第8話「セレクションの日」
──これは、俺の“戦い”の始まりだ。
朝の光が差し込むダイニング。
父は静かにトーストを焼き、俺のためにいつもより柔らかめのスクランブルエッグを用意していた。
「今日は本番だな、準備はいいか?」
俺は小さな両手でフォークを持ち、無言でうなずいた。
2歳児の身体には“緊張”という表情は出にくい。けれど、父には伝わったようだ。
「無理はするな。でも、お前のすべてを見せてこい」
その言葉と一緒に、母がやってきた。
彼女の手には、小さな布のお守りが握られていた。
「これ、お母さんが作ったの。怪我しないようにって……ね」
思わず、胸の奥が温かくなる。
それをポケットにしまう俺を見て、母は笑ってくれた。
「いってらっしゃい、天才くん」
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会場は前回と同じ人工芝グラウンド。
ただし今日は、全国から集まった選ばれしキッズたちが集結していた。
年齢は4歳から6歳。俺が最年少だ。
明らかに「場違い」な存在として、視線が突き刺さる。
「え? 赤ちゃんじゃん」「え、マジで出るの?」
ざわめき。好奇心。そして侮り。
だが──それでいい。影の実力者は、見た目で勝負しない。
スタッフの案内で整列。名前と年齢が呼ばれるたびに、保護者たちがざわつく。
だがコーチの一人が「特別推薦枠」と説明し、事態は落ち着いた。
そして、セレクションは静かに始まった。
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最初の課題は「基礎技術チェック」。
ドリブル、ボールリフティング、パスの正確性。
ここで“見せる”必要がある。
俺は足元の感覚に全集中した。
1メートルもないドリブルコースを、極端な低重心で駆け抜け、左右の足を自在に使ってボールを運ぶ。
リフティングは、2歳児にしては異常な精度。
膝下の短い脚でボールを浮かせ続けるのは至難だが、俺は感覚でカバーしていた。
次第に、会場の空気が変わる。
笑っていたコーチが真顔に変わり、スタッフがメモを取り始める。
──いいぞ。目論見通りだ。
続くパスチェックでは、壁に向かって正確な反射パスを繰り返し、距離・角度・テンポを調整してみせた。
「……信じられん。こんな幼児、見たことないぞ」
誰かがつぶやいた。
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次のメニューは「ミニゲーム」。
5人1組で3対3の形式。年上の選手と混ざってプレーする。
この局面こそ、“頭脳”の出番だった。
相手の視野、動きのクセ、ボールが来るタイミング。すべてを先読みしてポジショニングする。
味方のパスが通る。
相手が対応しきれず、俺はゴール前で冷静に左足を振った。
──ゴール。
観客席がどよめく。
「マジか……」「まぐれじゃねぇぞ、今の」
ミニゲームで俺は2ゴール1アシストを記録。
だがフィジカルの面では限界も見え始めていた。
体重差、体格差。タックルで押し込まれ、転ぶシーンもあった。
けれど、すぐ立ち上がり、顔を上げた。
それを見て、審査員の目が変わった。
「気持ちも……強いんだな」
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セレクションが終わったあと、コーチ陣はすぐにミーティングを始めた。
「実力だけなら……間違いなく合格ラインだ」
「でも年齢が。2歳でチームに入れるのはリスクが高い」
「特別育成枠として、隔週練習から始めるのはどうだ?」
「保護者との面談を重ねて判断すべきだ」
彼らの議論は、熱を帯びていた。
一方、俺は少し離れたベンチで水を飲んでいた。
父がタオルを持って駆け寄ってくる。
「やりきったな。すげえよ、お前は」
俺はタオルで汗を拭かれながら、小さくうなずいた。
結果はその場では発表されなかった。
翌週の連絡で、「継続観察対象」として特別枠に登録されることになった。
合格ではない。けれど、“可能性”を認められた証だ。
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帰り道。車の中で父がぽつりと言った。
「プロってのは、たぶん……こういうやつがなるんだろうな」
俺は窓の外を見ながら、決意を新たにした。
──このままじゃ終わらせない。
俺の物語は、始まったばかりだ。
次は、チーム内で“ナンバーワン”を証明する番だ。
影の実力者として、静かに、着実に。