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89男3人、露天風呂にて

光が静かに揺らめき、幻影がほどけていく。

リンドビオルは布団の上でエリオスを抱きしめていた。

その掌は、まるで消えゆく光を留めようとするように彼の背をなぞり、

頬に触れ、涙を拭う。


やがて唇が触れ、息が重なる。

深く、ゆるやかに――時間さえも凪いでしまうほどの口づけだった。



やがて夜が明ける。

庵の外では川のせせらぎが鳥の声と交わり、朝の光が障子の隙間を照らしていた。


執事は静かに障子を開ける。

外の気配は穏やかで、室内には香木の匂いが漂っている。

久しぶりにゆっくりと休めたせいか、体の芯に力が満ちていた。


「朝餉をこちらで取るようにと、旦那様がおっしゃっております」

淡々と告げる声に、執事は頷く。

やがて膳が運ばれ、静かな食事が始まった。


そこへ、変わらず東方の衣服をまとうリンドビオルと、その身体に巻き付くように寄り添うエリオスが現れる。

「執事、おはよう!」

銀の髪が朝の光に透け、無邪気な声が響いた。


「客人、食事が終わったら共に川の湯へ行こう」

リンドビオルの低い声はどこか嬉しげで、柔らかい。


朝餉もまた東方の食であった。

香草と穀の香りが豊かで、執事は静かに箸を進めながら、心地よい満足を覚えた。



食後、庵の玄関広間に出ると、

リンドビオルは薄い眼鏡をかけて書簡を読んでおり、

エリオスはその隣でリンドビオルに体重を預けながら葡萄をつまんでいた。


執事に気づくと、侍女が浴衣を手渡す。

三人は並んで川に続く湯殿へ向かった。

湯けむりが立ち上り、朝の光がその中に溶けていく。


川を少し上ると、高い岩のあいだから湯が流れ込む天然の湯溜まりが見えた。

いくつもの岩肌が湯に磨かれ、柔らかな光沢を放っている。


リンドビオルとエリオスは羽織を脱ぎ、薄い白絹をまとったまま湯へと沈む。

執事もそれにならい、静かに膝を折って湯へ入った。


エリオスは縁に手を置き、息を整える。

「……執事、マギナをお願い」


執事がその手を取ると、

金の粒子がふわりと湯に舞い、

春の花弁のように流れていった。


リンドビオルはその光景を見つめ、唇の端をわずかに上げる。

「……互いの負担を減らすには、もっと深い伝達がよい。

 粘膜を通せば、無理も少ない」


執事は短く息を吸い、「御意」と答えた。

次の瞬間、二人の唇が触れ、湯の面が淡く揺らぐ。

吸い込まれるような一瞬の供給――

金色の光がぱっと広がり、波紋のように湯へと散っていった。


リンドビオルはその様子を静かに見守る。

まるで山の神が霧を眺めるように。

やがて「ふむ」と小さく頷いた。


エリオスは「ありがとう」と微笑み、湯に肩まで沈む。

やがて熱が心地よかったのか、反対側まで泳いでいった。


リンドビオルは執事の黒髪を一房すくい上げる。

指先で光をなぞりながら、ゆるやかに言った。


「漆黒の髪――(わたし)と同じ色だ。

お前は品性もあるし……気に入った」


リンドビオルの声音は柔らかくも重みがあった。

執事はわずかに息をのみ、静かに頭を垂れる。


「お褒めにあずかり、光栄にございます。

閣下ほどの御方に“気に入った”などと申されては……恐れ多くも、嬉しゅうございます」


リンドビオルが湯に手を差し入れ、金の粒子をすくい上げるように微笑む。


「お前たちは、もう帝都に発つのか?」


「そのつもりです」

執事が答えると、湯気の向こうでエリオスが岩に腰を下ろし、

足を湯に浸してぱしゃぱしゃと水をはね上げた。


旅の理由を簡潔に語り、執事は静かに頭を下げる。


「長きご厚情、まことに感謝いたします。

 この庵での一夜は、私にとって忘れがたい経験となりました」


「礼など要らぬ。

 エリオスを連れてきてくれただけで、十分に報われている」


リンドビオルは湯面を指でなぞりながら、ふと興味を示すように目を細めた。


「……ところで、その侯爵令嬢との仲とやらはどうなっているんだ?」


執事はわずかに目を瞬かせる。

エリオスがこちらを向き、「あ、それぼくも気になる」と笑った。


「ここに籠っていると俗世の話には疎いんだ、聞かせてくれ」

リンドは唇の端を上げ、くぐもった笑い声を立てる。

その声音には、数千年を生きた者の余裕と、悪戯めいた興味が同居していた。


執事は短く息を吐く。

「……な、仲などと……。

 ただ、少々……事情が複雑で」


「複雑?」

リンドビオルの瞳が面白そうに輝いた。

「ふむ、ますます興味が湧いた」


そう言うと、控えていた侍女に何かを申し付けた。

ほどなくして、東方の酒とお猪口が二つ、そして銀の杯に入った果実の飲み物が運ばれてくる。


「……愉しくなってきたな」

リンドビオルの声には穏やかな笑みと、どこか懐かしさのような響きがあった。


執事は観念して、ゆっくりと息を整えた。

「……では、少しだけ」


湯けむりの中で笑い合う三人――

竜と神と人の間に流れる静かなひとときは、

春の光に溶けてゆく湯煙のように淡く、やさしく続いていた。

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