94 禁苑
エリオスは玉座の前で軽く首を傾げた。
金の髪が揺れ、光の粒が散る。
「もちろん敵意なんてないよ。
この器も、執事も、余の仔だし……お前はディーの末裔だ。つまり、この国そのものが余の仔みたいなものだってわかるだろ?」
柔らかな声だった。
だが、その底には底知れぬ威がある。
掌に光が生まれる。金色の球がふわりと浮かび、次々に天井へと放たれた。
やがて玉座の間の天井だけに影が落ち、金の光が宙を舞う。夜空の星のようで、足元からは淡い霧が立ちのぼった。
静謐でありながら、どこか異界のような光景。
マギナを――遊びで操っている。
エリオスは掌の上で金の玉を転がし、悪戯っぽく笑う。
「ねぇ、ユリウス」
指先で弾かれた金球がユリウスの胸元に当たり、光がふわりと舞う。
ユリウスは動じなかった。
その沈黙に、エリオスは愉快そうに笑った。
「……お前、よく怖いって言われない?」
おもむろに立ち上がると、ユリウスに近づき、顎をすっと掴む。
親指で顎の線をなぞりながら、面白そうに言った。
「つるつるだね。髭もないし。そんなので務まるの?」
ユリウスは目を逸らさず、静かにその瞳を見返した。
しばしの沈黙の後、エリオスが微笑む。
「……ディーはもっとごつごつしてて、すぐ髭が生えてたよ」
懐かしさと寂しさが滲む声音だった。
指を離し、軽くため息をつく。
「……まぁいいや。なんか、この器もピリピリしてるし」
ヴァルターの身体の奥で微かな震えが走る。拒むように、怒るように――彼自身の抵抗だった。
「……へぇ」
掌をかざすと、空気が低く唸り、燭火が揺れる。
「この器、思ってたより面白いね。執事よりも、ずっとたくさんマギナを持ってる。
しかも――上手く使える。本能じゃなく、理性で制御してる」
ユリウスが問う。
「……それは、“魅了”の力なのですか?」
「魅了?」エリオスは笑う。
掌に再び金の球が生まれる。
「本来のマギナの“力”っていうのは、この金色の膨大なエネルギーを、何かにふりかえて作用させること。
魅了、みたいなのは副産物でしかなくてーー」
球を押すと、光は静かに消えた。残るのはわずかな余韻。
「この器はマギナの力が溢れてるから、魅了ってのも滲み出てるんだろうけどね。
すっごく繊細に作用されてる。
お前にだけは使わないようにね。なんでだろ?」
そして次の弾は急に鋭く強く、ユリウスに向かった。
胸元に勢いよくぶつかると眩く爆発のような閃光が起きる。ユリウスは咄嗟に手で庇うが、金色が散らばるだけで無傷だった。
執事が金色を発生させようと自らの手を広げるが、そこにはやはり何も起きない。
やがて彼は玉座の背へ手を置いた。淡い光が滲み、壁に刻まれた紋章が一瞬だけ輝く。
「……じゃ、そろそろここに来た目的を話しておこうか」
ユリウスと執事を順に見渡す。
「ひとつは――禁苑へ行くこと。そしてもうひとつは、約束通り執事に“余の名”を継がせること」
空気が震え、光が揺らめく。
「……それも、ここでしかできないことだからね」
ユリウスの眉が動く。
禁苑――その名を知るのは、帝位を継ぐ者のみ。
そこが二代目皇帝ディートリヒの真の墓所であることを、彼だけは知っていた。
「禁苑……その場所は、帝のみが聞き継ぐ聖域です」
「そうなの?」
「場所すらも秘匿され私も聞き及んでおりません」
「……ディーが余の為に作った場所だよ」
エリオスはゆっくりと立ち上がり、玉座の背後へと歩いた。
その動作一つで、周囲の空気が再び緊張する。
両の掌を、玉座の背面の左右に当てる。
次の瞬間――轟音が響いた。
石壁が震え、玉座の裏から眩い光が溢れ出す。
「余が知らないわけが、ない」
壁が裂け、そこに隠し扉が現れた。
光は一瞬、部屋いっぱいに広がり、星のように輝いた。
だがそれもすぐに静かに収まり、金の粒は霧のように消えていく。
玉座の間には、いつもの薄明かりと静けさだけが戻っていた。
エリオスは満足げに息をつき、穏やかに微笑む。
「――さ、禁苑へ行こう」




