15執事と舞踏会
執事が手で制そうとした瞬間、
「……ヴァルター卿」
カーチャの声が、澄んだ水のように響いた。
動揺も困惑もない、ただ毅然と。
「ご厚意はありがたく存じます。
ですが、わたくし――“初対面の方”の、そのようなご縁をお受けするつもりはございません」
その瞬間、ヴァルターの微笑が、ふと止まった。
それでも彼は、己の敗北を悟った者の顔ではなかった。
どこか嬉しそうに、彼は微笑をたたえた。
「……すまない。
無礼を詫びよう。これから少しずつ、信頼を重ねられるよう努める。
どうか、見捨てずにいてほしい」
その表情の柔らかさに、周囲の貴婦人たちから悲鳴があがる。
「なにあれ、やさしい……」「あんな顔されたら……」
「むしろカーチャ様がうらやましい……!」
彼の美貌から放たれるまがまがしいほどの魅力は、今この場においてすら、他のすべてを圧倒していた。
そして――
「何の騒ぎかな?」
滑らかな声と共に、別の男が現れる。
「……貴方が、ユリウス殿下か」
ヴァルターはわずかに膝を折り、礼を示した。
軽口でも挑発でもなく、それは敬意のにじむ挨拶だった。
「僭越ながら、噂は耳にしております。
ご登壇を目にして……納得いたしましたよ」
ユリウスは唇をわずかに歪める。
その男が放つ妖艶なる気配に、心を撫でられたことを悟りながらも、
そこに込められた色の質――“敬意”を正しく読み取った。
「それは光栄だ。
……まさか、君のような男から、そのような言葉をもらえるとは」
「敬意には敬意を。吾は、己の信念で立つ者が好きだ」
ヴァルターの声音は低く、どこか愉悦を含んでいる。
美貌など無用とすら思えるほどに、彼の言葉には芯があった。
それでも、自然と放たれる魅了の余波は、甘やかな香のようにユリウスの内をかすめる。
「……だが、優しさの面を纏った猛獣ほど、扱いに困るものだ」
「吾が猛獣と? ククク……直球ですね、殿下」
その笑みには、逆らいがたい色気と、心底楽しげな響きがあった。
まるで言葉を獲物に絡め取る、猛き獣の戯れのように。
「まさか、そこまで見抜かれるとは……
都に来てからというもの、視線の薄い者ばかりで退屈しておりました。
ようやく“眼のある方”に出会えたようだ」
「直球なのはお互い様だろう」
ユリウスは涼やかにそう返しつつも、そのまなざしは一瞬たりとも油断していなかった。
この男の放つものは、執事よりも明確に意識され、意図的に制御されている。
ゆえに、より厄介だ――そう見抜いていた。
「……だが、これ以上、騒ぎを起こさぬよう願いたい。
ここはまだ、舞踏会の最中だ」
その声音に、わずかな牽制と苦味が混じる。
ヴァルターは肩をすくめ、軽く頭を垂れた。
「御意。殿下の場を乱すつもりはございません。
今宵はあくまで、美しいものを愛でに来たまで」
その態度は礼節に満ちておりながら、どこか愉快げでもあった。
まるで「猛獣であること」は否定せず、むしろ肯定しているかのように――。




