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怪異喰いのお雛  作者: 所 花紅
お雛、大奥へ行く
1/5

十年前の秋

夜にもう一話アップします!

 血を塗り付けたような赤い唇から覗く白い歯が。

 箸につままれた一切れの肉を上下から挟み。

 顎に力を込め、ぷつん。

 半分齧り取られた肉の断面から、垂れる赤い血が。

 唇の端から白い顎へ、細い筋を作る。

 ただそれだけなのに、御伽噺(おとぎばなし)の一場面のように美しかった。


〇 ● 〇


 お雛はその日、村の近くにある林に入っていた。

 秋の実りである茸や山菜を採る為だ。

 まだ五歳のお雛にはよく分からないが、「かいい」が出て米が沢山駄目になったと、大人達が深刻な顔で話していた。このままでは、「ねんぐ」は収めることができても、村の人の食べ物が足りないらしい。「はらいや」にお金を払ってしまったから、よそから米を買う金も少ないのだという。

 よく分からない単語がいくつかあったが、このままでは満足にご飯を食べられなくなる、ということは分かった。


 それは駄目だ。ご飯は、お腹いっぱい食べなければ駄目なのだ。お腹が空くと悲しくなるのだ。「おさけ」という、変な匂いのするものばかりを飲んで、泣きながらお雛をぶつ母の姿が、小さな頭に浮かぶ。

 母は、「おさけ」ばかり飲んでご飯を食べなかった。だからお腹が空いて、ずっと泣いていたのだろう。

 そんな母は去年、「あまのきざはし」というものを登ってどこかに行ってしまった。

 おかあさまはここでねてるのに? とお雛が聞けば、身体が軽くないと階段が登れないから、重たい身体だけ置いて行ったんだよと言われた。

 よく分からなかったが、もう母とは話ができない、という事だけは理解して、お雛は泣いた。


 父は元々いない。唯一の身内である「おじさん」は、都にいて中々帰って来ない。だからお雛は、村で一番偉い村長さんのところにお世話になっている。

 村長さんも、奥さんも、お姉さんもお兄さんも優しいから、お雛は好きだ。だから、村長さん達が食べ物が無いと困っているのは、見たくなかった。

 そこでお雛は、林に食べ物を採りに行くことにしたのだ。

 村の近くにある林は、危険な「かいい」も獣もいないから、子ども達だけで遊びに行くことも多い。お雛も、遊び友達と一緒に入ったことは何度もある。一人で入るのは初めてだったが、見知った林だ。何も怖くない。

 朝こっそりと行って、食べ物を採り、家に置いておけばきっと村長さん達は笑顔になってくれる。

 そう思って、鼻息荒く林に入った。



 ――そう思って、いたのに。


 お雛は、眼前の光景を食い入るように見つめていた。苦労して持ってきた籠は、足元に転がっている。

 林に入ってすぐだった。

 どうしてか、林の中には肉の焼ける匂いが充満していた。気になって匂いの元を探していたら、――“それ”がいたのだ。

 枯葉が敷物のように広がる木々の群れの中、いつも遊び仲間達とおやつを食べる切り株に、人が座っている。

 頭から爪先まで、真っ黒な人。身体と着物の繋ぎ目がどこなのか、さっぱり分からない。顔も、影みたいに真っ暗だ。

 隣には白い平皿が置かれ、その上に焼いた肉が、何十枚も乗せられていた。香ばしい匂いの元はそれだった。お雛の腹がぐうと鳴り、口の中が唾液で一杯になる。

 だが影よりも数多の肉よりも、もっと目を引くものが影の腿の上にいた。


 ――()()()だ。


 膝頭をぴったりくっつけ、行儀よく切り株に座っている影は、女の首を足に乗せていた。

 滝のように真っすぐで長い髪が地面に垂れ、渦をいくつも描いていた。髪に隠れて顔はよく見えないが、隙間から見える肌は雪のように真っ白い。

 顔も性別も分からない真っ黒な影と、それに抱かれた女の首。

 それをただ呆然と見つめるお雛の前で、影が動いた。


 静謐を崩さないほど静かに、右腕が動いて皿の上の肉を箸でつまむ。

 緩慢に持ち上げられた肉は分厚く重そうで、肉汁がぽたぽたと垂れて皿の縁に落ちた。

 南天の実のように丸いそこに、また赤い汁が滴り落ちた。くっついて、少し大きくなる。先より大きな玉になったそれが、外側へ僅かに歪曲した皿の縁を、つぅーっと伝い落ちた。

 切り株にぽたん、と落ちてそこだけがすぐ、他より少し濃い色に変わる。

 影は左手を首の下に差し入れ、少しだけ上向かせた。

 さらり、と夜闇色の細髪が頬を滑った。耳の後ろまでそれが流れて、女の顔が露わになる。

 白い肌が、斜めに差し込む朝日を弾いて光る。


 綺麗な女だった。

 びっくりするほど滑らかな形の額の下に、刃物を入れて横に払ったような切れ長の黒い目がある。

 紅葉のように真っ赤な唇が開かれた。そこから蛞蝓(なめくじ)が顔を出すように、舌がぬるりと伸びて滴る肉汁を受け止める。

 そこでようやく、お雛は女の首が人形ではなく、生きていることに気がついた。

 影が静かに、肉を女の口に差し入れて、音も無くそれが噛み切られる。咀嚼し、また肉を口に含む。

 お雛はその様子を、ぼんやりと眺めていた。

 お腹が空いたと。皿の肉を食べたいと。

 そう思いはするが、動けなかった。


 異様なまでに静かだった。

 落ち葉がかさつく音も、梢がざわめく音も、獣の鳴き声すら、聞こえない。まるで、この食事を邪魔してはいけないのだと、誰もが無意識に悟っているかのようだった。

 荘厳。

 その言葉を幼いお雛は知らなかった。

 しかし、神様がこの場に現れたら、きっとこんな感じなのだろう。そう思うほど、その光景は一つの世界として完成されたものだった。


「――そこの女の子。こちらへいらっしゃい」


 音が戻った。

 背後で梢がざわめいて、枯葉が冷たい秋風に悲鳴を上げる。

 剥き出しの膝小僧を風に(くすぐ)られ、お雛は我に返った。

 今のは誰の声だろうと思って、あの生首が出した声だとすぐに気づく。

 気づけば影と女は、こちらに身体を向けていた。傍らの皿は、いつのまにか空になっていた。

 瞬き一つしない目に見つめられ、どきっ、とお雛の心臓が大きく跳ねる。


「ずっと、見ていたでしょう」


 ほら、こちらへいらっしゃい。

 影に抱かれた女の生首が、蜜をくるんだように甘い声を上げた。

 覗き見を怒っているわけではないようだ。ほっとしてお雛はそろそろと近づいた。

 しかしどこまで近寄っていいのか分からず、少し迷った末に二歩ほどの距離を開けて、立ち止まる。

 女はそれに肯定も否定もせず、切れ長の瞳でお雛の頭から爪先までを舐めるように見つめた。影は黙したまま、女の顎の下に両手を差し入れて支えている。


「朝早いというのに、小さい貴女お一人ですか。親に怒られて、家出でもしましたか」


 お雛はその言葉に、首をぶんぶんと振った。

 ここに茸を取りに来たのだと、訴える。


「そうですか、一人で村の人の為に茸を。朝ごはんも食べずに。それはとても、偉いですね」


 身振り手振りで説明すると、女はくすくすと笑う。

 偉いと褒められた!

 嬉しくなって、お雛は更に熱を込めて言葉を紡いだ。熱量に合わせて、手足がばたばた揺れる。

 ご飯が無いのは、「かいい」が出たから。それから「ねんぐ」を取られたから。だからみんな、お腹が空いている。お雛もお腹がぺこぺこだ。昨日も、一昨日もご飯は少ないから、ずっとお腹が空いている。

 もっとお腹一杯食べたい。色んな美味しいものを、沢山、はち切れるほど。


「――ええ、ええ。その貴女の思い、分かりますよ」


 お雛の熱弁に、女は墨を垂らしたように真っ黒な目を、つぅと細めた。


「この世の全てを。肉も魚も野菜も。紙も木も土も鉄も。人も怪異も神すらも。味わい尽くしてやりたい」

「ええ、ええ。分かりますよ」

「お腹が空くのは辛いでしょう。ひもじいでしょう。悲しいでしょう。侘しいでしょう。この世のどんな痛み苦しみ怒り憎しみより、私は空腹が一番辛い」

「ええ、ええ。分かりますよ」

「貴女は偉いですねえ。そんな辛い思いをしてまで、一人朝から茸を採って。貴女は偉いですねえ。ひもじいお腹を抱えながら、他の人の為に茸を採りにきて。貴女は偉いですねえ。私の食事を邪魔せず見ていた。貴女は偉いですねえ。私から食事を奪わなかった。貴女は偉いですねえ。きっと村でも可愛がられているんでしょうねえ」

「ええ、ええ。分かりますよ」


 いつの間にか、女の声は何重にも反響して聞こえていた。

 発した声は散らず、秋風と絡まり合ってお雛の周囲をぐるぐる取り巻く。いくつもの言葉が耳を叩いて、今、何を言われているのか分からない。

 ……こと、ここにきて尚。

 お雛は今この状況を、正面の影と女を、怖いと思っていなかった。

 女の声が響く度に、頭の芯がじぃんと痺れてぼうっとして、ふわふわしてくる。

 それでいて、腹はただただ空腹を訴え続け、内側からお雛の腹を噛み苛む。

 快と不快がお雛を真っ二つにする。どちらに集中すればいいのか分からず、ただ立ち尽くす。


「だから、貴女にご褒美をあげましょう」


 お雛の薄っぺらで骨の浮いた腹に、熱いものが突き刺さった。

 ぎゃあッ、と己の口から叫び声が上がる。立っていられず枯葉の中に転がるが、熱いものは離れてくれない。ぎゃあッ、ぎゃあッ、と叫び、とにかくその熱いものを落とそうと遮二無二(しゃにむに)、身を捩って転げ回る。


「偉い貴女にはご褒美を。私と同じように、美味しいものを沢山食べられるご褒美を。肉も魚も野菜も酸いも甘いも辛いも苦いも紙も木も土も鉄も毒も薬も金も人も魂も怪異も神も堅須(かたす)も何でも全て食べられますよ」


 甘い女の声が歌うように響く。

 火。

 炎。

 炎の塊。

 橙色に燃え盛る熱い熱い炎が、自分の腹にずぶずぶと入ってくる。揺らめく炎が腹の中に潜り込む度に、身体中がかき回されるような痛みと衝撃がお雛を襲った。

 汗が噴き出る。目から涙が滂沱と流れる。鼻から温い液体が流れる。口の端から泡が零れる。股の間が何かで濡れる。痛い痛い熱い怖い痛い怖い熱い熱い痛い痛い熱い怖い熱い怖い痛い痛い熱い熱い!


「良かったですねえ。これで貴女は二度と、辛い思いをしませんよ」


 いかにも、良いことをしたと言いたげな女の言葉が、耳に届くか届かないかの内に――お雛の意識は、ぷつんと途切れた。

新連載です(/・ω・)/

ひねもす亭と同様、陽之戸の世界を楽しんで行ってくださいませー。


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