その一輪が愛おしくてep3
その日の夜、僕は夢を見た。未来を思い描く、理想を張り付けた夢ではなくただ寝ている時の脳が見せるまやかしの夢を。
僕は魔術師だ。それよりも人間であろうとしている。どんなに理知の外の術を使っても、人を見下したりはせず、一般市民に馴染もうとしている。
夢を見る。人間ではない何かが僕に語りかける夢を。
『お前か』
声のした方へ意識を向ける。今の僕には身体がない。意識の先には何もない。何もないはずなのに感じるものだけがある。それは確かな威圧感を放ち、意識だけの僕でも恐れを抱くような。
「(貴方は……)」
声は出ない。心の中の声は音として夢には流れず心の内にしまうだけ。
『華上家の者からお前が神社に立ち入ることを許可してほしいと頼まれた』
舞さんに今日の帰りに頼んだことだった。それを知っているということは、恐らく花守神社の神様だろう。確りと神様に伝わっているようだ。
『華上の娘はお前のことを信頼しているようだった。先日は申し訳なかった』
神様が僕に謝っている。声が出るのなら今すぐにでも遠慮をしたい。身体もないためジェスチャーも出来ない。思念体とはこういう事を言うのだろう。
『お前があの子を森の奥に連れ去ろうとしているのを見て守ろうとして脅かしてしまったな。華上の娘に害あるものを守るのも我が使命である故』
驚かすどころか身の危険を覚悟したのだが声が出せないため伝えられない。声が出たとしても恐れ多くて伝えられないのだが。
何より神は僕が嫌いだから近づけさせなかった訳ではなく、いきなり出てきた成人男性が寵愛を授けている女子高生を森の中に連れ込んだから追い出して入れないようにしたというだけの話だった。
『……先程からお前の声は私には聞こえている。どれ、お前の夢の中ではあるが身体を形成しようか』
神様のその言葉通り、気が付いたら僕と神様は向かい合って座っていた。神との対話というと荘厳なものに聞こえるが井戸端会議のような様相である。
舞さんや咲さんに寵愛を授けている神であるため男神だと思っていたが目の前にいるのは女神であった。その姿は人のような姿をしているが輪郭などが捉えきれない。
『改めて。私は花守神社の神をしている、しがない神だ』
「私の名は神に聞かせるには穢れが多い名であるため名乗ることも憚られます。お好きなようにお呼びください」
『不敬ではあるが、華上の娘に免じて許そう』
「ありがとうございます」
神様に名乗れない名前というものは厳密にはないと思うが僕の名前は苗字も名前も負の要素を纏っている。名を伝えることを憚られるのはそのためだった。京都の有名な墓地の名を名字に持ち、前世の悪行の報いを示す言葉が名前になっている僕の名前はそれ自体が僕にとっての呪いになっている。
『して、お前が神社の敷地に入りたい理由とは何だ?』
神は僕の方をまっすぐに見つめながら問う。
「花守神社の再興、いえ、花守神社に神様が心地よく過ごせるようにしたいという華上の者の願いを叶えるためです」
舞さんの言葉から、花守神社を人がたくさん集まるような神社にしたいという気持ちは伝わってこなかった。自分たちの家と花守神社の縁を守り、花守神社の神様が力を失わないように守っていきたいとそれだけだった。
『華上の者には申し訳ないが私にはもう力が残っておらん。社内の命は徐々に終わりを迎え、そこから負の淀みが発生している。それを抑えるので精一杯なのだ』
「それは先代の華上の者が来なくなったから弱くなったのですか?」
『先代、名は知らぬがそれは違う。あやつが来なくなったのは人間だからであろう?私がどれだけの時を生きてきていると思う?人は婚姻を結び次の世代に命を繋ぐ。その時が来ただけだろう』
「華上家の者の婚姻を禁じているのではないのですか?神子として扱っていると聞きましたが」
『それは人間の掟だ。私は知らん。この場に来られなくなったであろう先代との縁を切り、来られる今代の者と縁を結んだまで』
つまり、華上家全体での盛大な勘違いだったということだ。神に仕える女性を神子とし、婚姻を結ばずに子供を作ることは許してくれる等という世迷言を。資料や舞さんの話からも気づくべきだったのだ。神からの言葉を聞くだけで"会話をした人はいない"と。
「その今代の華上が貴方様の力を強めるために行動しようとしているのです。あの神社から死を遠ざける事は難しいでしょう。ですが新たな命を芽吹かせる事は出来ます」
『ほう。つまりはあの神社に何かしらの命を吹き込み我への信仰を高めようということかの?』
「それが可能かどうか分かりませんが、人の身で出来ることを精一杯やらせていただきたく、神社へ入る許可を頂ければと」
僕からは精一杯の誠意を込めて神様に頼み込む事しか出来ない。虛偽無く伝えた本心からの言葉。いつものように嘘は言わないが本当のことも言わない話し方ではなくちゃんとした心からの言葉。
普段ならこんなに熱くはならない。僕はそういう人間ではない。しかし、数日間とは言え僕が教えた子がやりたいことを見つけた。それを手助けするのが僕の役目だ。
『よい。許可する』
僕の想いは無事に神様に届き、神社へ入る許可を貰うことに成功した。神社に近づくにつれ感じていた身体の重さはもう感じることはないだろう。
『1つ聞きたいのだが、よいか?』
「何なりと」
神様相手に拒否など出来るわけがない。
『華上の者は皆、元気にやっているか?』
「勿論です。神様を守るため、皆必死に今を生きています」
華上の者は病気で亡くなることは無く、ほぼ老衰で天寿を全うし眠るように亡くなったと散さんは言っていた。あの家を守っている神様が知りたいのはそういうことだろう。
『今は力が少なく、花一輪分の加護しか与えられないが何事もなければ幸いだ』
「花一輪?」
『華上の娘が私の力で作った花を神社から持っていくだろう?』
舞さんが境内に毎日のように置かれている花を家の花瓶に飾っていると言っていたがあれは本当に神様からの贈り物だったのだ。神の力が宿った花は、その一輪で華上家を守っている。
「散らすことも枯らすことも無く飾ってますよ」
確りと手入れされた状態で花は飾られていた。毎日花を取り換えているため、前の花をどのようにしているかは僕は知らない。
『私の前で散らすなど、良い物言いではないな』
神様は少しだけ笑うような仕草をする。その仕草一つ一つが人間らしく、そして人間ではない雰囲気を纏っている。僕は今、神様と話している事を忘れてはいけない。
『私は花守神社にいる神。あの地に咲いている花の神。花神である』
「花神様ですか?」
『如何にも。あの神社では特定の神を祀っているのではなく、元々はあの土地を自然災害から守る為に建てられたものだ。当時は神社には沢山の花や木が植えられていた。それは自然を怒らせないためであった。何時しかその伝承が薄れ、神社の名前だけが残った。元々居なかった神の名など残せるはずもなし。私は自然から産まれた神である故、名など持たなかった。花神を名乗っているのもその為だ』
成り立ちからして、花守神社には神は居なかった。神は居なかったが、人々の祈りが何時しか神を作り出してしまったのだ。そしてその神は代々その土地を守る華上家と共に今に至っている。華上家は神の居場所を守り、花神様は華上家を守る、持ちつ持たれつの関係性が築かれていた。
『今では草木は枯れてあの有様。自然の花などはもう咲いておらぬ。自然からの信仰などほぼないに等しい。だからこそ華上の娘は私にとっての唯一の信仰者なのだ。その一輪の信仰がとても私にとっては愛おしい』
「それを守る為にも僕が力を貸します。花神様は今後とも華上家をお守りください」
舞さんが言った、神様を守りたいと。神様は華上家を守るという。この2つの関係に僕の存在は不要だ。ただ今回だけはこの2つを繋げる橋渡しとして僕は両者に都合よく動こうと思う。それが舞さんの成長の糧になると信じて。
『分かった。期待しておるぞ』
・
夢から覚める。日の出の時間。おそらく今日も舞さんは朝早くから神社へ行き諸々のルーティンを熟すだろう。僕は起きたにも関わらず寝た気がしない。夢の中まで頭を使って動いて居たからだ。
枕の下に手を突っ込むと1枚の紙がある。朝、急に起こされても会話ができるようにと仕込んでいた『ᚨ(アンサズ(コミュニケーション))』の文字が書かれた物。もしかしたら神様とコミュニケーションが取れたのはこれのおかげかも知れない。
僕はまた、自分の運命を手繰り寄せることに成功したみたいだ。
夢を見る。




