夢見る人と現を見る霊ep3
「やっぱり少しだけ待っててくださいね。中片付けますので」
扉を開けて中に入った鏑木母は私たちを家の玄関に招き入れた後、そそくさと中へ入っていってしまいました。外で待たされないだけマシです。直射日光の熱を感じないだけで体感温度が変わるのを実感します。
いきなり家に訪ねたのは私たちの方なので鏑木母に迷惑をかけてしまっているのは大変申し訳なく思います。
「いえ、お気になさらないでください。此方もいきなり押しかけてご迷惑を……」
「空穂の事を思って来てくれた方を迷惑なんて思いませんよ」
そう言って微笑む姿は空穂さんにそっくりでした。空穂さんが成長をして大人になったらこのような姿に成るのだろうと夢想してしまいます。それは叶わぬ夢なのですが。
隣にいる愛美さんを見ると同じようなことを思ったのか、また少し泣きそうな顔をしています。
「すみません、お手洗いだけ借りてもいいですか?」
「構わないですよ」
愛美さんは泣きそうなのを我慢してお手洗いに向かっていきました。「トイレはこっちー」と空穂さんに目的地を先導されて迷いなく歩いていきます。
「空穂のためにあんな顔をしてくれる子が未だいるなんて……」
「彼女にとって、空穂さんはそれほどまでに大切なんですよ」
「お盆で戻ってきてくれる空穂も喜んでいるわね」
「ええ、きっと」
私は目の前で喜んだり悲しんだりしている姿をみているので簡単に想像できます。しかし鏑木母の中では娘は死んだ者。もう、そのような表情を見ることは叶いません。
「それじゃ片付けしてくるので少しだけ待っていてください。2、3分で済みますので」
「お構いなく」
鏑木母は私に断りを入れ、一番近くの扉へと入っていった。
私の目の前には廊下があり、その奥には階段がある。愛美さんが入っていったのは階段の横にある扉のため、そこがお手洗いなのでしょう。廊下には見える範囲で3つの扉があり、そのうちの1つが案内されるリビングだと思います。
空穂さんの家に入っても呪いの気配は強くなってはいません。普通ならば呪いに近づくにつれて感じる魔力は強くなるはずですが、呪い事態が弱くなっているのか役目を終えているのか分かりませんが事務所を出た時と同じ程度にしか感じません。
愛美さんの直感を信じると決めた以上、何かしらがあるとは思いますがその何かしらが私には見当もつきません。呪いに関することなのか、今後の空穂さんに関することなのか。はたまた、鏑木家に関わることなのか。まずは話をしてみないことには何も分かりません。
「あ、八重さん。すみません、いきなり」
「おかえりなさい。気にしてませんわ。今、お母様が片付けをしているそうなので一緒に待ちましょうか」
奥の扉から空穂さんと愛美さんが一緒に出てきました。お手洗いに一緒に入った事に今気づきましたがそこには触れない事にします。もしかしたら中にはもう一枚扉があるかもしれませんし。
「愛美さんはここに来たことは?」
「ありません。空穂ちゃんのお母さんとは外で会っただけなので……」
「それでは空穂さんの部屋は分かりませんわね」
「私の部屋ー?2階にあるけど来る?」
「今行ったらおかしいでしょう。それにそのまま残っているかも分かりません」
愛美さんがこの家に来たことがあるのなら空穂さんの部屋に行っているはずですし何か呪いの事を聞けたかもしれませんが空振りに終わりました。
空穂さんが亡くなってから半年経っている今、昔の空穂さんの部屋がそのまま残っているとは限りません。綺麗さっぱり片付いているとは思えませんが、整理させれている可能性はあります。
「あ、お母さん来た」
一番手前の扉から顔を出した鏑木母。
「お待たせしました。冷房も入れたのでどうぞ」
歩き続けて、今立ったまま待っていたため足が少し痛いので中に入れてもらうのは助かります。靴を脱ごうとしても何時もより足の感覚がおかしい気がします。急に動かしたためか、関節の部分がギギギと擦れるような音も聞こえてきます。ある程度動かさないといけないと再確認しました。
1番手前の部屋は一般家庭のリビングでした。キッチンが備え付けられていて大きなテーブルと椅子。その向こうにはくつろげる大きめなソファがあり、生活感を感じる室内です。そしてその隅には仏壇がありました。この部屋でその一部分だけが不思議な雰囲気を纏っています。
「どうぞ座ってください」
机の上に飲み物の入ったグラスを置いて、私たちに椅子を勧めてくれます。ご厚意に甘えて椅子に座りました。椅子は四脚あり、私と愛美さんが横に座ってその対面に鏑木母と空穂さんが座っています。
「今日はいきなり押しかけてすみません。此方、お口に合えば嬉しいです」
「あら、ありがとうございます」
私は持ってきた手土産を渡します。事務所の近くにある和菓子屋さんのお菓子のため渡すには丁度いいでしょう。
一昔前は「つまらないものですが」と謙遜をして相手に渡すのが一般的でしたが、今では遠慮のしすぎも良くないということで配慮の言葉を言うのがいいと何処かで聞きました。確かにつまらないものと言われて渡されては、そんな物を渡すのかと思う人が居てもおかしくありません。
「あの、私先にお線香あげてきてもいいですか?」
「ええ、ありがとう」
愛美さんは座って間もなく立ち上がり、仏壇の方へと向かった。空穂さんもその後をついていきます。自分の写真が置いてある仏壇を自分自身で見るのはどういう気分なのでしょうか。
「この部屋にね、仏壇があるのはあの子を忘れないためなんです」
「忘れないため、ですか?」
「空穂のお友達のあの子が聞いたらまた泣いてしまうかも知れないからお線香あげに行っている今だけの話ですよ?」
「分かりました」
「半年経っても、いえどれだけ時が経っても私は空穂のことを忘れることはありません。それでも声も、仕草も、顔も時間が経つに連れて薄れていってしまうでしょう。それがとても悲しいのです」
私の顔を見ないようにするためか、俯き、ただ淡々と言葉を紡ぎます。
「空穂を殺した犯人を殺してしまいたいと思ったこともあります。何度だって。憎しみは何も生まないとかやり返しても亡くなった人は喜ばないとか皆は言います。それでも、私自身がスッキリするんです。私たちの娘を奪った男に復讐すれば親が子供の敵を取ったとそう言えるんです」
「はい」
「それでも私達には出来ませんでした。自分たちの生活もあり、世間の目もあり、そして空穂の想いだと思いました。空穂が死んでからすぐの間はこの家にポルターガイストが沢山起こりました。今にしてみればあれは空穂が私達に大丈夫だよって伝えたかったのかもしれません」
一度深呼吸をして顔を上げる鏑木母の顔は悲壮感はあれど後悔はない表情をしていた。この表情は空穂さんからは見られることはないでしょう。
「そんな優しい娘がいつも私たちと一緒にいることを忘れないようにこの部屋に置いているんです」
二人には言っていませんでしたが、最初は鏑木家の誰かが空穂さんに呪をかけた可能性も考えていました。家族間で呪いをかけるケースは意外とあります。その場合は母親が子供へというケースが多く、理由は多岐にわたります。
今の話を聞く限り、この母親が空穂さんに呪いをかけた当人とは思えません。私の個人的感情も入ってしまいますが、それ以外にもこの人からは呪いの気配が全くしないのです。仮に呪いをかけて相手を殺した場合、本人は死ぬまでその事を忘れません。呪いの残滓として残るのです。
その気配がこの人だけではなくこの家からもしないことから鏑木家の人間が空穂さんを殺した可能性は低いと私は考えます。
「空穂さんもきっと見守ってくれていますわ」
仏壇に行った愛美さんと空穂さんの方を見る。線香をあげて此方に戻ってくるところだったみたいですが、愛美さんの周りをうろちょろしている空穂さんといういつも見慣れた光景が広がっています。一般人の前なので空穂さんと話すことは出来ませんが違和感のないように空穂さんに触れて反応は示しています。
「何の話ししてたんですか?」
「いえ、何でもありませんわ」
「ねー私の部屋行きたーい。呪いのこと何か分かるかもしれないしー」
この家から魔力的な物は感じないため、空穂さんの部屋に行っても特にはなにもないと思いますが一応調べて置いたほうが良いでしょう。
しかし、赤の他人がいきなり死んだ娘の部屋に行くことを許可してくれるでしょうか。
「あの、空穂さんのお母さん」
「何かしら?」
「空穂ちゃんの部屋って……」
私が言うよりも愛美さんが伝えるほうが適任でしょう。
「空穂の部屋?あの子が居なくなった日のままよ。元々、部屋には入れなかったし……」
「?私鍵とかはかけてないよー。そもそも鍵とかないしー」
空穂さんの部屋が今も存在していることは分かりましたが、入れなかったというのは疑問が湧きます。仮に空穂さんが死んだ後ならば思い出すから入れないということもあるでしょう。しかし、生前から入れないというのはどういうことでしょうか。
「どういうのですの?」
「あ、いえ。おかしな話なんですが、あの子の部屋に入ると入っちゃいけない気がするんです。気の所為だと思って扉に手をかけようとすると手が震えてしまってドアノブも握れなくなってしまって……」
「え、なにそれ私知らなーい」
「空穂さんはどうだったんですか?」
「空穂は普通に部屋に出入りしてましたよ。空穂の部屋は2階にあるんですけどあの子の部屋以外は普通に入れますし、次第に気にしなくなりました。それであの子が居なくなってから部屋に入ろうとしても同じ事が起こるのでどうしようかと思ってたところです」
鏑木母の状況は普通の状況ではありません。中にあるなにかに対して身体が警告を出しているようなそんな体験を話してくれました。
部屋には鍵がないみたいですし、入れないというのは本来はおかしな話なのです。違和感があるとは言え、その家で半年も暮らすのは危機感がどうこうの話ではないと思います。
「えっと、空穂ちゃんの部屋行ってみてもいいですか?」
「良いですけど……。大丈夫ですか?」
不思議な体験をしている人に対しての対処法は心得ています。
私の本職は呪物専門の呪術師。ですが一般の人は曰く付きのものをただの古い物として捉えている場合もあります。その時に呪物だから引き取ると言っても理解されないことが多いのです。だから私は一般的には別の名前を名乗っています。
「申し遅れました。私、古物商をしております。酸塊八重です」
「あ、鏑木穂波です」
「私は来栖愛美です」
「鏑木空穂ー」
「古いものにはオカルト的な不思議なものがあります。空穂さんの部屋にもそういう者があることで穂波さんが部屋に入れない可能性があります。調査も含めて入ってもよろしいですか?」
いきなりオカルトの話を出すのは胡散臭がられるかも知れませんが、既に不可思議な体験をしているのです。拒否される可能性もありますが、そうなった場合は別の手を打てばいいだけなのです。
穂波さんは少し考えるように胸の前で腕を組みます。自分が入れない以上、赤の他人に家の中の、しかも死んだ娘の部屋を漁られるということに忌避感があるのは当たり前でしょう。
「来栖さんはどう思うの?」
穂波さんは愛美さんの方を向いて問いかけます。私ではなく、愛美さんに対して意見を求めるというのは一度会っているからなのか、愛美さんに何かを惹かれているのか。
「私、ですか?」
「ええ、以前お会いしたときに言ったことが本当になったのよ」
「言ったこと?」
「リビングのテーブルの上に家族写真があったら空穂が幸せって言ってるって来栖さんが言ったのよ。その後家に帰ったら家族写真が置かれててね。その写真は空穂が持ってるはずのものだったの。流石の私もそれが変なことだって分かる。それでも貴方の言ったことが実際に起こって救われたのよ」
2人の間に何があったかは分かりません。知りたいと思う気持ちはありますが踏み込んで良い話だとは思えません。愛美さんという1人の人間は空穂さんと穂波さんという2人の人間の心を救っているのです。
「私も空穂ちゃんの部屋に行きたいです。それと穂波さん。信じられないかも知れないんですが穂波さんには1つ絶対に言わないといけないことがあります」
「なに?」
「先に謝っておきます。ごめんなさい。これは私だけというかそういう事ができる人にしか見えてないので穂波さんには見えないし、信じられないと思います」
最初は何を話すのか分からなかった私ですが、段々と愛美さんが何を伝えようとしているのかを察してしまいました。空穂さんが幽霊になって見えている事を伝えようとしているのでしょう。それを伝えた所で空穂さんが死んでいる事実は変わりません。寧ろ、これ以上成長できず将来をみられない我が子の存在をまた思い出すという残酷な現実を突きつけてしまうだけの可能性すらあります。
愛美さんが何かを導くためにやっていることだとは思いますが、それはやるべきではないでしょう。
「愛美さん、それを伝えるのは止めたほうが……」
「八重さん。私は真摯でありたい。嘘を付くわけじゃないけど正直に生きていきたいんです。他の人なら決していいません。信じてもらえなくても、空穂ちゃんの家族の人には知っていてほしい。今、どうなっているのかを。殺されて悲劇のままで終わらせたくないんです」
悲劇のまま。確かに鏑木家にとっては娘の最後は殺された所で終わっています。苦しんで殺された娘が、頭に残っているでしょう。幸せな記憶とともに残酷な記憶が。
私はそれ以上愛美さんを止めることは出来ません。穂波さんが傷つく可能性はありますが、私が今後関わっていくのは空穂さんと愛美さんです。その2人が決めたことなら否定しても仕方がないでしょう。
「空穂ちゃん、言ってもいいかな?」
「いいよー。お母さんならきっと大丈夫」
愛美さんは空穂さんのいる後ろを振り向いて問いかける。それに対して手で大きく丸を作って空穂さんは答えます。
「貴方達何を言って……」
「穂波さん。空穂ちゃんは確かに死んでしまいました。それは事実なんです。それでも今ここに居ます。幽霊としてですけど。それで私は幽霊が見えるので空穂ちゃんが見えます」
「ど、どういうこと?そこに空穂がいるっていうの?」
「信じられなくても仕方がないと思います。ただ嘘をついているとは思わないでほしいんです。私はこの半年間、幽霊になった空穂ちゃんと一緒に暮らしてきて空穂ちゃんがどういう人なのかを知りました。空穂ちゃんはよく笑って、その顔が可愛くて私は大好きなんです。死んだ後でも空穂ちゃんは沢山笑って沢山楽しんでいます。穂波さんにとって酷いことを言ってしまっているのは分かっています。それでも、今、空穂ちゃんは笑ってて、苦しくないよって伝えたいんです」
穂波さんは愛美さんの話の途中から泣いていました。人前で見せるような泣き方ではなく、子供のような泣き方で。次第に顔を覆い、その涙がテーブルに落ちます。私は何も言えません。
愛美さんが伝える言葉は私にとっては分かることです。常に一緒にいる所をみているのです。実際見えない人からしたら自分の娘の事を騙っているように見えてしまうのではないのでしょうか。その心配は私の思い過ごしだったとすぐに分かりました。
「空穂は、空穂はなんて言ってるんですか?」
「空穂ちゃんなんか今伝えたいことある?」
「んー。お母さん泣いてるの見るのは初めてだから頭こんがらがっちゃってるけどー。泣かないでーって伝えてー。それとお母さんの作るプリン好きだったよーって」
家族間でしか分からない話を織り交ぜることで信憑性が増します。空穂さんはそれを知ってか知らずか穂波さんに伝えてほしいみたいです。
「空穂ちゃんは泣かないでー、って言ってます。それにお母さんのプリン好きだったよーって」
「プリン……」
穂波さんは顔を上げて愛美さんの方を見ます。顔は愛美さんの方を向いては居ますが目線は右往左往していて、空穂さんの存在を探しているようにも見えます。
プリンという言葉に心当たりがあったのでしょう。未だに涙は流れていますが顔を上げて、ハンカチで涙をぬぐっています。
「あれ?そういえば愛美が見てれば触れるんだからペンとかで文字書けるんじゃない?」
「あ、そうだね」
「私、紙とペンなら持っていますわ」
考えてみれば、空穂さんがいるという証明は沢山の要素があったほうがいいでしょう。私はバッグから紙とペンを取り出します。机の上に置き、愛美さんの方へと渡しました。
「もしかして、酸塊さんも?」
「はい。私にも見えてます。こういう仕事柄、心霊系に触れることもあり霊感があって」
「そうなの……。それで何をしようとしてるの?」
「見ていてください。空穂さんからのメッセージですわ」
私がそう伝えると首を傾げてから来栖さんの方へと向く。来栖さんは分かりやすいように私の横へと移動しました。紙とペンはテーブルの端にあり、そこには何もありません。私達からすればそこに空穂さんがいるのですが、穂波さんには何も見えていないでしょう。
「空穂ちゃん。いいよ」
「おっけー」
その掛け声とともに空穂さんはペンを持ちました。端から見るとペンが浮いているように見えるでしょう。穂波さんもいきなり起こったことに一瞬驚いては居ましたが、紙に書かれていく文字を見るとすぐに心を落ち着かせて次第には笑顔を見せていました。目からは涙が流れているのに、優しい笑みを浮かべている姿は、見えないにも関わらず我が子を見て微笑む母親の姿でした。
空穂さんは紙に書き終えたのかペンを置きます。
「出来たー」
その紙は空穂さんが持って、穂波さんの目の前に置きました。
穂波さんはその紙を凝視しています。私も何が書かれているのかを見ようとすると、その紙には水滴が零れ落ちているのを見て、私は見るのをやめました。きっと、部外者が見るものじゃないでしょう。
ただ一言だけは遠目からでも見えました。
『これからも大好き』
その言葉は幸せな呪いとなって生涯穂波さんにかかることでしょう。




