中学の時からの、同級生なんだ。」
「うん。」
「俺、サッカー部なんだ。」
「知ってる。」
「あっ、連絡先。」
「うん。」
彼は、慌てたのか、スマホをうまく操作できない。
「あれ?どこいった、、、あっ、あった。はい。」
私は、何も言えず、連絡先交換会は、終了する。終わりたくない。彼ともっとおしゃべりしたい。そう考えれば、考えるほど、鼓動が気になってしまう。口を開くと、鼓動が聞こえてしまいそうで、苦しい。
「そ、そう言えばさ、、、、」
彼は、他愛のない話をし始める。私は、「うん。」しか、相槌を返せない。
「ごめん。俺だけ話してたよね。つまらない話題ばっかで。」
彼は、「はははっ、いつもこんな感じじゃないんだよ。」とか、取り繕うように、頭を掻いた。
「そんなことない。柳瀬くんと話すの楽しいよ。」
私は、消えるような声で、精一杯、応える。
「う、うん。」
彼は、赤くなって、下を向いた。その時、夏のいたずらな風が土手を走り抜けた。
「きゃっ。」
踊り出しそうなスカートを、両手で抑えた拍子に、大きく体を動かした私から、眼鏡が落ちる。
「だ、大丈夫?」
彼が、私を見つめている。
「う、うん。ありがと。」
慌てて、眼鏡を掛けなおそうとする私の手首を、彼が優しく抑えた。あまりの恥ずかしさに、私は顔を上げれない。今、彼がどんな表情しているのか、私の手首に触れる彼の手が、夏に負けないくらい、熱を帯びていることだけは感じられる。
「、、、やっぱり眼鏡、ない方が可愛いね。」
彼の声は、少し震えているように聞こえた。
「あっ、ごめん。勝手に触って。」
「、、、ううん。」
私は首を振った。
「夏休み、連絡するね。」
「うん。」
「お盆は、部活ないから、一緒にお祭り行こう。友達にも声掛けとくよ。」
「うん。」
「じゃぁ、俺、行くね。ほんと、今日はごめんね。」
「ううん。」
そうじゃないの。私は首を振った。彼は、立ち上がり、土手を上がっていく。私も慌てて、彼の背中を追う。土手を登り切ったら、今日が終わってしまう。
「じゃっ。」
と、少し照れた表情の彼は、ゆっくりと離れていく。目の前にいる彼との距離が、私の心と反比例していく。
「や、柳瀬くん。」
それは、夏の熱気の後押しなのか、溢れる想いのせいなのか、
「私、柳瀬くんと二人で、お祭り行き、、、」
そのどちらでもないのか、精一杯の声で、彼に気持ちを伝える。言葉の最後は、いつもの私が顔を見せ、言ったあとに、不甲斐なさを残す。
「俺も、美和ちゃんと二人で行きたい。」
私の中に、夏の熱気が流れ込んだ。
少し長くなってしまいましたが、高校生の時って、どんな青春してたかなって、懐かしみながら、ストーリーを考えました。夏の魔法って、あると思う?




