第5話「正体バレと、影の覚悟」
──保育園での“あの事件”から、数日が経った。
女の子をかばいながらトラップを決めた俺は、それ以降“ちょっと運動神経がいい子”という微妙な噂を背負うことになった。
影としては不本意だが、悪くないポジションだ。
目立ちすぎず、でも異彩を放つ。
“気づいた者だけが気づける”──それこそ、影の流儀。
しかし、そんな俺の平穏は、やがて訪れる嵐によって破られる。
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1. “影”に喰らいつく者
それはある、雨の月曜日。
園内の遊戯スペースで“的あて”の時間だった。
ボールを投げて、的に当てるという単純な遊び。
俺は当然、投げ方よりも“狙い”と“軌道”に意識を集中させていた。
普通の子がボールを上から放る中、俺は真横から軽くカーブをかけて的に当てていた。
すると──背後から声がした。
「風間くんって……ほんとに2歳なの?」
振り返ると、あすか先生が立っていた。
笑顔だが、目は笑っていない。
「反射神経、距離感、力加減。ぜんぶ2歳児の枠を超えてるよ。
ねえ、もしかしてさ……“見えてる”よね? ボールの軌道」
──ッ!
来たか。
この女、気づき始めている。
表面上は笑顔でも、その瞳はプロの目だった。
まるで獣のように、俺の動きを観察し、分析している。
俺は黙って、ボールを拾って見せた。
そして、次の的を狙う。
「それ、“足”で蹴ってごらん。できるんでしょ?」
まるで試すような、挑発的な声だった。
……ふっ。そういうことか。
この女、完全に“影”を見つけて、追ってきている。
──面白い。
その瞬間、俺の中で何かが決まった。
まだ表に出るつもりはなかったが、ここらで少し牙を見せてもいい。
足を構え、フォームを作る。
右足の甲で、ボールの中心をとらえる。
──ポン。
ボールは一直線に、的の中央に当たり、軽やかな音を立てた。
園児たちが「わああ」と声を上げた。
だが、その声よりも大きく響いたのは、あすか先生の低い呟きだった。
「……やっぱり、本物だ」
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2. 試される“覚悟”
それから数日間、俺に対するあすか先生の対応が一変した。
妙に距離が近く、目線もプロのコーチのような厳しさが混じっている。
遊びの時間に“わざと難しい動き”を含んだ課題を出してくるのも日常茶飯事になった。
さらに──
「風間くん、ちょっとこれ持って走ってみて」
渡されたのは、小さなリュックサック。
中にはビー玉が詰まっていた。
……負荷トレーニングかよ。
しかも、他の園児には渡されていない。明らかに俺だけ。
俺はリュックを背負い、何も言わずに走った。
……違和感はあったが、悪くなかった。
足が重くなることで、接地時間がわずかに伸び、フォームの修正に使える。
この女……やるじゃねぇか。
影の特訓メニュー【負荷走】の発展型として、かなり優秀だ。
だが問題は、彼女の“執着”の方だった。
保育時間外──
親が迎えに来るタイミング、俺は聞いてしまった。
「風間くん、すごい運動神経ですね。ほんとにプロの子って違いますね〜」
「いや……うち、まだ何も教えてないんですけどね。あれはたぶん、本人の……」
父の言葉に、あすか先生の顔が固まる。
「……まさか」
その“まさか”が何を意味するのか──俺には分かっていた。
あの女、気づいている。
これは“普通の才能”じゃない。もっと深く、もっと異質な何かだと。
次に動くのは、俺の番だ。
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3. 影の“告白”
それから数日後。
保育園が終わる頃、あすか先生が声をかけてきた。
「風間くん、ちょっとだけ、残ってくれる?」
……来たな。核心を突く時間だ。
静かな園庭。
夕日が差し込む窓。
他の子どもたちはすでに帰宅していた。
先生は言った。
「ねえ……正直に言って。君、“普通”じゃないよね?」
俺は黙った。
言葉を持たない2歳児として、反論も釈明もできない。
だが、目を見て伝えることはできる。
先生の目をまっすぐに見返した。
そして──
ポン、と足でボールを跳ね上げ、
そのままリフティングを5回、左右の足で繰り返してみせた。
2歳児ではありえない精度で、音を立てずに。
……沈黙。
先生は膝に手をつき、顔を覆った。
「……どうなってるの……こんなこと、あるわけない……」
そのとき俺は、初めて“影の自覚”を持った。
もう、隠して生きるだけでは足りない。
俺はこの世界で、再び立ち上がるつもりだ。
──前世で手にできなかったものを、この足で掴み取るために。
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4. 決意の始まり
その日以降、あすか先生の態度は変わった。
何も聞いてこなくなった。
無理な試験もしなくなった。
だが、彼女の目には“期待”が宿っていた。
まるで、何かの可能性を見た者の目だ。
父も気づいている。
母も、うすうす感じている。
そして、俺自身も。
この赤子の肉体に眠るのは、“やり直すためのチャンス”だ。
──Bチームだった俺が、プロとして世界に立つための、唯一の道。
もう、迷いはない。
影が歩む道は、決して光に照らされるものではない。
だが、俺は進む。前世を越えるために。
そして──“世界”を手にする、その瞬間まで。
この物語はまだ序章にすぎない。
赤子の皮をかぶった、影の実力者の覚醒は、これからだ──。