3執事とユリウス
「……またあなた宛てのもの?」
女中が抱える手紙の束をちらりと見やり、わたくしは皮肉気に呟いた。
――赤い封蝋に金の印。求婚の文、舞踏会の誘い、さまざまな女の情熱が香水と共に押し寄せてくる。
「そうかもしれませんが」
執事はまったく意に介していないような声音で、柔らかく微笑んだ。
その表情がまた、腹立たしいほどに美しい。
「……いつもそうね」
「そういえばカーチャ様、些末な件ではございますが――」
「些末な件?」
「ユリウス殿下が、謁見を希望されております」
ユリウス・フォン・エーレンベルク。
皇族に連なる血筋ながら、現皇帝の甥にあたる立場であり、次代の皇帝候補として最も有力視されている若き貴公子だ。
帝王学を修め、政軍両面において既に確かな実績を積んでおり、今や「次代の中興の祖」として民からの支持も篤い。
些末、などと笑って流すような相手ではない。
なにより彼は――執事を不審視している。
その日の午後、ユリウス殿下の招きに応じて、わたくしは彼の屋敷を訪れることになった。
春の薔薇が咲き誇る庭園。
その中央に座す青年は、陽光を受けて輝く金の髪と、氷のように澄んだ青の瞳を持っていた。
緋の刺繍を施した白の礼服は無駄なく整い、そこに座するだけで空気を支配する――ユリウス・フォン・エーレンベルク殿下。
「相変わらずお美しいですね、カーチャ様」
「ユリウス殿下もお変わりなく」
形式ばった挨拶を交わしながら、わたくしは傍らに控える執事の気配を感じていた。
ユリウスもまた、彼を見ていた。まるで何かを測るように、じっと。
「……どうにも、謎めいた方ですね。あなたの執事殿は」
「そうかしら?」
「王都では、彼の噂を耳にすることも少なくない。
才も、美貌も、忠誠心も――出来すぎていると。まるで、作られたように」
彼の声は静かだが、その瞳は明確に“疑っている”色をしていた。
彼は敵ではない。けれど、味方とも言えない。
彼のような者が、いずれこの国の中枢に立つのだろう。
その目に、執事はどう映っているのか。
「わたくしにとって必要なのは、真実より誠実です」
「……なるほど」
ユリウスが一度まばたきをし、口元をわずかに引き締めた。
その横で、執事は微笑を崩さない。
誰よりも美しく、誰よりも冷たいその笑みのまま――。
「カーチャ様、一つお願いがありまして」
ユリウスは紅茶を一口含み、静かに視線を上げた。
「――私の領地のとある場所にて、慰問をお願いできませんか」
「慰問……ですの?」
「はい。旧鉱区にある集落でして。事故が重なり、住民の心が少し荒れているようなのです。
“侯爵家の娘が声をかけた”という事実だけでも、支えになるかと」
「わたくしが……?」
カーチャは紅茶を置き、目を細めてユリウスを見た。
その瞳は、まるで真意を測ろうとするかのように。
「もちろん、強制ではありません。ですが……」
彼はひと呼吸置き、
「“カーチャ様のお声には、特別な力がある”と、一部で噂されています」
と、柔らかく微笑んだ。
「ありがたいのですけれども、実は今――歌を禁じられておりますの」
カーチャは静かに答えた。
ユリウスが少しだけ目を見開いた。
「それは……なぜでしょう?」
「おこがましい事なのですが……わたくしの歌が、人の心を揺らすことがあるからです」
その声音は淡々としていたが、どこか翳りがある。
「以前、政敵の心を動かし、和解の兆しが生まれかけたことがありました。
けれど、それが“過剰な影響力”と受け取られては……父が望まぬ形で利用される可能性がございます。
ですから、“その力”を封じることにしたのです」
ユリウスは短く息を呑んだ。
そして――隣に立つ執事の指が、ほんのわずか動いたのをカーチャは感じ取った。