変身令息、ファブレガス
恐らく身長190cmに届こうとする巨躯の聖騎士へ、160cmあるかないかの青年が襲いかかる。
魔法があるこの世界では珍しい事ではない。
練られた身体強化魔法は体格差を覆すことが出来ることがあるからだ。
それは練度に差がある前提での話で、同程度、若しくは近いものだと当然大きければ大きいほど強い。
しかし聖騎士とは教会兵士のエリートであり、練度は当然高い。
リアンの拳が届いてはいるが、鎧や剣で受けられてダメージは通らない。
聖騎士も斬り飛ばすつもりはなく剣の腹で攻撃しているので致命症にはならないが、一方的にやられているといっていい状況になっていた。
「おや、痛みを教えて頂けるのではなかったのですかな。」
『煽られてるよー、リアンちゃん。」
「うるさいぞ。」
リアンは息を吐きながら右手に魔力を練って行く。
ファブレガス家は剣を持たないが、別に素手で戦う事はしない。
練り上げた魔力を押し固めて武器とする、それがファブレガス家の得意とする魔法だ。
「魔法剣…非効率な。」
初めて言葉を発した聖騎士の台詞が語る様に、本来剣として使えるほどの密度の魔力を発現するのであれば、そのまま放った方が強い。
しかし、ファブレガス家はその技術を代々磨き続けて来ており、少し集中するだけで作ることを可能になっており、それはもうお家芸とも言える程で代名詞となっている。
磨かれた武術も魔法剣を軸に作られており、素手の時の比にはならない。
『おお、中々の魔力じゃないか。』
それでも。
女であること、小柄であることがリアンの剣の冴えを鈍らせる。
体格的、筋力的な男女差。
リーチが違う、パワーが違う。
魔法でさえ自身に使うことを得意とする男と、他者へ使うことを得意とする女で分野が違う。
魔法剣も身体強化魔法も家に伝わる武術すらも彼女が、女性が扱う様には出来ていない。
もし解き放つ様な魔法を今と同じ熱意で収めて居たならば、比類なき実力を持って居たかもしれないのに。
彼女はそれを選ばなかった。
「あぁあ!」
ぶん殴る、そう決めた。
ファブレガス家の者として、そう決めたなら、ぶん殴る。
しかし、不向きな鍛錬を積んだ彼女に費やした膨大な時間が微笑む事はない。
聖騎士は手加減している。
刃もまだ立ててはいない。
それでもリアンを振り払うには十分だ。
「…もういいよ。」
ケガを治さずに隠し通す根性はあっても、自分の頼みで人が傷つくのには耐えられない。
少年がその様に呟くと、リアンは少し笑った。
「黙って見ていろ。」
聖騎士は感心していた。
職務として信仰を守るために司祭を守っているが、この爺さんの在り方は好ましく思ってはいない。
それよりも、武に向かない小柄なこの身体で、驚異的な技術と拙い筋力で向かってくる目の前の男に敬意を持った。
「やめよ、もう実力は分かった。
体格が違いすぎる。
確かにお前の技術は素晴らしい。
兵士を1人でやれたのも納得がいく。
しかしまだ私には届かない、未来では越えられる可能性はあるのだ。
無駄に命を使うな。
司祭殿には私から申しつける。
私も医療の為に子を犠牲にする事は好まん。
だから退け。」
「ふざけんなよ…。」
『ねぇ、ざけんなよってね。
ちょっとカッコいいからってさ、僕のリアンナを痛めつけやがって。』
誰がお前のリアンナだ。
クソ、何なんだコイツは、本当に。
『ねぇ、リアンナ。
僕に身体を貸してよ。
アイツをぶっ飛ばしてやるから。』
「ふざけるな、どいつもこいつも。」
『貸してよ。
身体は魂の器。
僕の魂を君の身体に写す。
そうすると、どうなると思う?
なんと!君の見た目は僕になるのさ。』
「気持ち悪いことを言うな。」
『いいからいいから、一回やったら癖になるから。』
「やめろ、如何わしい言い方をするな。
クソ、馬鹿らしい。…良いぞ、好きに使え。
お前に貸してやる。」
『サンキュー!
変!
身!
なんてね。』
◆
見た目には何の変化も起こらない。
身体は魂の器ではなかったのか。
元と同じ黒髪の細身の身体。
不機嫌そうな顔。
しかし確実に起きている、変化が。
女性にしては筋張っている腕にはっきりと筋肉が現れ、肩が張り服がキツく感じる。
しかしそんなもの、魔法剣が巨大になって暴れているのに比べたら些細な事だ。
「うぉ、あ、そうか、こんな感じなのか。」
「何をしている。」
「少しだけ待ってくれよ、カッコマン。」
見るからに抑え込めていない巨大な剣は、徐々に先程までの様に押し固められて行く。
「う、お、あ、ははははははは!
そうか、こんなにも違うのか。」
『…何故だ?
何故、僕の身体に変身したのに、リアンナが動かしていられるんだ?』
「…知らねぇよ。
はっ、そうか、こうか、ははは、慣れて来た!
…男の身体ってヤツにな。」
外からはっきりと見え、男女差が顕著に出てしまう首を隠す様につけて居たスカーフをちぎり取り、投げ捨てる。
「さぁ、第二ラウンドだぜ聖騎士。
俺は、俺は、リアン・ファブレガスだ。」
獰猛な表情、強い瞳、元々彼女が持っていたそれらが噛み合う。
黒に銀糸で縫われた模様のスカーフが地面に落ちると同時に、「彼」は思い描いた通りに、もしも自分が男だったらと、そう想像してきた通りに魔法剣を振り、聖騎士の剣を腕ごと斬り飛ばした。