その一輪が愛おしくてep4
陽の光が部屋を照らし始めてから数時間経った後、僕は目を覚ました。先程までは日の出の時間だったはずだが現在、時計は7時を指している。自分でも気づかぬ内に二度寝をしてしまったようだ。
二度寝が気持ちいいのは科学的にも証明されており、脳内麻薬物質であるエンドルフィンが分泌されるかららしい。
魔術師と科学者は表裏一体である。世の中の不思議、前時代まで怪異や魔法の仕業とされていた事柄も科学的証明によって絡繰りがバレていく。勿論、本物の魔術師や怪異もいるわけだが分かっている事実だけを公表し、分からないことは公表しなければ誰も知らぬ事となる。その結果不思議は科学で解き明かせるという一種の生存者バイアスのような者が発生する。
それに魔術師でありながら科学的に魔術を研究している者もいれば、錬金術師のように科学から理知の外の力を得ようとする物もいる。似て非なるものであると同時に非なるものだが似ている。それが科学者と魔術師の関係性だ。
誘惑に負けて布団から出られない時間が少し続くも暑くなってきたので誘惑に打ち勝つ。冬は寒いため、布団の魔の手から逃れられないが夏に近づけば近づくほど布団の重要性は薄れていくのだ。
「さて、昨日の夢が現実か。それともただの夢か確かめにしかないとね」
・
散さんと舞さんはもう起きており、丁度朝ご飯を食べるところだった。
「おはよう」
「おはよう。遅かったわね」
華上家に来て意外だったことの1つに朝はパン食というものがあった。勝手な想像で昔からある家は朝食はご飯とみそ汁のようなものを考えていた。その事を軽く言ったら「朝からご飯炊いたり色々するの面倒なのよ。焼くだけで終わりのパンになるのは当然じゃない。朝は忙しいの」と実家のお母さんのような事を言っていた。僕にはそのような経験はないが。
「舞も今日は遅かっただろう?」
「うるさい」
自分のことを棚にあげて僕に言っていたらしい。今日のやるべきことがあるにも関わらず、僕ら2人はいつも通りの空気感で会話をしていた。2人とも寝坊をしているのでいつもより気が抜けているとも考えられるが。
配膳を終えた舞さんは僕の耳元に寄ってきた。なにか怒らせたかと身構えてしまう。
「後でちょっといい?」
「今日1日付き合うつもりだけど?」
「ふんっ」
怒らせたのは今だったみたいだ。軽いボディブローを食らった。直ぐに暴力に訴えかけるのはよくない。人間である故に対話で解決したいものだ。神様とも対話をして解決することが出来たのだから尚更だ。
「ずいぶん仲良くなったな」
「師匠ですからね」
「まだそれ言ってるの?早くご飯食べて神社行くわよ」
僕も心から舞さんの師匠だと思っているわけではない。彼女に冗談を言うと確りと返してくれるため楽しくなって言ってしまうのだ。
これ以上ゆっくりしていたら本日の予定に差し支えるため、舞さんの言う通り早く朝食を食べてしまおう。何もせずとも用意されている朝食に感謝をしながら。
・
「それでさっき話したかったことって何?」
朝食の前、僕にだけ聞こえる声で耳打ちをしてきた内容が気になり家から出た直後に聞く。本日は外での作業のため、動きやすい格好をしている。舞さんは比較的動きやすい格好でいつも過ごしているため、汚れてもいい格好と形容したほうが正しい。僕は散さんに服を借りた。
「信じられない話かもしれないけど」
「今更信じられない話なんてないよ。神様にも会ってるんだし」
「それなのよ。昨日の夜、寝てたら花守神社の神様と話してあんたが神社に入るの許可してくれたの。それで今日は寝坊しちゃったけど」
「これは……驚いたね」
当然だが舞さんの話が信じられなかった訳ではなく、僕と同じような経験をしていたからだ。僕より先か後か、それとも同じタイミングか分からないが神様は舞さんにも会いに行っていたようだ。舞さんの願い事を無事聞き届けたことを伝えるとは律儀な神様である。
「本当だからね」
「えーと、その話は信じるよ。だって僕も同じように神様が夢に現れて神社に入ることを許可してもらったし」
「そうなの?じゃあわざわざ言うことじゃなかったわね」
「そんな事はない。僕の頭が見せたただの夢だった可能性もあったわけだしね。僕と舞さんが同じ夢をみる可能性も0%じゃないけど可能性はかなり低い。自分の経験に信憑性が持てたよ。ありがとね」
「ふーん。それならいいわ」
舞さんは照れているのかそっぽを向き歩き始めてしまう。ここにきて舞さんにお礼を言ったことがあっただろうか。当たり前のように世話になっているのにお礼の一つも言えないようでは大人失格である。舞さんに教えることが僕の役目であっても人としては対等であると忘れてはならない。
僕は予め用意していた道具を一式持って舞さんの後をついていく。数株の花と種を入れたカバンを揺らしながら神社へと向かった。
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「本当に入れた。百聞は一見にしかずじゃないけど入れることが確認できてよかったよ」
「私からすれば入れない感覚っていうのが分からないわよ」
前回は舞さんを探しに来ただけだったので神社の中をまじまじと見ることはなかった。敷地内には雑草が生え、舞った木の葉が地面を覆っていた。社の方も木の腐食などが見られる。ギリギリ神社としての体裁を保っている、そう表現するしかない。
人が来ないこの神社では参拝客のお賽銭も全くなく、神社の維持費が賄えない。社を綺麗にするにもお金が必要なのだ。幸いだったのはこの神社の神様は社に祀られている訳ではなく、社は神社としての役割を保つために建てられたということだ。
花守神社の神様は自然の神様。自然こそが祀る対象だ。
「そういえば舞さんはここの神様が何の神様か聞いた?」
「どこを調べても分からなかったじゃない。なに?あんた知ってるの?」
「僕は昨日神様本人から聞いた」
「なんで長年この神社に来てる私じゃなくてあんたが知ってるのよ……」
舞さんは神様からこの神社の事は聞いていないらしい。そうなると色々話せないこともある。華上家が代々守っていた事が全て違うと話しても混乱させるだけだろう。
「ここの神様は花神様。昔この神社には多くの花が咲いていてそこから力を得て神になったんだって。元々は自然災害からこの地を守るために祀られていたみたい。それが口伝だったり、間違った伝承によって変化したんだろうね」
「そんな昔からあるなら図書館の資料にあるはずじゃない?無かったわよね?」
「あの時は離君神社に絞って調べてたからね。仮にあったとしても別の神社だと思ってスルーしちゃってるよ」
「そっか。ここの神社の神様は花神様っていうんだ。じゃあ私たちがこれからやろうとしてくれることも喜んでくれるかもしれないわね」
そう言って腕まくりをして準備運動を始める。僕も準備運動をしっかりしないといけない。ただでさえ運動不足なのにここ数日はかなりの距離を歩いた。そして今日は重労働が予想される。腰や足を痛めないように確りと筋肉を柔らかくする。
「神様を喜ばせるのが目的じゃないけどね」
僕たちの目的は神様の力を少しずつでも高めること。それによって華上家が今後も神様と持ちつ持たれつの関係性を築くことだ。
「固く考えすぎなのよ。相手を喜ばせたいっていうのはそんなに難しく考えることじゃないわ。それに今後とも関わるって決めたし、信仰者が神のためを思うなら当然でしょ?」
その言葉は魔術師からは聞くことのない言葉だった。僕の知る魔術師はほとんどが自分のために力を使う。回復系魔術を使う者など他者のために動く人もいるが純粋な気持ちで他者のために動ける者は少ないだろう。
目の前の少女はこれからやる作業のことを考えているのか、ニコニコしながら作業準備を始めている。控えているのは重労働。僕は足腰の心配をしながら笑っている舞さんを見つめるのだった。
・
勿論、僕も手伝ったのだ。ただ、速さや丁寧さが段違いで途中からは戦力外通知を受けていた。土いじりなど始めてやったため想像していたよりも出来ないことに驚いた。そんな僕を見かねて「私がやる」と僕の分まで持っていった舞さんが全てを終わらせてしまった。
「花は植えたしあとは種を蒔くだけね」
「それなんだけど舞さん、その辺でこれくらいの石を多めに拾ってきてもらっていい?」
人差し指と親指で丸を作りながら舞さんに石拾いを頼む。この神社の荒れ具合をみるに石などは落ちているだろう。
「なんで?」
「無駄なことをやらせようとしてるわけじゃない。僕の魔術を使う。多分神様も許してくれるはず。そのために必要なんだ」
「別にいいけどあんたは?私にだけやらせるの?」
「本当に申し訳ないけど魔術を発動するのにも準備が必要だから任せるよ。種蒔きもこっちでやっておく」
不思議そうに此方を見ていた舞さんだが「分かった」と呟くと付近で小さな石を拾っている。その間にも僕は準備をしておく。カバンの中から持ってきた魔力ペンを出し、その中に魔力を通す。ここで魔力を使えるということはこの神社で魔術を使う事も見逃してくれるだろう。
僕は立ち上がり、予め決めていた所に種を蒔いた。神社の境内で土を掘るわけにもいかなかった為、森の方から土は持ってきた。幸いにも花が植えられていたらしい場所があった為そこを再度使わせてもらうことにする。
「持ってきたわよ」
ちょうどいいタイミングで舞さんは戻ってきた。舞さんの足元には僕の指定したサイズの石が20個ほどあった。
「ありがとう」
「それでなにするの?」
「僕の魔術を使うんだよ」
僕は石を手に取りペンを使って文字を書き込む。僕が書き込むのはルーン文字。書き込むのは『ᛒ(ベルカナ)』の文字。この文字のもつ意味は成長。舞さんはアルファベットのBみたいというが間違っては居ない。Bの音を持っている。このルーンには新たなる始まりという意味もあるためこの場には持って来いだろう。
石全部にルーン文字を書き込み、種を植えた土の上に置いていく。そして僕はその石に対して魔力を流す。僕のルーン魔術はルールとして自分を守ることにしか使えないが今回は、自分を守ることを拡大解釈のイメージをしてこの神社を守る事が自分を守ることと定義している。
石に流した魔力が土に流れ、その土の中にある種に対して成長の効果が流れていく。その結果、土からは新たな命が芽吹いていた。
自分の中のイメージが不十分だったのか芽吹かせるまでしか出来なかったのは僕の不足の致すところだ。
「すごいけどなんか地味ね」
「僕の魔術はルーン魔術って言ってね。占いの延長みたいな物だから想像する魔術より地味かも」
「それにしてもこの文字がこんな効果を作り出してるのはすごいわね」
そう言って舞さんは指を使って土に『ᛒ(ベルカナ)』の文字を書く。
「この後何してたんだっけ」
「魔力を流すんだけど舞さんは無理かも?やったことない人ができるとは思えないし。自分の中にある不思議な力を流す感じ?」
「ふーん」
一言だけ。舞さんは目を瞑ると、手を合わせ祈り始める。そのまま数秒が流れた。流れた時間は、現実時間に比べて酷く長く感じた。音が無くなっていたのだ。舞さんの祈りに合わせるように風は止まり、虫の鳴き声も止まった。
「祓い給え。清め給え。この地に芽吹く新たなる魂よ。この地を守り、この地を生かし、この魂を先まで繋きぎ給う。恐み恐み申す」
僕には分からない何かを願う言葉をこの地に唱えた。舞さんには神様から授かった力がある。その力は僕達が魔力と呼ぶ者と同じ、理知の外の力。その力が運命をつかみ取るルーン文字と反応した。
言葉とともに、書かれたルーン文字へ魔力が流れる事が分かった。舞さんがルーン魔術を仕えるのは今日限りかもしれないし、この場所だから起こったことなのかもしれない。
舞さんの回りから芽吹き花が咲き、それが伝播するように花が神社内に広がっていく。僕達が種を植えたところだけではない。過去に花が咲いていた所に芽吹かなかった種があったかのように。
先程まで荒れ果てていた神社の境内には無数の花が咲いている。自分が死んでいたことを忘れたかのように植物たちが息を吹き返す。木々や虫たちも騒ぎ始め、自然がこの空間を支配した。
「うわっなにこれ?」
目を開けた舞さんは起こった変化にびっくりしていた。僕の方へと首を向けるがこれをやったのは僕じゃない。舞さんがやったことだと言葉無く伝える。もう一度当たりを見回すと舞さんは自分のやったことの凄さが分かったのか、自分の手を見つめる。
ここで調子に乗ると後で痛い目にあうのが魔術師ではよくあること。すごい力が使えるようになったときこそ注意をしなければならない。
「ま」
僕は舞さんを落ち着けようと声をかけようとするが僕の声を遮るように舞さんは立ち上がり声を出しながら歩み始めた。
「すごい。綺麗。これなら神様も、喜んでくれるかな?」
力を得ようとして技を磨いている魔術師とは考え方が違う。魔術師は力を得るために勉強し、修行するものが多い。そのため強い力に引かれてしまい、とりつかれてしまう。
彼女は魔術師ではなく神守の神子。純粋にここにいる神様のことを思っていた。だからこそ、自分のことではなく神様のことを第一に考えることが出来たのだ。
「そうだね。これだけの命があれば神様もきっと力が強くなって喜んでくれると思うよ」
「そっか!」
喜ばしくてテンションが上がっているのか、数日過ごして来た中では見たことのない笑顔で此方を振り返る。
僕は依頼の一環として彼女の成長を手助けしていた。彼女は僕の教えを聞いて取り入れることはしたが、元々の考えから何かを助けたいと言っていた。何も変わっていないのだ。
彼女が成長していないのではなく、最初から考えは変化していないしていた。何かを助けたいというのが彼女の根幹にはあり、それが力となっている。
広がっている花畑をみて思う。依頼だから達成することも大事だが、今回は人の心こそが問題解決に役立った。ゲティにも「人の気持ちを考えろ」と言われることもあるが、人の気持ちなど分からない。
でも自分の気持ちはわかる。他者に対して久しく感じていなかった嬉しいという感情。
久々にちゃんと仕事以外で人と関わると、昔のことを思い出す。ただ先生と魔術の修行をしていたこと。何かを達成するたびに先生が褒めてくれたこと。先生の気持ちが少し分かった気がした。自分が教えた子が、何を達成しても嬉しく感じるものなのだ。
花畑の中で二人だけの時間。恋愛とかそういう物は何も感じない。自分の教え子が何かを成し遂げたことに対する喜びがある。舞さんも回りを見回しては笑顔になり当たりを散策している。
『咲』という字は『笑う』という意味だった。人が笑う様子が花の開く様子と重ねられ、咲くという字が使われるようになった。
花が咲くように笑う舞さんを見て僕は依頼達成とは別の満足感を得ていたのだった。
・
華上の娘よ。大義であった。
そなたの心が私の力を強めている。
死にゆくだけであった私をただ一つの曇りもない感情で助けようとするその心こそが私が力を授けたことの後悔をさせなかった。
華上の娘よ。大輪の咲くこの場所で、お前が一番美しい。
この先、お前もこの神社に来なくなる時が来るであろう。
ただ、昔のような光景を見せてくれたお前を我は忘れることはない。
私の力がもう少し強くなれば、お前が離れていても力を貸すことができる。
あぁ、華上の娘。舞よ。我はお前を忘れぬ。
この大輪の中、笑うお前が。その一輪がとても愛おしい。
言葉は不要




