その願いは徒花のようにep2
夕ご飯を食べている人も多いであろう時間。夜はまだ本領を見せず、昼間との入れ替わりが完全には出来ていない。廊下の暑さはどうにもならず、事務所から少し出るだけでも涼しい部屋が恋しくなる。
空調は涼しいよりも不快に感じない温度にしているはずなのだが、暑い外から戻るととても涼しく感じる。
最近の夏がどれほど暑いのか、身を持って体感しているとも言えた。
夏には怖い話で背筋を冷やすというが、うちの事務所には幽霊がいるけど背筋が冷えるような経験はない。
それよりも夏場の電気代を考えるほうが寒気を覚えるくらいだ。
そんな僕らの感情をあずかり知らぬ調さんの部屋をノックする。
隣の事務所にいたのにも関わらず物音一つしないから出かけていると思っていたが、今日一日部屋にいただけだった出不精の男を僕は呼び出す。
「調さーん」
1度目のインターホンでは反応は何もない。寝ているのか、集中をしているのか、居留守を決め込むつもりなのか。
3度ほどインターホンとノックで呼び続けた結果、奥の方から物音がした数秒後にガチャリと音を立てて扉が開いた。
「なんだよ、うるせーな」
「仕事の相談です。事務所まで来てください」
威圧的な調さんからの質問に答えたのは酸塊さんだった。僕だけしかいないと思っていたであろう調さんは、酸塊さんの方を見て驚いた表情を見せたあと申し訳なさそうに「何の要件だ?」と僕へと言う。
なんというか、対応の差が多く気はないだろうか。常日頃から調さんは女性相手に遠慮をしている。ゲティに対しては無遠慮で度々怒られているが他の女性相手には静かに対応することが多い。
聞いた所に寄ると女性が苦手と言うわけではないらしい。大学に行った時に協力している教授などから「最近は何をしても何かしらのハラスメントに障ってしまうことがある。極力接触は抑えている」「最近の子はおじさん扱いを直ぐしてきて辛い」など内に抱えたものを聞かされ続ける内に遠慮がちになってしまったみたいだ。
その割には空穂ちゃんたちと一緒にいることが多いようだが、幽霊相手にはハラスメントにならないと思っているのだろうか。1回相談窓口としてあの子たちに聞き取りをしたほうが良いかもしれない。
ただのオカルト大好きおじさんにとってあの2人、いやこの事務所は恰好の餌場なのだから。
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「すぐ行く。10分くらい待っててくれ」と言って部屋に戻り扉を閉めてしまった調さん。閉じられた扉の前で佇む僕と酸塊さん。閉め切られた廊下はサウナのように熱かった。水風呂なんて物は近くには無いため、僕らは調さんを事務所で待つことにする。
事務所に戻ると寒すぎず、暑くもないちょうどいい温度が僕を迎えてくれた。
そういえば、調さんの部屋が空いた時猛烈な冷気が僕の身体を通過した。出てきた調さんは夏の暑い時期だと言うのに長袖を羽織っていたし違和感がすごかった。夏がいくら暑いからと言っても強い冷房に当たり続けるのは健康に悪いだろう。流石に電気代は部屋ごと使用者が払っているためどうでもいいが健康だけはどうにもならない。
「調さん、厚着していましたわね」
僕と同じ事を酸塊さんも思ったみたいだ。廊下の暑さに対して厚着の人間を見たら誰だって疑問に思うし、それを突き詰めたいとも思うだろう。
「なんで厚着してたかわかる?」
「分かりませんわ」
「部屋も滅茶苦茶寒かったし、厚着するくらいならクーラーの温度上げればいいのにさ。電気代もかかるし何よりも体調に良くない」
「何か理由があるのでは?」
「あるかもしれないけど全く見当が付かないね。涼しい部屋に置いておかないといけないものを調さんが持っている可能性もあるけど……」
「この後来ますし、その時に聞きましょうか」
少し待てば調さんはこの部屋にやってくる。その時にでも何をしているのかを聞けばいいだろう。
特に会話もなく、事務所の中で調さんが来るのを待つ。酸塊さんもスマホをいじるわけでもなく、ソファにただ座り、微動だにせず待っている。
その姿を見ると今日も暑そうな恰好をしている。酸塊さんは大体何時も同じような服を着ているが、夏場でもタイツや太もも丈のソックスを履いたり、暑そうなファッションをしている。本人も趣味だと言っていたので余計な口出しをするつもりは毛頭ないが、見ているだけで暑いときもあるのだ。
「酸塊さんは暑くないの?今日も結構暑そうな恰好をしてるからさ」
「暑いですわ」
酸塊さんはあまり外に出ないため、肌は白く、僕と同じで体力もない。僕は外に出て色々回ったりする以上外に出ることは少なくないが、酸塊さんはあまり歩いて外へ行くことはない。だからこそ、自分の足で鏑木家へと行ったことが意外だったのだ。本人は見栄を張って「動けますわ」と言っているが、偶に動きがぎこちなくなるのが分かるため、沢山動くのは苦手なのだろう。
「それなのに今日は外に出たんだね。珍しい」
「女の子には色々あるんですの。それこそ近い年齢の女の子と一緒に歩いたのなんて数年ぶりでしたし」
酸塊さんは呪いの影響で人に触れられない。
そのせいで昔から誰かと一緒にいることはなかったみたいだ。僕と出会ったときも偶然の出来事だった。
ふらふらと歩いている女性を後ろから見て心配しながら横を通り過ぎようとした。辺りには殆ど人影も見えず、その道には通りすがる人は数人ほどいたが、目の前でふらついている女性の手助けをしようとする人は一人も居なかった。
僕が通り過ぎようとした時にその女性はよろけて倒れそうになった為、僕は手を出してその女性を受け止めた。
その時の酸塊さんの顔は忘れられないだろう。今みたいなニコニコした感じではなく、絶望の表情を浮かべていたのだから。恐らく、僕に接触したことで僕に呪いの影響が出て何か起こることを察してしまったのだろう。
結論をいえば僕は自分自身をルーン魔術で守っている為何も起こらなかった。
その時から僕たちの縁は始まった。
「そう。楽しかった?」
「ええ。この事務所に来てからは毎日楽しいですが、別の楽しさがありました」
「ならよかった。あの2人への呪いの影響は大丈夫?」
「多分ですが大丈夫だと思いますわ。空穂さんは言わずもがな死んでいるので呪いの影響は受けにくいと思いますし、愛美さんは呪いが通じるのかすら分かりません。完全に理知の外の存在ですので何もしないのが正しいのでしょう」
「来栖さんかー。最近なんかしてるっぽいけどね」
「私は知りませんわ」
「全部は、ね」
僕の返答に口を噤み、これ以上は何も話しませんと言う態度で目線を逸らす。
定期的に来栖さんの眼帯がしっかりと機能しているのかを確認している。眼帯には停止のルーン文字である『I』が刻まれているがそれの効力を上書きする必要もあるからだ。
僕の魔術は基本的には自分自身のためにしか使えない。自分の運命を引き寄せる魔術だと信じてきたし、先生からもそう教えてもらった。
ただ、最近は自分の拡大解釈ではどうにも分からない点が多すぎる。空穂ちゃんにお守りとして渡したルーン文字が機能していたことや、来栖さんの眼帯への魔術が機能していること。この2つは今の僕のためになっていると言えば聞こえはいいが、明らかに僕以外を対象としてルーン魔術が発動している。
この街に流れる龍脈を常に浴びている影響から魔術の質が変わった可能性もある。龍脈は川のように流れる事から僕の魔術も流れが変わったかもしれないため、近い内に調べる必要があるだろう。
「それにしてもそろそろ10分経つけど調さん来ないね」
「二度寝でもしているんでしょうか」
「信頼なさすぎるでしょ」
「信用はしていますのでどうかご容赦を」
ノックの音によって僕たちの談笑は打ち切られる。この時間に事務所に来る人間は限られるため、わざわさノックをする必要はないのだが誰が来たのか判断するのには最適だ。
ゲティはノックなどしないでそのまま入ってくることが多い。ノックをすることで調さんが来たと目で見えずとも分かるのだ。
「どうぞ」と声を掛けると、事務所の扉は開き、先程とは違い半袖にパンツという夏らしい姿で調さんは現れた。
「遅れてすまん」
「大丈夫だよ。さっきに比べたらずいぶん涼しそうな恰好をしてるね」
「部屋の外に出たらクソ暑くてな。着替えてたら遅くなった」
あのまま外に出てたら熱中症の危険もあるし、そもそもあの格好で長時間過ごすことなど出来ないだろう。
「どうしてあのような恰好を指定らしたんですか?」
「あー。個人的な依頼だ。守秘義務もあるから言えねーな」
僕たちは個人的な依頼、つまり事務所を通さない依頼も受け付けている。それぞれ別の分野での魔術師なので横のつながりは別々なのだ。
事務所に通して誰が対応するか判断せずとも個人的に来たら本人が解決すればいい。それが難しいのなら事務所の人の手を借りればいい。
例えば今回の来栖さんの件も依頼と言えば依頼だ。空穂ちゃんの呪いはなんなのかを調べてほしいという酸塊さんへの個人的なもの。報酬等は発生していないが仕事の一環と言えるだろう。
その場合は個人個人の契約のため、守秘義務で言えないこともある。調さんが誰から依頼を受けたのかも、どんな依頼かも僕たちには知る由もないのだ。
事務所に入ってきた調さんはソファーのもとに歩いてきた後、酸塊さんの対面に腰掛けた。
「そんで仕事の話ってなんだ?」
酸塊さんは今回何が起こっていたかを調さんに話した。その間、調さんは無駄な質問もせずにただ話を聞くことに努めていた。僕はこの話を聞くのは2度目だけど何か引っかかるところがあるのだ。
実際に自分の目で見ていないから何とも言えないが何かを見落としている。僕が直接行ければ良いのだが、死んだとはいえ女の子の部屋に僕が入って調査するのは憚られる。空穂ちゃん本人から何か言われたら普通にショックを受けてしまうだろう。その点は調さんも同じな為、現場へ行くことは出来ない。
つまり、酸塊さんと来栖さんと空穂ちゃんの3人で解決するしかないのだ。
「呪われたぬいぐるみねぇ。動いて呪われてるってアナベル人形か何かか?」
アナベル人形とはアメリカの博物館にある呪われた人形。人間に対して悪意ある行動や奇妙な動きなどを見せたことで呪われた人形と呼ばれている。映画などでも取り上げられることがあるため知っている人も多いだろう。
「付喪神かも知れないね」
100年使い続けられた者には魂が宿るとされる妖怪の一種だ。空穂ちゃんの持っているぬいぐるみが霊性を持つほどの長い期間使われていたとは考えられないため、僕は冗談として言葉を返したのだ。
「あれは、呪いを出すぬいぐるみでしたわ。部屋を開けた瞬間、とても大きな魔力を感じました。直接危害を加えるようなことはありませんでしたが、あの人形は空穂さんを狙う発言をしていましたし」
「それで今はどういう推察で話を進めてるんだ?」
「調さんは一人かくれんぼというものをご存じありませんか?」
酸塊さんの言葉に目を点にする調さん。そして俯いたと思えば肩を震わせて笑ってしまった。大声を出して笑うタイプではないのは分かっていたが、思ったよりも静かに笑うタイプだったようだ。
何故笑っているのか分からない酸塊さんは頬を膨らませている。こっちは真剣に考えているのにも関わらず目の前で笑われてしまっては当然だろう。
「どうして笑うんですの?」
「いやぁすまんすまん。面白い事言うからよ」
「面白い事?」
「先に聞くが、酸塊はそのぬいぐるみに一人かくれんぼが関わっていると考えているのか?」
「あくまで仮定ですわ。そうであるという確信もありませんし、違うという確信もありません。可能性があるなら調べる必要があるとも思っています」
「なら調べる手間が減ってよかったな」
少しだけ笑みを浮かべながら調さんは顔を上げた。




