【2話】追放の日
悪夢のような夜会の、その翌日。
無実の罪を着せられた私は、さっそく国を追い出されることとなってしまった。
二十年暮らし続けてきた我が家――セファルシア伯爵邸を出た私は、門扉の前に停まっている馬車へ向けて歩いていく。
見送りに来てくれている人はいない。
使用人も家族も、誰一人としてだ。
「それも当然よね」
今や私は、国を欺いた重罪人。
見送りなんてすれば体制側の反感を買い、制裁を受けるかもしれない。
みんなはそれを恐れている。
だからこの状況も、当たり前と言えた。
それは分かっている。
分かってはいるけど、でもやっぱり寂しくもあった。
「……うぅ」
涙の雫がこぼれ落ちる。
泣いてもどうなるわけでもないのに、耐えられなかった。
ついには足を止めて、その場で俯いてしまう。
けれども私には、感傷に浸る時間すら与えてもらえない。
「おい! なに立ち止まってんだ! 早く乗れ!!」
中年の御者が声を荒げた。
目つきは刃物みたいに鋭く、苛立ちを隠そうともしていない。
「も、申し訳ございません」
小さく頭を下げた私は涙をぬぐい、急いで馬車に乗った。
「ったく……待たされる俺の身にもなれってんだよ」
吐き捨てるように文句を言ってから、御者は馬に鞭を入れた。
夜明け前の薄暗い道を、馬車はゆっくり進み始める。
私、これからどうなるのかしら……。
先の見えない不安が胸中に渦巻く。
どうしようもなく心細くなって、私はまた泣いてしまった。
******
セファルシア邸を出立してから、半月ほど。
国境を越えたところで、私を乗せた馬車が動きを止めた。
馬から降りた御者が、ずけずけと車内へ入ってくる。
「ここで降りな」
「ほ、本気ですか……」
御者の言葉に耳を疑う。
馬車が止まっているこの場所は、大雪が吹きすさぶ荒野のど真ん中。
見わたす限り雪の大地が広がっているだけで、他にはなにもない。
私の服装といえば、純白のローブに上着一枚を羽織っているだけ。
外の寒さにとても耐えられるものではない。
ここで放り出されたなら最後。
待っているのは、凍死という結末だ。
「せめて人が暮らしているところまで送ってください! お願いします!」
「悪いがそいつは聞けねえな。俺の仕事は、あんたを国の外へ連れ出すこと。そこまでしてやる義理はどこにもねえのさ。とっとと降りやがれ!」
御者は私の襟首を掴むと、強引に外へ放り投げた。
極寒の大地の上に私の体が転がる。
「元大聖女ともあろう女が、なんて惨めなサマだよ。笑えるぜ。……おぉ、そうだ。あまりにもかわいそうだから、ひとついいことを教えてやるよ。この先の雪山を越えれば、常冬の国――フロスティア王国だ。そこまでたどり着くことができたなら、親切な誰かが助けてくれるかもしれねえぞ。ま、その服装で雪山を越えるなんて無理だろうがな」
鼻で笑った御者は車内から降りると、馬に跨った。
「じゃあな。せいぜい頑張れよ」
「待ってください!!」
必死になって声を張り上げるも、御者は再び鼻で笑うのみ。
私の言葉は届かない。
歪んだ笑みを浮かべた御者は、馬に鞭を入れる。
私を置き去りに、馬車は勢いよく来た道を引き返していった。
「……待ってよ」
乾いた唇から漏れるのは、弱々しい声。
どんどん小さくなっていく馬車の後ろ姿を、私はただ呆然と見送るしかなかった。
強烈な吹雪と風が吹きすさぶ雪山を、私は歩いていく。
目的はここを越えて、フロスティア王国へたどり着くことだ。
しかしながらそれを達成できる確率は、天文学的な数字だろう。
ちゃんとした防寒対策もなしに雪山越えをしようなんて、正直言ってばかげている。自殺行為と言い換えてもいいかしれない。
これで目的を達成できたなら、まさに奇跡だ。
でも私には、他に選べる道がない。
奇跡を起こすしかなかった。
「……あとどれくらいあるのかしら」
歩いても歩いても、一向に終わりが見えてこない。
ゴールのない地獄を永遠にさまよっているみたいだ。
そんな状況に、精神の疲労はピークに達していた。
けれどそうなっているのは、精神面だけではない。
体の方も、もう限界だ。
唇は真っ青で、手足の感覚はとっくにない。
さっきからずっと意識がぼんやりとしている。気を抜けば今にも倒れてしまいそうだ。
いつまでも笑っていられる、温かな場所。
頭の中に響いてきたその言葉は、私が小さい頃からずっと求め続けていたものだ。
……これも走馬灯の一種なのかしら。
そっか……きっと私、もうダメなんだわ。ここで死んでしまうのね。
『終わり』を意識し始める。
もうそういう段階に入っていた。
なにもかもを諦めていた、そんなとき。
「こんなところでなにをしている! 大丈夫か!!」
前方から聞こえてきたのは、男性の声だ。
「助けて――」
けれど応えようとしても、最後まで言えない。
その途中で私の意識は途切れてしまった。




