七竈に思いを馳せてep1
生い茂る木々。木漏れ日が差し込む森の中。都会では見ることのできない大自然に懐かしさを覚える。シャーロットに飛ばされたため、自分が夢の中にいる事を理解していた。夢は脳が見せる幻覚のようなものだが、何故か夢の中にいる化野には当時の香りまでもが鼻腔を擽る感覚を覚えていた。
化野が見つめる先には二つの人影があった。
「ドルイドさん、今にしてるの」
「私のことは先生と呼びなさい」
「先生らしいことしてないじゃん。胡散臭いことばっかり言ってさ」
「もうすぐ学校に行かせますから次第に分かりますよ」
見覚えのある小さな子供。それに語りかける白髪混じりの髪をした初老の男。
「……性格が悪い」
化野は誰にも聞こえない言葉を溢れ落とす。化野がいる場所はどこを見ても白に囲まれた空間。一脚の椅子と、映画館のモニター程のサイズがある液晶。それだけが異質に存在していた。
意識を取り戻した瞬間、化野は椅子に座っており、目の前の液晶には映像が流れていた。明晰夢と呼ばれる夢の中で夢と理解できる現象ではなく、獏の力によって見せられている夢だとすぐに理解することができた。当事者として経験をするのではなく、記憶を整理すると言っていたことを思い出し、目の前に流れる映像の懐かしさに記憶がよみがえる感覚を覚えた。
「(目の前には過去の僕が映っている)」
液晶に映る子供はもう会うことのできない化野業本人であった。まだ引き取られて間もない頃、魔術というものを胡散臭いと思っている。先生に対しての失礼な物言いから引き取られた直後のことだとわかった。
この時の化野は小学生。親戚に盥回しにされた結果、誰にも引き取られることなく途方に暮れていたところに見知らぬ外国人が現れて引き取られた。親戚から邪魔者扱いされる度に、自分の存在意義が分からなくなり、次第に大人には何も期待をしなくなっていた。だからこそ、ドルイドといういきなり現れた怪しい外国人に付いていくことを即決したのだ。その後はすぐに日本から離れ、北欧の何処からへと移動した。小学生であった化野には何処の国かを理解することはできなかったが、後々になってアイルランドの森の中とを言うことを知った。
「学校って海外の学校でしょ?僕は英語を喋れないけど」
「私の言葉は理解できているでしょう?」
「だって先生は日本語で喋ってくれてるじゃん。会った時は英語だったけど」
「正しくは英語ではなくゲール語というものですね」
「どっちでもいいよ」
「……学校は行きたくありませんか?」
ドルイドは木を観察しながら化野と喋っていた。その木の幹に座りながら化野はドルイドのやっていることに興味なさ気な表情を浮かべている。
ドルイドは日本で化野がどのように扱われているかを知っていた。ドルイドが化野を引き取ると親族に言ったときには両手を挙げて喜ばれすらしたのだ。――気味の悪い子供を引き取ってくれて助かる。本人を目の前にして薄くとも血の繋がった人達は子供に言い放ったのだ。
魔術師にとって血というものは重要である。魔術師でなくとも血の繋がりとは親族をつなぐ大切な物だとドルイドは認識していたため、化野の親族には深く失望し、同時に化野本人へ憐憫の情を覚えた。
化野が興味なさげな様子を見て、ドルイドは学校というものに忌避感を持っているかと考えて探りを入れていた。
「別に。好きでも嫌いでもないよ。僕みたいなのを引き取ってくれた先生が行けと言うなら行くし」
「業くんの意思を尊重しますよ」
「意思なんてないよ。ここにいてもやること無いし行ったほうが楽かな」
「……これは重症ですね」
「何か言った?」
「いえ。では業くんは来週から学校へ通ってください。小さなところですから緊張しなくても大丈夫ですよ」
「だから英語喋れないって」
化野は今でも英語は喋れない。そして記憶の中の映像から新しい事実を知る。
「この時、先生は日本語を話していないじゃないか」
映像から聞こえてくるのは流暢な日本語以外の言語。それに対して幼い化野は日本語で答えている。客観的視点で見ることで、初めて異常事態に気付いた。何故そのようなことが起こり、幼い化野が気が付かなかったのかを映像を見つめる化野には見当がついていた。
ドルイドに連れ去られて辿り着いた森の中の家。おとぎ話に出てくるような場所は、日本での豊かな生活に慣れた化野にとっては不便で仕方がなかった。コンビニもなければ娯楽施設もない。ドルイドが仕事の道具として使う器具と、さまざまな種類の植物に囲まれて日々を過ごしていたことが記憶に残っている。当時は学校に通う前の時間軸のため、化野は魔術を語る胡散臭い老人としてドルイドのことを見ていたのだ。その手にはドルイドから渡されたお守りを握りしめながら。
「先生があの時くれたお守りに刻まれていたルーンはコミュニケーションの意味を持つ『ᚨ(アンサズ)』だった。あの時はルーンの意味なんて分からなかったし石の意味も分からなかった。学校に通う前から僕はルーン魔術を使っていたんだね」
答えは何も聞こえない。自分自身に言い聞かせるように化野は独りごちる。
「それで先生は毎日何をしてるの」
「ここにある木の手入れですよ。私の魔術に使いますし」
「また魔法?良い歳してまだそんな事言ってるの?」
「そうは言われましても、私は魔術師ですからね」
「それなら魔法見せてよ。火を杖から出したりするやつ」
この時の化野は魔術と魔法の区別もついていない。魔法と言えば杖から火を出したり、魔法陣からビームを飛ばしたり、幼い頃見たアニメの知識しか無かった。化野の言葉を聞き、苦笑いを浮かべたドルイドはすぐに困ったような顔をした。
「私の魔術はそういう物ではないんです」
「やっぱり魔法は使えないんじゃん」
「目に見えて効果のあるものだけが魔術ではないのです」
「どういうこと?」
「意味のあるお守りを作り、それに意味を持たせる。それも立派な魔術です」
「魔術っていうからもっと凄いものを期待してた」
「そのうち分かりますよ」
ドルイドは魔術師として生きているが、一般社会に溶け込むため樹木医として働いていた。樹木医は樹木の診断、治療、保護、育成を行う専門家。樹木が本来持つ力を回復させたり、病気や害虫から守ったりする役割を担い、落枝や倒木による事故を防ぐための管理も行う。森の中で育てている木々は魔術に使うものだが、依頼を受ければその土地にある樹木を調査する。日本へ行ったのも、古い知り合いに呼ばれたからだった。
そんなドルイドの使う魔術は『ケルト魔術』。多岐にわたる魔術の中でも自然崇拝を下に作られた自然魔術だ。日本では山や川などに神が宿るとされ、崇拝の対象になっている。ケルト魔術を扱うドルイドが日本へ仕事をしに来たことは、魔術としての考え方が日本古来の考え方と通じている側面もあった。
「僕に魔術が分かるかな」
「私は貴方を憐れに思って引き取ったわけではありません。業くんに魔術の素養が合ったから引き取ったのです。魔術を理解し、私の後を継ぐ魔術師になってもらいます」
「あの場から離れられた恩はあるから出来ることはするよ」
「学校へ通う前に少し勉強をしたほうがいいでしょう」
「勉強?なんの?」
「もちろん魔術です。学校に通う前に私のケルト魔術を浚いましょうか」
画面の中の化野は面倒くさそうな素振りを見せながらも、新しいおもちゃを買ってもらった子どものような表情を浮かべていた。数日前まで大人たちのいざこざに巻き込まれていた少年が、魔術というファンタジーな世界に迷い込んだのだ。親も、親戚も、それまで生きてきた自分の痕跡すらも失った少年にはドルイドと与えられる魔術だけが自分の生を肯定してくれていたのだ。
・ケルト魔術
・ドルイド




