第7話「ジュニアチームのスカウト」
──父との特訓は、俺の中の何かを確実に変えつつあった。
公園の一角、朝の早い時間。
まだ誰もいない滑り台のそばに、俺たちの“練習場”はあった。
「じゃあ、次はダイレクトで返す練習な。無理するなよ」
父は笑う。
けれど、その顔にはかつての“プロの顔”が戻っていた。
俺は2歳児の脚で、できる限りのプレーを返す。
ワンタッチ、ツータッチ。左右へのトラップ。タイミングを見たフェイント。
俺にとっては当たり前の技術でも、周囲の人間から見れば「異常」だろう。
そして実際、俺たちの練習を目にする人は徐々に増えていた。
通りすがりの親子。犬の散歩の老人。保育園帰りの先生たち。
だが──その中に、特別な“目”があった。
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「おい、今の……見たか?」
男の声がした。
スポーツウェアに身を包んだ30代後半ほどの男。
少し日焼けした肌に、運動靴。何かのコーチだとすぐにわかる。
「まさか……あの子、2歳?」
「はい。うちの息子ですけど……何か?」
父は少し警戒気味に答える。
だが男は驚きながらも、真剣な目で俺を見つめていた。
「信じられない。あのトラップ、普通じゃできないですよ。…どこかのクラブに入ってるんですか?」
「いえ、まだそんな……。まだ2歳ですから」
「ああ、そうですよね……でも、もったいないな。うちのチーム、今ちょうどキッズ年代の選手を探してて」
男が名乗る。
彼は市内でも有名なジュニアチーム「FCブレイザーズ」の育成コーチだった。
「本当に、すごい才能です。ぜひ一度、体験練習に来てもらえませんか?」
父は言葉を失ったまま、俺の方を見る。
俺は……ゆっくりとうなずいた。
俺の中では、すでに決まっていた。
2歳だろうが関係ない。俺はこの身体で、プロになる。
これはその第一歩だ。
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家に帰ってからの話し合いは、少しだけ揉めた。
「まだ2歳よ? 本気で言ってるの? ひざだって弱いし、バランスも不安定なのよ?」
母は心配そうに言う。
当然だ。ごく普通の親なら、当たり前の反応だ。
「でも、あいつは……ただの“2歳”じゃない。お前もわかってるだろ?」
父の声には確信があった。
母はしばらく沈黙したあと、俺を見た。
その目は優しく、でも揺れていた。
「……あなたは、本当に、サッカーがやりたいの?」
俺は何も言えない。
まだ“言葉”を持たないから。
けれど──プレーなら、できる。
リビングのカーペットに落ちていたゴムボールを、俺は拾った。
母の目の前で、左足でトラップ。右足に切り替え、父に向けて正確なパスを放つ。
──これが、俺の答えだ。
母は目を見開いたまま、少し泣き笑いになった。
「……わかった。やってみましょ」
その一言が、俺の人生を次のステージへと押し出した。
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体験練習当日。
会場は郊外の広い人工芝フィールド。小学生から園児まで、50人以上の子どもたちが参加していた。
俺の姿を見て、当然ざわつく。
「ねぇ、あの子ちっちゃくない?」「え、2歳?うそでしょ?」
だが俺は気にしない。
影の実力者とは、そういうものだ。
──舐められた分だけ、沈黙で返す。
ウォーミングアップ、ボールフィーリング、1対1、パスドリル。
すべてにおいて、俺は“異物”として輝いた。
プレーで年齢をねじ伏せた。
途中、担当コーチが思わず父に話しかける。
「……すごいですね。本当に、2歳とは思えない」
「ええ、俺もたまに信じられなくなります」
父は苦笑いしながらも、どこか誇らしげだった。
そして、練習の最後にコーチが言った。
「来週、正式なセレクションを行います。よろしければ……ぜひ、挑戦してください」
その瞬間、俺の心は静かに燃えていた。
──始まる。
本当の、“戦い”が。
プロへの道を、2歳児の脚で踏み出す。
その覚悟を、俺は影に隠して静かに握りしめていた。




