表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魅了持ちの執事と侯爵令嬢  作者: tii
二章 隣国
50/100

50下弦の月

館に足を踏み入れてすぐ、モモは古びた帳簿棚に目を留めた。


「……あ、来賓帳だ。こんなところにまだ残ってるなんて」


指先で埃を払い、ぱらりとページを繰る。


「……。“ディートリヒ……のあとが読めないな、 随行一名”?」


モモは振り返る。


「一番最初に特別迎賓室に泊まった人みたい。

……なんか聞いたことある名前……誰だっけ。」


その名に、執事はごくわずかに眉を動かした――

だが、すぐに表情を戻し、沈黙のまま扉を開ける。


部屋の中は、選ばれた者のために用意された静謐な空間だった。

天蓋付きのベッド、大きな鏡台、内設の水場まで備えられた、ひとつの“完結した私室”。


「すっごい……ここ、水場もある。部屋から出なくても過ごせるようになってるなんて……」


モモは窓辺へと歩み、湖に浮かぶ下弦の月を見下ろす。


「それに、空気が澄んでて涼しい……」


執事はその背後に控え、黙して部屋全体を一瞥する。

目に映るものすべてが、丁寧に、古びながらも確かな気配を残していた。


そしてモモが寝台に身を預けた、その瞬間――


ぽう、と鏡台の奥に金色の光が灯った。


「……え?」


「……っ」


ふたりは同時に鏡へと振り向く。

そこに映ったのは、現実ではない、けれど“確かにあった”気配だった。



そこに映し出されたのは、寝台に横たわる人ならざるほどの美貌を持つ青年。


白磁のように滑らかな肌は、発熱により仄かに紅潮しており、

鎖骨から肩口にかけて汗が珠のように浮かんでいた。


その額には氷嚢、吐く息は熱を含み、苦しげでありながらもどこか甘く――

艶やかな“生”の気配をまとっていた。


その傍らに控える軍服の男は、幻でありながら実在感を帯びていた。

骨張った頬と鋭い目元は、戦場で幾度も死地をくぐった者の証。

派手さはないが、規律と覚悟を滲ませるその顔つきには、言葉よりも重い威厳が宿っていた。


言葉なく、無駄のない動きで氷を取り替え、額にあてる布を整える。

その手つきは、強さと、ただ一人への深い慎重さを併せ持っていた。


「……今回はそこまで酷くなかったな」

「ここに連れてきてくれたおかげ。涼しいし……ありがとね、ディー」

「礼には及ばぬ」


「ディー」と呼ばれる者の声は低く、どこか祈りにも似た静けさを帯びていた。

彼は寝台のそばから静かに立ち上がり、ゆるやかな手つきでカーテンを引く。


窓の向こう――

湖面には、下弦の月がまるで漂うように、静かにその姿を映していた。


「……見てみろ。この景色が気に入ったんだ。

静かで、風もやわらかい。お前が落ち着けると思った」


その一言に、青年の睫毛がわずかに震えた。

黄金の瞳が揺れて、月光を映す。


「……うん。じゃあ、壊れないようにしないとね」


そして――彼が手を掲げると、その掌から金色の粉のような光が発せられた。


それは音もなく広がり、部屋を、壁を、天井を、そして建物全体を包み込んでいく。


まるで呼吸するように脈打ちながら、光は穏やかに揺らぎ、

やがて建物の輪郭へと吸い込まれるようにして、“しみ込む”ように消えた。


その瞬間、空間全体がわずかに“静かになった”ような錯覚があった。


「……むー?なんか、すっきりしたかも」

「力を発散したからか」

「そーかな? でも、(おれ)はまだ熱いんだから……冷やしててね、ディー」


青年の頬にかかる髪を払いながら、男の指が静かに額を撫でる。

髪、皮膚、想い――すべてが、音を立てずにそこに“在った”。


そして、幻は静かに溶けた。



「……っ、今のは……?」

「……鏡に、映って……」


言葉を失い、しばしの沈黙。


ああ、これは――

執事は、心の奥でそう呟きそうになるのを抑えた。


あれほどの美貌、あれほどの力。

(……あれが、マギナの始祖……か?)


やがてモモはふと、口元をゆるめた。


「イケメンとイケおぢの……幽霊?」


そして、少し首をかしげながら囁く。


「……ディーって、そうか、二代目皇帝のディートリヒ殿下……?」


「じゃあ、あの超絶イケメンは……」


モモは小さく呟いたが、その思考の続きを口にはしなかった。

けれど、その視線がふいに執事の横顔を捉えたのを、彼は確かに感じ取っていた。


──まるで、“何か”を重ね合わせるように。


執事はただ静かにその視線を受け止める。

鏡に残された幻影の残滓を、胸の奥でそっと鎮めながら。


(……まだだ。まだ、考えるには材料が足りなさすぎる)


今はただ――

“禁書”のもとへ向かうのみ。


彼は微かに目元を伏せる。

だが、その唇には変わらぬ整った微笑が浮かんでいた。


「そーだ!」


くるりと踵を返したモモが、満面の笑みを浮かべて言う。


「――湯あみ、手伝ってね♡」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ