表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魅了持ちの執事と侯爵令嬢  作者: tii
二章 隣国
62/100

62その光

 女帝は鎖の外れたキャビネットを開き、そこから一冊を抜き取った。

 革表紙は擦り切れ、幾度も修復の手が加えられている痕がある。それでもなお、この国の始まりを証する価値を失わぬ――そんな気配を帯びていた。


「……これだ」


 彼女の指先が撫でるように頁を繰る。

 滲んだ文字が、燭火に浮かび上がる。


『私は帝都建設の兵としてその場に居合わせた。

 後年、この地に移り住んでから、己の目にした光景を残さねばならぬと考え、ここに筆を執る。

 その日、我らは新宮殿の地を拓かんとして、古き祠を打ち壊した。

 すると――』


 古き文字は震えながらも確かに語り始める。

 その記述に導かれるように、場の光が揺らぎ、読む者の眼前に往時の光景が立ち上がった。



***



 ――帝国建国のはるか昔。

 まだこの地に城すらなく、戦乱と流民が行き交っていた頃。


 若き将軍ディートリヒ・フォン・エーレンベルクは兵を率い、帝都となる丘に陣を敷いていた。

 寡黙で剛毅、しかし情に厚い男。兵は皆、彼を信じていた。無骨で優しく、そして常に先頭に立つ将軍。誰もが彼こそ未来の長だと感じていた。


 その日、宮殿建設のために丘を整地していた兵たちが、土の奥から石の祠を見つけた。崩れかけた古いもの、信仰の由来すらわからない。


「……祠、でしょうか」

「縁起が悪い……」


 兵の声にディートリヒは鋭く言い放つ。

「構わん。ここに宮殿を建てる。撤去せよ」


 ためらいを振り切って命じると、祠は崩れ落ちた。


 ――光が奔った。


 土煙を押しのけるほどの白光。

 その中に現れたのは、男とも女ともつかぬ絶世の存在だった。


 裸足に白く薄衣をまとい、腰下まで届く髪は金とも銀ともつかぬ透きとおる光。

 一本一本が光の線であり、揺れるたびに夜空の星々が解け落ちるかのようだった。

 瞳は黄金に潤み、心を映さぬまま覗き込んでくる宝石のような光。

 白磁の肌は陽に透け、薄衣の隙間からのぞく肢体は中性的で、しかし均整の取れた青年のものだった。


 兵たちは思わず声を失った。

 誰もが「神」という言葉を口にしかけ、喉を凍らせる。


「……おい、(おれ)の寝床を壊したな」


 甘く澄んだ声。幼子のように無邪気で、しかし逆らえぬ威を孕んでいた。

 兵は恐れをなして膝を折る。ディートリヒも反射的に跪き、頭を垂れた。


「申し訳ありません。

私はディートリヒ・フォン・エーレンベルク、この地の軍を率いる者です。

 ここに宮殿を築き、この地を国の礎とするつもりでした」


 黄金の瞳がまばたき、唇が弧を描く。


「ふ~ん?」


 そして、無邪気な口ぶりで続けた。


「また願いをかなえろとか言うのかと思ったけど」


 ただ立つだけで場を圧倒する存在感に、兵たちは息を呑んだ。


 ディートリヒは視線を逸らさず、静かに告げる。


「宮殿を築くこと――それが我らの志です」


「へぇ……」


 “神”は楽しげに指を振った。

 細く白い指先から、ひとすじの黄金の光が生まれる。

 それは球となり、ゆるやかな弧を描きながら宙を漂い、ディートリヒの額に触れた。


 瞬間、光はしゃらりと音を立てて砕け、無数の火花のように消えた。

 熱も痛みもない。ただ、ひととき肌にかすかな温もりが触れた感覚だけが残る。


 ――だが兵たちは息を呑んだ。

 あまりに容易く人に触れるその力に、まるで命を握られたかのような錯覚を覚えたのだ。

 たとえ無邪気な戯れであろうと、この存在が気まぐれに力を振るうだけで、人の生死など容易く左右される。

 その圧倒的な実感が、背筋を凍らせた。


「じゃあそのお城の一番良い部屋を(おれ)の寝床にしてくれるなら、許してやってもいいぞ?」


 飄々とした声音。

 兵たちはその無邪気さの裏に潜む恐ろしさを本能で悟っていた。


 ――この存在は、とてつもなく厄介だ。


 沈黙が落ちた。

 兵たちの視線がディートリヒへと集まる。

 彼は一歩も退かず、黄金の瞳をまっすぐに見据えていた。


 やがて、静かに膝を折り、深く頭を垂れる。


「……承知した。最上の部屋を、貴方様に捧げよう」


 以後、“神”は建設の現場に姿を現した。


 昼は石積みを眺め、時に兵の肩に顎をのせて昼寝をし、夜は平然とディートリヒのテントに入り込み、寝袋に潜り込む。

 その仕草のすべてが愛らしく、危うく、兵たちは恐れ多く声を上げることすらできなかった。


 ただ一つの共通認識があった――「神への対応はディートリヒに習うべし」。


 将軍が供える葡萄や酒を口にする姿を見て、兵はますます畏敬を抱いた。神は食を要しないはずだと知りながら、律儀に供物を続ける将軍の姿勢にこそ、人の矜持を見たのだ。


 “神”の美しさは、日を追うごとに人々を惑わせた。

 薄衣の裾が風に舞い、裸足の白い足首がのぞくたび、兵は思わず息を呑む。時に「ドレスを着せたらどうか」と猥談に花を咲かせる夜もあった。だが、実際にその姿を目前にすれば、軽口は喉に貼りつき、畏怖に変わった。


 長い髪は常に光をまとい、触れると微かに熱を帯びていた。

 だが時にマギナが暴走し、髪は兵たちを絡め取り、二十人がかりで解かなければならないこともあった。その後は必ず熱を出し、一日寝込む。


 その度にディートリヒは冷たい布を額に当て、静かに看病した。


「……涼しい」


 神は子供のように呟き、安らかな寝顔を見せた。


 兵は見ていた。寡黙な将軍が、この厄介で美しい存在に心を砕いていることを。

 それは恋か、信頼か、誰にも断じられない。

 ただ確かなのは――この出会いが、建国を導く始まりであるという事実だけだった。

あとがきミニ台詞(心の声Ver.)


モモ(心の中):

「……ちょっと待って。“寝袋に潜り込む”って……?! え、みんな普通に聞いてるけど?! これ、さらっと流していい話なの……?!」


――ヴァルターは相変わらず無表情のまま腕を組み、

――黒衣の従者は、わずかに視線を伏せて沈黙を守った。その横顔は冷ややかに整っていたが、長い睫の陰にほんの僅かな陰影が走った。

――執事に至っては涼しい顔で控えたまま、ひとつ咳払いするだけ。


モモ(心の中):

「な、なんで誰もツッコまないのよっ……! ……え? 黒衣の従者様、ほんのちょっとだけ聞き耳を立ててなかった……?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ