その願いは徒花のようにep5
穂波さんに一言伝えてから私たちは帰路に立ちました。
流石に日も暮れかけて薄暮の時間になります。部屋を出て以降フクロウのぬいぐるみにアクションはありませんでした。
帰路を一歩ずつ歩いて事務所へと向かいます。今日は事務所には社長も調さんもおり、私たちの帰りを待っているでしょう。
このぬいぐるみを今後どうするかを話し合わなければいけないと考えていると隣を歩いているゲティさんからの声がしました。
「私は思ったんだよ。あのフクロウが本当に空穂を殺そうとしているのかって」
「どういうことですか?」
「部屋に入って部屋が綺麗だぅたのもあのフクロウが外部のものをあの部屋に入れなかったのかもしれない」
「虫とか泥棒とかをですか?」
「ああ。あのフクロウはずっと部屋を守っていた。だから私達の事を侵入者だと思って拒もうとした。そしてあの部屋の持ち主である空穂の名前に反応した」
「でも殺すって言っていましたわ」
ゲティさんは立ち止まります。それに気づくことが出来ず私は数歩進みますが足音が自分ひとりのものしか聞こえないことでゲティさんが後を付いてきていないことがわかりました。
私が振り向くとゲティさんは真っ直ぐと此方を見つめていました。
「どうかしました?」
「あのさ、酸塊には酷いことに感じるかもしれないことを言ってもいいか?」
「勿論。貴方のことを信用してますわ」
敢えて私が傷つくことを聞く理由はありません。一概に否定しないのはゲティさんのことを知っているからでしょう。彼女は言葉遣いが荒いことはありますがそれは誰かを傷つけるためではありません。芯の所では周りに気を使い、周りを見ています。その人の内に眠る触れてはならない所には干渉してこない。
そんな彼女が私に断りを入れてまで伝えたいことは、きっと私一人では気付くことのできない大切なことなのでしょう。
「信用か。重いな」
「実は私、重い女ですの」
「知ってるよ。人からの愛を知らない重い女だって」
・
私は幼い頃からこの体質でした。
呪物に触れずとも人間は誰かを妬み、嫉み、恨む。それが呪いなのです。幼い頃の私は自分の力を制御できずに色々な人を傷つけてきました。私に触れると怪我をすると言われて育ってきており、最初は庇ってくれた親も段々と私に対して余所余所しくなっていきました。最後に親から抱きしめられた記憶もなければ触られた記憶もありません。
恐ろしいものを見る目で見られることもありました。親が気づかない内に私が近づくと必要以上に怖がられてしまいます。誰にも触れず、干渉されることのないように生きることを強いられる運命だったのです。
学校に行っても同じ。中のいい人を作れば女子特有のスキンシップが起こります。私は敢えて嫌われるような態度を取り、クラスからも疎外され学園生活を終えました。自分にこんな力がなければと普通の学生を羨みながら、恨みながら。
幸いだったのは私は神様に見捨てられていなかったことです。行く当てもなく、やることもなく、ただ死を待つ私は飲まず食わずで街を歩いていました。そんなことをすれば立ち眩みを起こすのは当然です。倒れた私を支えてくれたのは社長でした。
社長のことを知らなかった私はやってしまったと青ざめていたと思います。触れるだけではなく、長時間の接触。こんなに長い接触は今まで無く、この人が死んでしまうと思ったのです。
社長は私の動揺を感じ取り話を聞いてくれました。私は窶れ、普通の人生を諦めていたので信じられなくてもいいという気持ちで社長に全て話しました。誰かに触れると相手を不幸にしてしまうこと。そんな私が長時間触れてしまったことで貴方に大きな不幸が起こること。包み隠さず話しました。
その話を聞いた社長は「セクハラとか言わないでね」と私の手を握ってくれました。今の話を聞いて私に触れてくる人は誰一人としていなかったのです。人から触れられる嬉しさと、この人に今後降りかかるであろう不幸への恐怖でどのような感情だったかは思い出せません。
「僕は魔術師さ。君の呪いは偶然にも僕には効かない。安心していいよ。僕は死なないし、君も死なない。その調子じゃ何も無いんでしょ?僕のところ来なよ。雇ってあげる」
社長の言葉の意味が最初は分かりませんでした。普通ならば意味不明な戯言を言っていると一蹴するでしょう。でも私は藁にもすがる思いで社長の手を取りました。
今の私が居るのは社長のおかげ。私に優しくしてくれる事務所の皆は私の呪いを理解してくれています。理解者が居なかった私の人生は、やっと歩み始めているのです。
・
「愛を知らない……」
「語弊があるかも知れないからちゃんと言っておくが、うちの事務所の人間はお前の事をちゃんと好いている」
「ええ。ちゃんと感じていますわ」
「私が言いたいのは誰かが守ってくれるという親の愛を知らないって話だ」
確かに親の愛を感じたことはありません。物心ついた時にはひとりぼっちでしたから。
「だから今回の件、お前には分からなかったんだ」
「何がですか?」
「鏑木母からの鏑木空穂への愛を」
ゲティさんは私には触れません。それでも近づいて来て目を見て話すことは出来ます。ゲティさんと私の身長差から見下ろす形にはなりますが、その綺麗な眼は私の目をしっかりと見つめていました。
「鏑木母はフクロウのぬいぐるみに鏑木空穂を守って欲しいと願った。鏑木空穂も守ってほしいと願った。あのフクロウのぬいぐるみは守ってほしいという願いが呪いとなってしまったのかも知れない」
「願いが呪いに……?そういう例も確かにありますが」
「現に部屋に入ろうとした時に悪寒を感じた。でも部屋に入って来た私たちが鏑木の名前を出しても攻撃はしてこず、反応を示すだけだった。きっとあのフクロウは空穂を守ってほしいという願い通りに空穂の部屋を守っていたのだと思う」
「それではどうして呪いになってしまったのですか?」
「分からないし憶測の話だが、鏑木空穂が死んだからだ。守って欲しいという願いが叶わないものとなり、それは呪縛として呪いに変化した」
ゲティさんの言うことは突拍子もない事だと斬り伏せることも出来ます。
穂波さんと空穂さんの願いで部屋を守っていたフクロウのぬいぐるみが空穂さんが死んだことによって呪いに変化した。人の愛情というのは呪いになるほどに大きくて重いものなのでしょうか。
「じゃあ殺すって言ってたのは?」
「それは本当に分からん」
目をそらし、私の横を通過してそのまま歩いていくゲティさん。その後を今度は私が追いかけるように歩いていきます。
守るはずの対象が殺意の対象へと変わる理由が全くわからないのです。長期間閉じ込められた恨みでしょうか。それとも空穂さんが言わないだけで何かをしていたのでしょうか。
「直接聞ければ悩まなくても済むんだけどな」
「ぬいぐるみに口無しですわね」
「死人はよく喋るのにな」
そんな冗談を言い合いながら事務所へと向かって歩きます。
・
事務所に戻ってきた私たちはフクロウのぬいぐるみを社長さんと調さんに見せました。「汚いね。害もないなら洗っちゃおうよ」と呪物に対して普通は言わないようなことを言ってのけました。
そのままぬいぐるみを持って何故か調さんの部屋に行き、お風呂場に水を溜めてその中にフクロウのぬいぐるみを突っ込みました。石鹸や洗剤などで乱雑に洗う様は、先程までのフクロウのぬいぐるみの動きを見ていた私達からは信じられませんでした。
「うわ、このフクロウ結構頑丈に作られてる。これで後頭部とか殴ったら人殺せそう」
物騒なことを言いながらお湯をかけて血を洗い流していきます。乾燥しているため少しずつほぐすように。
「酸塊さんたちが帰ってくるまでに考えてたんだけどさ、直接このフクロウに聞けばいいかなって」
「は?」
唐突に話し始めた社長さんに対して怪訝な声を漏らすゲティさん。ゴシゴシと力強く洗いながら話すような内容でも無いと思いますが、社長からすれば呪物相手ならば特に被害を受けないため脅威でもないのでしょう。
「なんか最近魔術が上達してさ、自分以外の者にも使えるようになったみたいなんだよね。多分この街の霊脈に触れ続けてるから、こう、すごい感じになったんだと思う」
「なんだその適当な情報は」
「あー、確かお前のルーン魔術って自分にしか使えないんだったか?」
「詳しくは自分を守るためだね。そのはずだったんだけど空穂ちゃんに効果があったり出張先でも自然に使えたりしたからさ。もしかしたらいけるかな?って。出来なくっても損する事じゃないから試してみようって考えてたんだよ」
「ここから先のことは何も考えていなかったですし、社長さんにお任せしますわ」
「酸塊はコイツに甘すぎるぞ」
「甘やかすと碌な大人にならねーぞ」
「いや、僕年上だし社長なんだけど」
湯船には塊になった血が浮いていますが、フクロウのぬいぐるみはだいぶ綺麗になりました。ふわふわで膨らんでいた毛は水に濡れて大分スリムになりましたね。威嚇をしているアフリカオオコノハズクみたいで可愛く見えます。
それよりも、調さんは湯船がこんな状態になってしまっても大丈夫なのでしょうか。後々になって後悔すると思いますが。
社長さんはフクロウのぬいぐるみを乾燥機の中に放り込んで乾燥を始めました。性能がいいものなので10分足らずで乾燥が終わるらしく、私達は事務所で待つことになりました。
3人で他愛もない話をすることで時間を潰し、社長が戻ってくるのを待ちます。
社長が何時も座っている机の側にはあいも変わらず私が送った段ボールが積まれており、開けた形跡もありません。呪い以外にはあまり強くない社長の魔術のために各地で集めたものなので早く確認して欲しいところです。この件が解決したら一緒に開封することにしましょう。
「お待たせー」
事務所の扉が開き、フクロウのぬいぐるみを抱えた社長さんが入ってきます。血によって固まっていた部分が解され、ふわふわとした毛並みに石鹸の匂いが香ってくるぬいぐるみは大変愛らしいです。空穂さんが可愛がっていたのもわかりますし、この状態では呪いのぬいぐるみには見えません。
「それで直接聞くってどうするんだよ」
「ルーン魔術を使う。もしかしたら動くかもしれない」
「なんだそりゃ」
「はぁ。何かあった時のために私が悪魔を使役出来るように魔法陣を書いておく。丁度契約している悪魔を入れる媒体を探していたんだ。呪いの人形なら持って来いだな」
社長さんは魔力ペンを使うのはしっていますが、ゲティさんがぬいぐるみを媒体にするところは初めて見ます。何をするのか観察していると、事務所のコピー機から大きめの紙を持ってきました。そこにマジックを使って魔法陣を書き込み、自分の血を垂らしました。
「簡易的だがこれで何とかなるはずだ。この魔方陣の上にぬいぐるみを置いてくれ。何かあったらこの魔方陣を通してそのぬいぐるみから悪魔を使役する」
社長さんはぬいぐるみへの書き込みが終わったのか魔方陣の中心にぬいぐるみを置きます。そしてぬいぐるみの頭頂部にゲティさんが血を一滴。
「せっかく洗ったのに」
「そういう時じゃないだろ。時と場合と考えろ」
「それはゲティが正しいな」
私も何も言いませんがゲティさんが正しいと思います。社長さんの気持ちも分からなくはないですが、今この場で口にすることではないのは確かです。
「それじゃ何をするか分からないが、やってみな。ルーン魔術師さん」
「任せて。コミュニケーションの意味を持つ『ᚨ(アンサズ)』を刻んだ。ついでに動けないように『I』もね。うまく行けばコミュニケーションが取れるはず」
社長さんはフクロウに触れ、ゆっくりと魔力を流します。
空穂さんの部屋で動いたのを最後に、このフクロウは微塵も動きを見せませんでした。
社長さんの魔力がルーン文字と反応しその効力が発揮されるとフクロウのぬいぐるみの目はゆっくりと閉じ、そして勢いよく開きました。
後ろに立っている社長さんとゲティさんは気付かないと思いますが間違いなくこのフクロウは動きました。
「社長さん!フクロウが瞬きしましたわ!」
「身体は動いてないが確かに目が動いたぞ!」
社長さんそっちのけで盛り上がる私と調さん。社長の魔術がしっかりと発動するところはあまり見たことがなく、珍しく人の役に立っている社長を見て興奮してしまいました。
「え、本当に動いたの?声が聞こえる程度だと思ったんだけどな」
「元々このフクロウは動くと行っただろう?」
「なるほどね」
社長さんの想定外だったことはこの際置いておきます。社長さんの魔術によって動いたフクロウは次に魔方陣の上で羽を動かしました。飛ぶためではなく、何かを確認するように。
そして、この場には存在しない声色が私たちの耳へと聞こえました。
『空穂に会わせるというから黙っていたが、何時になったら会わせてくれるのだ?』
目の前のフクロウのぬいぐるみの小さな口が音に合わせて動いているのを私はこの目で確認しました。




